『青』の持つ未熟さ

私は青が付く作品が好きだ。好きというより目に留まる。でも『青春』は目に留まらない。甘酸っぱい感じとか汗臭さやイケイケなものを感じるから。『青』と『青春』はどちらも若い印象を持つが、『青』は未熟という感じがする。『青春』でとらえる若いよりもマイナスな印象だ。この作品は後者の『青』だった。赤より熱い、静かな青い炎のような、長すぎるモラトリアムのような青。

この物語は、主人公をその友人の会話から始まる。主人公の秋吉は、ボクサーになりたいが、才能のない青年。夏澄との不倫恋愛を重ねながら、ボクシングジムでは才能あるボクサー・梅生と練習を重ねる日々を送っていた。ある日、友人のハルオに連れられハルオの恋人・とう子の見舞いへ行く。ハルオに言われその後はひとりでとう子のもとを訪ねることになる。秋吉は梅生、ハルオ、とう子、夏澄、そして夏澄の息子である陽との触れ合いにより、いろんなことを感じ、成長していく。

主人公の秋吉が年齢ではなく精神的に未熟という意味で青かったと思う。多分物語の上で傍観者だったからそう見えるのかもしれないし、ところどころ変なところでひらがなが使われていたからかもしれない。物語上では、友人・最近会ってないけど関係があった人・最近知り合った友人の大切な人の死を同時期に味わい、自分よりも多くの面で優れている人の挫折も見て、生きていくとはなんなのか、生活するとはなんなのかをより一層考え始めたんだろうなという感じがした。物語の終盤でちゃんと青は破れていたので良かった。

文章面でいうと、缶コーラを「ジビリ」と飲んだというのが、缶ジュースの1口目ってそういう感じだよなと、缶ジュースの擬音語で1番しっくりしたものだなと思った。あと、小説にもとうとうLINEが登場したんだなと思った。最初読んだときLINEの描写がよくわからなくてこれは心の動きなのかと思ったら、短文を送ることに適しているLINEを文字に起こしたことに気付いた。今後他の人がどうLINEを文章で表すのか楽しみだ。

『青が破れる』を始めに読んだときは、人死にすぎだろと思った。なんか話を考えるのをあきらめて、投げたように思えた。そう言う意味で都合が良すぎる。でも後で読み直してみると、そこは大して問題ではないと思った。都合が良くなかったらそれはノンフィクションだし、小説は心の動きさえリアルであればリアリティがると言えるからだ。

私自身まだ若者だからか、こころの揺らぎなど共感できる部分が多く、ぱっと読むことができた。ただ、この感覚も歳を重ねるにつれて忘れていってしまうものなのだろうか。脆い人と人との繫がり、何に期待するのか、何を興せば良いのか見えない将来。今の若者に通ずる話が多くあると思う。逆に秋吉の青い部分、若者の未熟な部分をしっかり書けているので、今を生きる若者から成長した若者まで幅広い人に読んでほしいと思う。

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