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映画を作る映画① 劇場版「SHIROBAKO」

狙ったわけではなく偶然ですが、映画を作る映画『劇場版SHIROBAKO』、『ビューティフルドリーマー』、『サマーフィルムにのって』の3作品を立て続けに観ました。

「映画を作ってみたいな」という気持ちを持つ人はたくさんいますが、意外と映画業界そのものではなくちょっと違う世界に行きますよね。ゲームとか。

映画を作りたいという気持ちをゲームにぶつけているだろうと見受けられる機会はさまざまあって、これはゲーム(業界)に悪い影響を与えていると思います……が、それはまた別の機会に。

映画業界が避けられる理由のひとつとして「日本映画はダメ」という偏見があります。そうハッキリ悪く言う人は多くなくても、語るのはハリウッド映画の話ばかり……と言われれば「思い当たるふし」がある人は少なくないのではないでしょうか。

ハリウッド映画に限りませんが、海外作品は「良いもの」(とされる作品)が選ばれて輸入されてきます。日本にいて、それを「海外では良いものばかり作られている。それにひきかえ日本は」と思うのは早計です。

こういった誤解もあって、「日本映画は叩いて良い」とされる風潮があり、個々の作品を観ずに全体を批判する様は「差別」とか「いじめ」と同じ構造になっています。正しくものを見られない人たちによってアニメやコミックが受けてきたのと同じ「迫害」を再生産し続ける日本社会、なんとかならんものでしょうか。

と、いうわけで(?)1作目はアニメ作品『劇場版「SHIROBAKO」』を取り上げます。この作品は2014年に放送されたTVアニメ『SHIROBAKO』の劇場版で、2020年2月に公開されました。「いまさらかーい!」と言う声、聞こえていますよ。でも最近配信で観たんですから仕方がございません!

基本的にはアニメ制作会社の話で、制作・進行を務める主人公・宮森あおいを中心に、TVアニメのときはTVアニメを、劇場版では劇場版アニメを作る過程や事情が描かれます。

なお劇場版アニメならではの制作の内幕として語ることはあまりないらしく、映画作りを志す人に役立つ描写などはほとんどありません。劇場版の背景と物語は完全にTVアニメの続編となっており、アニメ制作の背景が多角的に描かれているという意味で『SHIROBAKO』は良作ですが、劇場版はファン向けの作品としての側面が強いと感じます。

アニメの世界は詳しくないのですが、TVでいくらヒットしても一人前として認められず映画化して一人前と認められるという風潮があるらしく……どうなんでしょうね。個々人の意識の問題なので、その是非は問いませんが。

細かいところでは、主人公が制作・進行を務め、劇中でも「プロデューサー」と呼ばれることで、日本では古く小室哲哉氏やつんく♂氏のような(TVで観られる)姿がプロデューサー像と思われてきた誤解がとけるといいなとは思います。

ところで、『SHIROBAKO』について語るなら触れずにはおけない大切なことがあります。それは、劇場版公開当時に「登場人物の女性は皆"若い子"(あるいは美少女)として描かれていて、おかしい」と非難が起きたことです。男性は太った人、おじいちゃん的な人もいるのに、と。

この非難について、ぼくとしては同意50%、不同意50%というところです。

美少女ばかり問題の3つの論点

①主人公5人組の役割

『SHIROBAKO』は主人公・宮森あおいだけでなく、高校時代のアニメ同好会の5人組がひとつの"セット"として語られる物語です。「実は派手に留年を繰り返した子がいた!」という裏設定でもない限り5人は同世代であり、5人それぞれが進むアニメ業界の各分野において「若手としての苦労」が描かれます。5人もいるので作品全体としての"若手比率"を上げる要因になっており、しかし5人が若手であることにはストーリーテリングの都合上「必須」と言えるほどの必然性があります。

