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【ドブヶ丘】明日歩照子は商人~青野研究所裏 殺戮オランウータンとの取引始~

「ドブ……FM……うのニュースをおつた……ます」
 
 カウンターの端の柱に括りつけられたラジオがとぎれとぎれのノイズの中に意味のある羅列を吐いた気がして明日歩照子は耳をすました。
 汚濁都市ドブヶ丘では情報の有無が寿命を左右することが少なくない。とりわけ、照子のように商品を売り買いして生計を立てているものにとっては。かといって海賊ラジオの情報なんかをたやすく信用する者もあっという間に命を落とすのだけれども。
 ラジオのノイズをどのくらい信じられるかを考えながら、泡の消えたぬるいビールを一口舐める。かすかな炭酸ときつい苦みが喉を通り過ぎる。この町で安心して口にできる液体はそれなりに貴重なものだった。
「おや、今日は電波がいいみたいだね」
「マスターがさっき酔っぱらいを叩きつけたからじゃないですか?」
 照子はところどころに血のしみついた柱を指差しながら言う。この店で悪い酔い方をした客は、マスターによって容赦なく柱に叩きつけられる。血やら反吐やらがぬぐわれないまま染み付いているのは見せしめとしての意味があるのか、あるいは単純にマスターがものぐさなだけなのか照子には判断が付かなかった。昏倒させた二人組を表に放り出して戻ってきた店長は「やっぱり壊れた機械は叩くに限るね」とのんきな笑みを照子に向けた。
 一時間ぶりの暴力の発露に、他の客は息をひそめるようにして酒を飲んでいる。余計な騒ぎを起こさなければよいだけなのに、と思いながら照子は適当な頷きを返す。静まり返った店内にラジオの声が流れる。
『昨夜未明、青野研究所で多数の……見つかりました。自警団は……の両面から調査……ます。……者のミタケ氏は……』
「青野研究所?」
「知ってるのかい?」
 照子の言葉に店長はカウンターに肘をついたまま相槌を打つ。
「あー、最近あの近くに商品届けたなって」
「へえ、なかなか辺鄙なとこまでやってんだね。身咲地区のあたりでしょう?」
 マスターが感心した声を上げる。身咲地区はドブヶ丘の原生林を切り開いて作られた研究所の周りにできた地区だ。研究所の関係者以外はあまり立ち寄らない。
「そうそう、青野研究所の裏って案内されたから、覚えてたんだ。あの地区本当になんもないんだね」
「その話、ちょっと聞かせてもらえるかい?」
 ぼやくような感想を漏らした照子に、後から話しかける声があった。訝しげな顔で振り返る。ひどく痩せた男が立っていた。見ると自警団の制服を着ている。
「隣、失礼するよ」
 男は照子が答える前に照子の隣の席に座り込んだ。
「やあ、小岩さん、ひさしぶり」
「ああ、マスター久しぶり。それと同じのをと俺とお嬢さんに」
 小岩と呼ばれた男は照子のビールを見ながら、マスターに注文する。
「はいよ」
「誰ですか、あなた」
 警戒心を隠さない照子の声に、男は笑って柔和な笑みを浮かべた。新しいグラスを照子に渡してくる。
「俺は小岩。このあたりの自警団をやらせてもらっている」
「そうですか」
 照子はまだ警戒をとかない。この町の他の稼業と同じように、照子の商売も自警団に探られてうれしい職種ではない。
「ああ、こんな服を来ているけれどね、今日は自警団の仕事じゃないんだ」
「はあ」
「個人的にあの、青野研究所の事件が、気になっててね」
「ちょっと情報を集めてるんだ」
「じゃあ、ラジオでも聞いてりゃいい」
 照子はラジオを親指で差しながら言った。ラジオはニュースの態を脱ぎ捨て住人好みの陰惨な現場の様子を語っている。
「どこまで本当なのかわからん話なんか意味が無かろう」
「私だって研究所のことは知らないよ」
 新しく置かれたビールをすすりながら、照子はそっけなく答える。
「客の個人情報を漏らしたら信用にかかわるし」
「あんた、たしかなんでも屋さんだと聞いたけど」
  小岩は言いながらそっと照子のコースターの下に何かを差し込んだ。照子はコースターの下を除く。数枚の紙きれが置かれていた。ドブ券だ。幻覚物質をしみこませた紙切れで嗜好品としての価値からこの地域では一種の地域通貨として流通している(20✕✕年現在 5枚で2円)。照子はドブ券の枚数を数え、懐にしまい込んだ。
「言っておくけれども、研究所には行ってないからね」
「いいさ、あのあたりに行った話が聞ければ、それで」
「といってもね」
「研究所の裏の小屋だと……おっさんが住んでいたんだったか」
「おっさん?」
「違ったのか?」
 照子の怪訝な顔に小岩が尋ね返す。小岩は顎の先を掻きながら続ける。
「結構年いったおじさんが住んでたんだけどな。なかなかの乱暴者で、何度か研究所と問題起こして俺らが呼ばれてたから」
「いや、おっさんは見なかったな。私が会ったのは女の子の姉妹だった」
「女の子?」
「うん、多分姉妹、なんだと思うけれども、私より少し小さいくらいの子ともっとずっと小さい子」
「へえ。あのおっさん、娘なんかいたのか」
 小岩の目がギラリと光った。興味深そうな口調で尋ねてくる。
「何を届けたんだ?」
 少しだけためらって照子は答える。それほど問題のありそうな品物ではなかった。
「食べ物と水。現金で」
「何か変わった様子は?」
「どうだろう。あんなとこに住んでるわりには大人しい子だなって思ったけど」
「二人とも?」
「いや、対応してくれたのはお姉ちゃんの方だけだったから……妹の方はずっと黙ってたな」
 思い出しながら話す照子から「ふふ」と笑いが漏れた。不思議そうな小岩の表情に気がつき、照子は補足する。
「いや、なんか妹の方ずっと梁にぶら下がりながらこっち見てたなって」
「なるほど。また行くのかい?」
「さあ」
 コースターの下に差し込まれるドブ券。懐にしまって答える。
「来週また来てくれって頼まれたよ。妹用に服が欲しいらしくて」
「へえ」
「お下がりなのかな、だいぶ大きなサイズのやつを着ていたから勧めてみたら、欲しいってさ」
「なるほど」
 ごくりとビールをひと口のみ込んで小岩が答える。カウンターに視線を落とし黙り込む。
「獣には気をつけるんだよ?」
 他の客に酒を届けてから戻ってきた店長が口を挟んだ。
「獣?」
「おや、知らないのかい?」
 マスターの目がいたずらっぽく細められた。照子は先を促すかためらった。聞けば後悔する気がする。けれども聞かないで後悔もできない状態になるのはもっと嫌だった。ため息をついて尋ねる。
「なんかいるの?」
「そりゃあねえ――」
 マスターの口角が吊り上がる。

