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親鳥先輩

生まれたての雛は最初に見た動物を親鳥だと認識する話は有名だが、僕にもそう呼べる人がいる。
親鳥先輩、と記しているものの別に本人をそう呼ぶでもないし、人との話の中で彼の話になった際に彼をそう呼ぶわけでもない。先輩を先輩と定義しているように、親鳥先輩は定義のそれだ。

僕が大学に入学し、軽音楽部に入るか、それとも緩い音楽サークルに入るか迷っていた時、彼は右も左もわからない僕に入部を促してくれ、新入生歓迎ライブだとか、レクリエーションだとか、他大学合同ライブだとか、優しく親身になって話してくれた。軽音楽部に入った理由の一つに、親鳥先輩の存在があるといってもよいと思う。大変良くしてくれた。
初めて一人で行ったライブハウスも彼のバンドのライブだった(今考えればノルマチケットの足しだったようにも思うが)。彼曰く、「ライブハウスで盗めるものを盗んで帰れ」とのことだったので、今でも盗めるものは盗むようにしている。ライブはひとえに演奏技術に限らず、MCだったりそのバンドの目標・バンド像、パフォーマンスがモノを言うと思うし、僕はそれを考えながらライブに挑むようにしている。彼から教わった数少ない教訓の一つのおかげで、この持論にたどり着いたことすなわち、雛が親鳥から飛び方を教わるそれなのではないかと、今になって思う。

親鳥先輩は夢追い人で、早々に学生シーンに見切りをつけた人であった。
それをよく思わない人も一定数いた記憶があるが、僕が片足を突っ込んでいるストリートダンスシーンにも学生シーンに見切りをつけ、九州代表になっているダンサーはいるわけで、自分で自分の環境を選ぶことについて僕は言及するのはお門違いだと思っているわけだが、何かに本気で挑んでいる人から学ぶことというのはやはり質や説得力が違うので、彼からもっといろいろ学びたいなァと思う気持ちは正直少しある。

つらつらと彼の良い点を綴っているが彼は上のこともあり、学校に来ることが少ない男故人間的な面に関しては深く知ることができていないし、お世辞にも良いとは思えないエピソードも聞いたことがあるので彼こそが理想だとか、憧れだとは思わないし、思えるほどの関係値がないのが現状だ。鳥はエサのとり方だとか、飛び方といった生物として必要最低限のことを学んだ後一人立ちするわけで、その点においてもやはり彼は親鳥のそれなのかもしれない。

そんな彼と最近なんやかんやで会うことがあり学生街で二人煙草をふかしたのだが、久しぶりに会う親鳥先輩は、やっぱり親鳥先輩だった。自分の夢にどこまでも愚直なんだと会話の断片からくみ取ることができた。ように思う。

彼が再び学生街に戻るかもしれない頃には、僕はもうその街に別れを告げていることを知った。親鳥先輩は、やがて親鳥後輩になってしまうようだ。自分でも思って以上に青春は一瞬で終わるし、時間はあっという間に過ぎてしまうことを改めて実感した。

東京でも元気にやってほしいと思いながら、僕は学生街の中でもう少しギターを掻き鳴らそうと思う。


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