「#_自分とは」

 雪香は人のために働くのが好きだった。クラスで誰よりも人を気遣う優しい子だった。怪我をしている子を見つければ絆創膏を笑顔で渡す。悩みのある人には同調する。誰も彼もに好かれるような八方美人であった。
 だが、その八方美人は時に、牙を剥いた。

「雪香ちゃんって、自分がなくない?」

 準備が遅れ、遅刻はせずとも遅れて学校に来た時に雪香の聞いた言葉。雪香はショックで扉の前で目を見開いた。自分がない。考えもしなかった言葉だ。
 確かに、周りに同調するばかりで意見を言わない雪香の姿はあまりにも自分がないというふうだった。
 その日は普通に過ごしたが、気持ちはかなり沈んでいる。

 そして、あることを考えた。本を読めば自分がある、個性のある人間になれるのではないか。帰りに本屋によるとお小遣いで一冊の本を買い、家に帰った。

「自分がない」

 反復したその言葉は無意識だった。あまりにショックで、まだ開いたばかりの本を顔に載せて寝転がっている。
 モヤモヤとした気持ちの塊で、うまく読めない。自分がないならどうしたらいい。それくらい聞けばよかったが、盗み聞きしてしまったことはあまりに言いづらい。自分がないというなら、雪香は何者なのだ。自分は本当に自分なのか。雪香は雪香になりたかった。

 翌日、早くに登校した雪香は自席で本を読んでいた。難しそうな、純文学を一文字一文字、訳も知らずに読んでいた。そこに、昨日の子が話しかけてきた。

「雪香ちゃんらしくないね、本読むなんて」

 雪香の心に、電流が流れた。あまりにショックで口を手で押さえた。「噓でしょ」どうしようもなかった。じゃあ、今度はどうしたらいいんだ。

「じゃあ、私は何をすれば自分らしいの」「みんなと仲良くする雪香ちゃんが雪香らしいよ」
「そうよね」

他人に同調し、他人に流される雪香、その雪香こそが自分だったのだ。溜息をつき、笑うしかなかった。結局、自分がないのが自分だったなんて。あまりにつらい結末だ。雪香は残念そうに顎を触った。

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