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この物語はノンフィクションです

「テレビみたいな話やな」

テレビとフィクション

この物語はフィクションです。

テレビドラマを見ていると、決まり切ってこの表現も画面に映し出される。ちょっとした歴史・伝記物ならば、

この物語は実話を基にしたフィクションです。

といったところだろう。

ドラマの世界では、日常の自分では経験しえない紆余曲折が映し出される。だからこそ、興味がわくし、ワクワクもする。

もしや私も

ただ、もし自分がドラマの世界と同じ立場に放り込まれたならば、私たちはその世界を楽しめるのだろうか。

この頃、島での移住生活のおかげで高校時代や大学時代の旧友たちと連絡を取ることが多くなってきた。

その都度、彼らの多くが口にするのは、

「俺はようせんけど」

という発言である。すなわち彼ら自身が私の生活を真似しようとは思えないということである。

また人によっては、

「テレビみたいな話やな」

という人までいる。

もしや、私はフィクションなのだろうか?

誰かのフィクションを生きる

そうなのだ。25歳の遊びたい盛りの男が、島に移り住み、日夜黙々と畑の土と向かい合うなんていうのは、きっとフィクションなのだ。

しかも、金になる保証なんて一ミリもないのにも関わらず。

きっと私がやっていることというのは、どこ嘘のような話なのかもしれない。

それはどこかテレビが発する「実話に基づいたフィクションです」に似ているのだろう。

唯一違いを挙げるとすれば、私を映し出す機械がテレビからスマートフォンに変わったことぐらいだ。


この物語はノンフィクションです

ただ、一つ言いたいことがある。

私は俳優ではない。

つまり、この物語はノンフィクションである。

あなたの日常の延長に、私のノンフィクションがある。
私はそう思いたい。

そうでなければ、私の存在までもがフィクションになってしまう気がするからだ。

事実、島には船がある。船着き場の近くには駅がある。電車に乗れば、空港にだって行ける。空港の先はきっとあなたの街ではなかろうか。

やっぱり、この物語はフィクション、いやノンフィクションです。


ーーー

自分でも自分の境遇が、あまりにも浮世離れしているように感じるときがあります。

そのため、noteは

「俺はここにいるぞ!」

という意思表示なのかもしれません。

というわけで本日はここまで!
お読みいただきましてありがとうございました!

また明日宜しくお願いします!

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