また大きく問題視されたわけではありませんでしたが、ついでに言うと5人が男女混合ではないことにも強い必然性があります。個々のコミュニティにもよりますが、依然としてアニメ好きであることにうしろめたさを持つ風潮は残っており、異性との距離ができる要因として現実味があります。これは男子だけでなく女子も同様です。

そのため、仮に男女混合版SHIROBAKOがあったとしても、幅広い世代の視聴者の多くには「アニメよりも絵空事」と映ることでしょう。

逆に全員男子でも良いのではないかという意見があれば、それはそのとおりだと思います。とはいえ1作でその両方を実現することは難しいので、どこかで男子版的な作品を作る動きがあればぜひ応援したいところです。

ただし! 5人組である"意味"はTVアニメでは丁寧に描かれていますが、劇場版では5人がセットであると(知らない人が)認識できる機会は少なく、若手ゆえの苦労から脱しつつあることもあって、ただ単純に「方々に若い女が配置されている」と見えなくもありません。この視点は大切です。

②差別化はほどほどになされている

絵柄的に、全体に「かわいくする」という方向性は男女共通であり、男性キャラもケーキ屋になった彼や元社長も、ある意味気持ち悪いほどに「かわいく」描かれています。女性キャラだけでなく、全体に「やりすぎた」というなら、その見方は間違いではないと思います。

ただ個々の女性キャラの描きわけについては、そんなになされていないわけではなく、「なんで同世代の若手がベテランぶってるの?」みたいな誤解を招くシーンもあまりありません(ひとりいる気はするけど全体ではなく)。

また、いまどきお化粧していればリアル30~50歳くらいまではアニメ化して単純化したときに同じ顔になってもさほどおかしくありません。ナチュラルな化粧とすっぴんを描きわけろ、と言われたら逃げ出す作画スタッフも少なくないのではないでしょうか。なお屋内で作業するときに化粧することはない、というリアル追求論はありえます。そういうことが目的なら、ですが。

ところで作品全体にモデルがいるため特に女性キャラに対して加齢を表現しづらいという事情があると見る向きもあるようですが、それは視聴者には無関係なので言い訳としては成立しないかなと思います。

③年齢・性別分布の問題は現実を反映している

登場人物の年齢的には、確かに元社長(おじいちゃん的)に対するおばあちゃん的な人はいないし、アンバランスさはあります。

ただしこのアンバランスさは現実を反映したものとしか言えません。アニメで補正をかけて現実の問題から目を背ける意義は見出せません。この作品は意図してディストピアを描こうとしてはいませんし、逆にユートピアを描くべき立場にもありません。

現実では、アニメ業界特有のものとしていまだに「過酷すぎること」や、日本社会全体の問題として「大企業に比べ小企業の経営は不利」なことがあり、この両方について「女性の置かれている立場の悪さ」が掛け合わされています。

『SHIROBAKO』は作中で解決できる困難以外はネガティブな要素を配したエンタメ作品ですが、その背景に現実の問題が残されているのは良いことだと思います。また、「ここに注目せよ」と言われていない問題点に気付けることは、作品にとっても視聴者にとっても良いことだと言えます。

まとめ

昨今、女性の描き方を通じて批判が巻き起こったり、批判する人への人格攻撃が繰り返されていますが、少なくとも本作については「大きく意見が割れること自体がおかしい」と言い切れます。とはいえTVシリーズをまったく知らないと誤解を招くのは仕方ない側面があり、そこは批判への反論を難しくしていると思います。

とはいえ本件に限らず、作品をよく知らない人や、人や社会をよく知らない人による罵り合いは極めて不毛です。

詳しい人と詳しくない人の意見が割れる場合は、詳しい人にしか説明はできません。なにか揉め事があるときは、自分の方が詳しい、あるいは内容や背景を読み取れると思える人ほど、詳しくない人の立場を考えて理解を促すように心掛けてほしいなと思います。もちろん「何か言うなら」ですけどね。

さて次回は、半分アニメを引きずっている実写映画『ビューティフルドリーマー』です。不評です。

(つづく)


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