◆◆◆

 余計なことを聞かなければ良かったと、後悔が照子の胸の中に立ち込めていた。崩れかけた無人のバラックの合間に見える今にも降り出しそうな黒い雲も、照子の不安に拍車をかけていた。
「マスターめ、ないことないこと吹き込みやがって」
 恐れを振り払おうと、怒りを掻き立ててみる。あの後、マスターはにやにや笑いながら身咲地区の出来事を語った。
 曰く、森には多様な獣、特に霊長類がいた。それらはドブヶ丘という過酷な環境において、知能をつけ、他種を含めて連携することで生き延びてきた。研究所やそれに付随する施設を作るにあたってそれらの獣は棲家を奪われ姿を消した。
「でもね」とマスターはことさらににやりと笑って続けた。
「いくらかの獣たちは残された森林にまだ生きていて、あの地区を奪還しようとしているらしいよ」
 実際のところ、マスターの言葉がどれだけ本当だったのかはわからない。この町には与太話が多すぎる。けれども、知ってしまった以上知らないように振る舞うことはできやしない。建物の間を抜ける生暖かい風の音が獣の唸り声に聞こえる。視線を感じた気がして振り返る。思わず腰に手を伸ばす。動く者はいない。
「まだいるのかなあの子たち」
 息を小さく吐いて独り言ちる。研究所が壊滅したということはこのあたりに住む理由もない、ということになる。あたりのバラック小屋に人気がないのはそのためだろう。
 角を曲がると少しだけ頑丈そうな建物が見えた。「青野研究所」と書かれた看板が転がっている。ところどころ破られた壁に染み付いている赤色は塗装ではないだろう。壁の隙間から死の匂いが漂っているような気がして、照子は身震いをした。
 できるだけ足音を殺して研究所を迂回する。やがてひと際頼りない掘っ立て小屋が見えてきた。

