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さくせん▶︎いのちをだいじに

自分の知りたい情報に限らず、大して知りたくない、或いは発信者には一切の他意はないにしろ、受け手である自分が不快になるような情報がインターネットの海には沢山流れている。美しい魚が泳いでいたりプラスチックごみの塊が共存している様によく似ているのでは?なんてことを考えるとともに、自分の生活にいっぱいいっぱいなこと、なんだかもう全部どうでも良くなったことが重なってSNSをログアウトした。自分の命は自分で守らなければいけません。てんでんこ、いのちをだいじに。
というのも昨年の8月ごろに人間関係や自分の目標と現実との差等、色々な問題が一気に押し寄せ漠然とした希死観念に苛まれたことがあり、起き上がることも碌にできず、とりあえず食べるものだけ食べて、最低限の仕事やタスクをこなしたらまた横になるの繰り返しをしていた。小さな画面は自分の悩みがしょうもないモノだとあざ笑うかのように夏休みの思い出投稿で埋め尽くされ、いよいよ馬鹿馬鹿しくなって本当に何かしらの手段をもって死んでくれようかと思った記憶がある。或いは神羅万象からの解脱。投稿している人は何も悪くないし、それは受け手である自分に原因があること、その旨をほのめかすことで誰かが救ってくれるのではないかと、しょうもない理由で自分の胸の内をインターネットの海に流したこと、そしてそれらすべてが何にもならないことを悟りSNSをログアウトしたことがあげられる。
Society5.0なる現代を生きる我々にとってインターネットとは切っても切り離せないものとなってしまった。一部の人間が情報収集するためのツールとしての文化は幾分か前に過ぎてしまっていることを踏まえると、今後我々(主語がデカいな、たぶん俺自身が正しい)に求められる能力はインターネットとどのように付き合っていくかだと思う。結局問題が解決していったり、うまいカレーを食ったり人と直接話す活動を通して回復はしたのだけれど、この機会から自分の情報ツールとの向き合い方について考える様になったのではないかと思う。かの庵野秀明もエヴァンゲリオン制作終了後にインターネットで大バッシングや誹謗中傷、殺害予告を受けたりと彼自身も死の淵に迷い込んでいるし、何も僕自身に限った話ではないのかな、と思ったりもする。
以前ライブを見に行った際、あるバンドが

「人生いろんなことがあって、ああめんどくさいしんどい死にたいと思うことがあっても俺たちがここにいるから!!」

なんてMCをしていたが、「あぁ、こいつ本気で死にたいと思ったことないんだろうな」と思ったことがあった。そのくらい、死とは軽いものではない。めんどくさい、しんどいの次に来るような優しい言葉ではないんだなとつくづく思う。尤も言葉とは時と場合によって変化するものということは前提として。今になって思うとそれだけ本気で考えたいことややりたいことがそこにあったんだと思う。なかなか人生の夏休みでそんなこと経験することはないだろうから、全然良い経験、と〆ることができるのですが、、、
そんなこんなで、せっかくこの世に生を受けたのであれば一生懸命の文字通り、命は大事にしないといけないなと思います。本当に。
SNSをログアウトするデメリットとして、知りたい最新の情報が目や耳に入りにくいということがあげられるわけだが、命で言うとNEEのくぅが先日この世を去った。
とても悲しい。ZEPPツアーを観れたこと、一生の思い出です。僕より先に旅立ってしまった彼彼女らを見ると、自分にできることはいったい何なんだろうな、とか、自分が今やるべきことってなん何だろうなと思ったりもする。生と死は形こそ違えど皆等しくやってくる故。

なんかめちゃくちゃ重い内容を書いた気がする。なんだかごめんなさい…
とりあえず元気でやってますということだけ残しておこうかと。ブログなんてそんなもんでしょう!
終!!
^o^!!!

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