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眼鏡屋さんの一言で、私は眼鏡を好きになれた

たしか高校生のときだったように思う。
途端に見えにくくなった。最も父の視力が0.05以下の超近眼であることを考えると、おそらく遺伝である。ついに大学生になる頃には、眼鏡をかけていないのは寝るときくらいになった。

実はというと、私はあまり自分がメガネをかけているという自覚がなかった。というよりも、自分の中でかけていると思いたくなかったのだ。
ふと旅行先の展望台で眼鏡を外したとき、当たり前だが目の前が霞んで見えた。

「あぁ、眼鏡がなければ何も認識できないのか」

そんなことを思うと少しセンチメンタルな気分になったのである。もともと私は子供ながら視力が高かったこともあり、なおさらメガネなしでは生きられない自分を受け入れたくなかった。いうなれば、私が何かを見ているのではなく、眼鏡に何かを見せられているように感じたのだ。これに気づいてからは写真を撮られるとき、眼鏡を外すようになった。

そのような日々の中でも、眼鏡は手放せないし、段々と視力は落ちるので、新しい眼鏡を買いに行くことになる。4年ほど四角いレンズの眼鏡を使っていた大学4年生の私は、眼鏡を選び方など全く分からず店員さんにほぼすべてを委ねることにした。すると彼は黒縁で青みかがった丸い眼鏡を私に提案してくれた。

「このメガネだとお顔が柔らかく見えますね」

私はこの一言で、この眼鏡を買おうと思った。というのも、私は色んな人から目つきが悪いと言われ続けてきたからだ。生まれつきの目元の形状はもとより、「なんで本を睨みつけてるん?」と他人に言われるくらい目を凝らす癖があったのだ。

眼鏡を変えて数日、周りからとても褒めてもらった。中には「眼鏡かけてるときの方がイイよ」なんて言ってくれる人まで現れる。お世辞大半と分かっていても、このお世辞はなんとなく素直に受け止めようと思った。

眼鏡は人の印象を変えると言うが、おそらくこれは本当である。そして何よりも眼鏡はかけている人間の気持ちも変えてくれる。
私はあの店員さんのおかけで、眼鏡をかけている自分、また眼鏡それ自体を好きになった。そしてなにより眼鏡を好きになってからは眼鏡に見せられているのではなく、眼鏡に見せてもらっていると思えるようにもなってきた。

とある日、友人がノートの端に落書きで私の顔を書いていた。それには私を捉える象徴的な要素として眼鏡があった。どうやら眼鏡はいつの間にか私の一部となっていたらしい。

ーーー

この眼鏡屋さん、地下鉄西梅田駅とJR北新地駅の間にあったJINSさんなのですが、いまはもうなくなった?移転して?しまいました。

実はこの後もう一本眼鏡を買おうかと思った節がありJINSに向かうと、もうお店がなくなっていたことは今も忘れられません。いま、私のプロフィール写真が眼鏡をかけた状態なのはここの店員さんのおかけだと言って過言はないと思います。

おそらくこの先眼鏡を手放すことはないだけに、店員さんのアドバイスは私を変えた一言と言えそうです。

というわけで、本日はこれにて。
ご精読ありがとうございました。

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