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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり… もっと読む
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2020年7月の記事一覧

ペンが好きすぎて、文具メーカーの採用にエントリーすらできなかった話

本当に好きなものを仕事にする勇気は、私にはありませんでした。 ペンを見つめて数時間私には、無条件に心躍る瞬間がある。 それは文房具、特にはペンを見ているときだ。 ペンといっても、何千円もするような高級品ではなく、高くても数百円のペンである。 もうかれこれ中学生の頃から、ずっとペンを愛して止まない。 今でこそ能力は落ちてしまったが、中高生の頃は、教室の皆が持っているペンの「商品名、製造メーカー、定価」を一発で当てることができた。 それは本屋に行くたびに、文具コーナー

謙虚さを悪用する

チャレンジしない理由を謙虚さに求めている気がして。 他者からの称賛「私なんてそんな」 こんなことを口にすることは多々ある。 他人から褒められたとき、何か名声を得たとき。 他人からの称賛をそっくりそのまま受け取るというのも、バツが悪い。 だからこそ、褒められて嬉しい気持ちの傍らで、どこかこのような言葉で自分を卑下する素振りをする。 卑下するとはいったものの、隠し切れない嬉しさを含んだ柔和な表情はどこか微笑ましいものでもある。 身の程をわきまえる「私なんてそんな」

「分かりやすさ」の功罪

平易、辟易、機微、原著、矮小化・・・ こんな言葉好きですか? 言葉を選ぶということネットで文章を書くにあたり、難解な表現はなるべく避けるようにしている。 たとえば 「等閑視」は無視するに 「狭量」は狭いに おそらく普段生活していて、等閑視・狭量という言葉は使わない人が多いのではないか。現に私だってあまり使わない。 ほかにも 「パラドックス」は逆説に 「キャピタリズム」は資本主義に といったカタカナ言葉も避けたいとは思っている。 なぜなら、万人が一発でピンとくる

愛着のあるお金・ないお金 〜同じ5000円だけれども〜

私には 忘れられない5000円 があります。 愛着のないお金バイトのとき、前職のときも、そして今だって。 たしかにお金をもらっている。給料として。 でも、あんまり愛着がない。 たしかに私の銀行口座に振り込まれ、銀行が数字として計上してくれるのだけれど。 もちろん給料がないと生活できないから、ありがたくそれを使う。ただ、有り難さを忘れて、よくわからない無駄遣いもしてしまう。 つまり、別に心の底から飲みたいわけでもないのに、コーラなんかを買ってしまう。 ただ、一方で

実家の親に野菜を送った話 〜レールを外れた息子だけれど〜

実家の親に野菜を送った ん?よくあるパターンって、 実家の親から野菜が送られてきた ですよね。 とはいえ、私の場合は、やっぱり 「実家の親に野菜を送った」わけでして。 いい大学、いい企業まさか自分が田舎で作物を育てることになるとは、夢にも思わなかった。 私自身はもとより、 おそらく両親の方が強くそう思っているだろう。 私含め、父も母も大阪府民。 父は教員。 母は趣味が高じてそれを仕事としたが、もともとは専業主婦だ。 大学を卒業することは、小さい頃から当然のこ

起業したい輩が「起業!起業!」とうるさい理由

自戒も込めて、今回の記事をお送りします。 誰かを貶めてまで「起業」アピールすんじゃねぇSNSを筆頭に 「起業」 を謳う輩は多い。 ことにつけて、自分が意味ありげなことをしているように見せてくるし、自分は特別なんだと言いただけである。 輪にかけて悪趣味なのが 「ついに脱サラ」 「会社から脱出」 といったような表現だ。 別に起業をする奴が偉いわけでもないのに、なぜ「会社」や「サラリーマン」を貶める必要があるのか。 誰かを卑下するような奴が起業して、成功するのだろう

晴耕雨揚のススメ

雨の日は、「揚げ物」の日です。 晴れたら耕す農地を借りてからというもの、雨が降らない限りは退勤後、畑に向かうようになった。 市の臨時職員の仕事は17時には終わるので、そこから2時間程度、素人なりに鍬だのスコップだのを握る。 そうしているとたちまち19時を回るので、そこから夕飯を作るとなると、時間のかかる品は作れない。 たとえば、唐揚げとかフライとか。 私は「揚げ物」が食べたいただ、逆に言えば、今の生活になってからは、雨の日は2時間暇になるのだ。 もちろん、もっと本

「百姓はバカではできん」 〜名人と私の草刈り問答〜

草刈り一つでも、大きな差が出る。 それは技術の差はもとより、心意気の差なのかもしれません。 「百姓はバカではできん」あの人は、ちゃんとした農家さんだから。 あの人は、名人だから。 と呼ばれる百姓がいる。 名人は以前、こう言っていた。 「夜中に考えるのは、明日は何をしようか。油かすを撒こうか、いや雨が降るかもしれないから・・・。こうやって考えておけば、明日朝一番でスッと動ける」 そんな彼の口癖は 「百姓はバカではできん」 これを口にするとき、朗らかな笑顔からは想

井の中の蛙大海を知らずとも

「井の中の蛙大海を知らず」には続きがある。 そんなことを最近耳にした。 広い視野を持とう この教えはおそらく今も昔も広く語り継がれてきたであろう。 私自身も常々思う。視野の狭い人間にはなりたくないと。 それゆえ、 「自分の考えだけが全てじゃないし、かといって、他人の考えがいつも正しいとも限らない」 このような意識を持ち続けたいと思って生きてきた。 これこそが視野の広がりになると信じて疑なかった。 またこの意識があるからこそ、新しい考えに沢山触れてみたいと感じられる

「気合と根性」は最後の切り札だと思うのです ~合理的過ぎる人間と評されて~

合理的過ぎるとまで言われる私が信頼しているのは、 「気合と根性」なのです。 私は合理的な人間である。私は合理的な人間である。 他人から「合理的過ぎる」言われることも多いし、考えすぎるくらい考えるような癖がある。 だからこそ、気持ちを第一に考える人からすれば、冷徹な奴に見えるのかもしれない。 事実、何度かそのような人々を怒らせてしまった。 「御託ばっか並べやがって、気合とか根性っちゅうもんはないんか?」 と。 そりゃ、「気合と根性」の方が大事です。合理性とどちら

マスタベーション化する「誰かのため」 〜青年海外協力隊員の言葉から〜

表現にトゲがあるかもしれませんが、私には最も適切で、しっくりきています。 身体的には少なくとも成熟した人間なので、この表現を使うことを恥じることはありません。 それでは、宜しくお願いします。 青年海外協力隊員の言葉「誰かのため」がマスタベーションになってはいけないよ と私にアドバイスをくれた人が居ます。 そんな彼は彼自身も青年海外協力隊としてアフリカに派遣され、今は青年海外協力隊を目指す人々のサポートをされておられる方でした。 「誰かのため」になりたいという思いや