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全能幻想

他人と違う自分を信じたかった。
そんな文言から始まる曲に自分を重ねて、最近は足踏みを続けたり、或いは寝そべったりしていた訳なのだが、結局俺自身は何者でもない凡才な訳で、凡才なりの手筈を整えて生きないといけないことに最近ようやく気がついた。どの世界にしても、その道一本をひたむきに突っ走っている人間は存在している訳で、僕は彼彼女らに失礼のないように、さらには後ろ指差されないように自分のできることを最大限することが最低限の礼儀だと考える。パンクやロックにしても、その意味を履き違えてはいけない。
最近はありがたいことに、自分の成果にお金をいただく機会が生まれているのだが(支払いは先延ばしにされている)、あるダンサーの受け売りでお金は感謝の気持ちが気持ちで収まらないが故に資本主義の世界で価値のあるものとして形を成しているモノだと捉えているので、お金そのものに執着するのは、それはまた傲慢の二文字に堕ちるという訳なのですネ。
そういえばお金で思い出したが、お金がすべてではないがすべてにお金が必要なのがこの世の中である。最近はひたすらに金がなく、首が1ミリとして動かない日々が続いているのだが、音楽をするにせよ、ダンスをするにせよ、人に出会うにせよその機会というものに感謝の気持ちも込みでお金というものが求められるわけで、もう少し自分や周りの人の為にそれを生成するべくちゃんと働いて、計画的に利用する必要があるとつくづく思う。実際それをしている身内のものも友達もいる訳で、彼らにできるのであれば俺にもきっとできるのである。
そんなこんなを思った先日のライブなのだが、やはり音楽というものは、ライブハウスというものは素晴らしいもので約2か月ステージに立っていなかったこともあり、改めて初心に帰ることのできた一日だったように思う。僕一人では音楽は成り立たないし、僕と一緒に音楽をしてくれる人も、楽しんでくれる人も周りにたくさんいる。只彼彼女らには彼彼女なりの音楽やその価値観があることを忘れてしまってはいけない。自分と価値観が合わないからその音楽観はつまらないモノとして捉えるのはただ僕自身の音楽観ないし人生観が腐っている・感受性が欠落している証明になることをハコの中で気づき、やるせない気持ちになったのはここだけの話。しかし環境というのは多かれ少なかれ自分に影響を与えるということもまた表裏一体であることに関しても、最近は思う。

あるバンドの好きなMCで、音楽で世界を変えたいとは思わないが、誰かひとりの心が少しでも動いてくれたらうれしいという文言があるのだが、まさに僕自身にとっても音楽とはそういうもので。その音楽を一刻も早く鳴らしたい。一刻も早く届けたい。僕の作った音楽が、さらに言うと僕と一緒に音楽をしてくれる仲間がともに足並みそろえ、時に仲違いし、それでも一つの正解として放たれる音楽がこの文言に当てはまったその時、それは音楽冥利に尽きる。早くその冥利に触れたい。

音楽で、勝負をしたい。

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