◆◆◆

 外れかけた扉を叩く。しばらくして扉が小さく開いた。扉の隙間から女の子が顔を覗かせた。薄い青あざの残った顔。痩せ細ったその女の子は照子の顔を見て、安心した表情を見せた。
「ああ、なんでも屋さん」
「毎度ありがとうございます。ご注文の品お届けに参りました」
「ありがとうございます。今開けますね」
 ゆっくりと扉が開く。曇天の薄明かりが部屋の中を照らす。荒れた部屋。長いこと手入れのされていない荒れ方。欠けたり足がもげた家具がそこらに転がっている。先週来た時から荒れ方は変わっていないように見える。
 ぎしりときしむ音がして見上げると、梁に手でぶら下がっている人影が目に入った。
「ほら、ドコ、なんでも屋さんだよ。挨拶して」
 呼びかけられても人影は身じろぎひとつしない。照子は笑いかけて背負っていた荷物を下ろした。ひっくり返っていた机を起こすと荷物の中身を載せていく。
「食べ物と飲み物と、服。多分妹さんに合うと思うけれども」
「ありがとうございます」
 女の子は頭を下げて、食べ物を持ち隣の部屋に運ぶ。台所の役割を持つ部屋らしい。腐肉の匂いが鼻を掠めた。照子は微かに顔をしかめる。電気の来ていないこの小屋には冷蔵庫もないのだろう。
 照子はぶら下がったまま見つめて来るドコを見るともなしに眺めた。目深にかぶったフードからギラギラとした目が見返してくる。
「どうも」
 照子が会釈をして見せると、ドコは少しびくりとした様子をしてから、真似をするように首を曲げて見せた。フードから赤い毛がこぼれた。
 姉の方はドブの黒色の髪だったけれども、と照子が疑問に思ったところで姉が戻ってきた。
「代金、これで足りますか」
 手のひらにいくらかの日本銀行券を載せて戻って来る。食料と衣類には充分すぎる額だった。
「ええ、充分ですよ」
 数枚を残して照子は日本銀行券を受け取り、鞄にしまった。さりげなく匂いを嗅ぐ。胸に詰まるような腐臭。小さくため息をついて口を開く。
「ああ、そうだ。これはサービスです」
 鞄から瓶を取り出しながら照子は言った。大きな瓶で「取り扱い注意」のラベル貼ってある。
「なんですか? それは」
「肉や内臓を溶かす薬品です。使うときは気をつけて」
「そんなもの」
「あちらの部屋」
 言って照子は隣の部屋に目線をやる。女の子は身をこわばらせ、ごくりと唾を呑む音が聞こえる。聞こえないふりをして照子は言葉を続ける。
「何か匂いますね」
「それは……」
「まあ、別になんでもいいんですが、これで処理できますから」
「……ありがとうございます」
「今後ともごひいきに」
「はい」
 女の子はうつむき、小さな声で答える。照子は内心でニヤリと笑う。この町において日本銀行券を使った取引相手は貴重だ。どれだけの残金があるのかはわからないが、末永く取引できるのならばそれに越したことはない。 

 カタリ、と音がした。ドコが床に降り立った音だった。ギラリと目が光る。籠められているのは殺意。ドコが床を強く蹴り跳躍する。た考えるより先にためらいより速く、照子は腰に手を伸ばし、ダートガンを抜き、引き金を引く。稲妻の抜き撃ち。空中のドコめがけて二本一組のダートが射出される。必殺の距離。しかし、ドコは空中で捩るようにして身をかわす。照子が目を見開く。ダートはドコの顔を掠め、フードを弾き飛ばす。赤毛に囲われた黒く皺だらけの顔があらわになる。低い鼻。飛び出した口。人ではない。照子は目を見開く。突進の勢いに押し倒される。肩が掴まれる。小さな手、けれども異常に強い握力。
「ドコ!」
 一合をようやくみとめ、女の子が叫ぶ。ドコが振り上げた腕を止める。
「大丈夫。大丈夫だから」
 ドコはちらりと女の子の方を見て、照子の上から降りる。
「すみません。なんでも屋さん」
「いや、いいんだけどね」
 照子は立ち上がり、ドコの腹につきつけていた予備のダートガンをしまった。壊れた椅子の残骸に乗ったドコの姿を眺める。小柄な子供かと思っていたが、違うようだった。
「オランウータン?」
「ドコ、です」
「妹さん?」
「違います」
 それだけ言うと、女の子は何と言おうか考えるように黙り込んでしまった。
「その傷もドコちゃんにやられたの?」
「……違います」
 首を振り、女の子が小さく答える。ドコは照子をにらみつけている。部屋に沈黙が流れた。照子は隣の部屋に目をやり、もう一つ尋ねた。
「隣の部屋のは」
 女の子は黙ったまま喋らない。否定はない。実物を見てみるべきだろうか? 照子は逡巡する。それは知るべきことだろうか?  商売に役立つ情報だろうか? 女の子の持つ日本銀行券と小岩のドブ券、それから自分自身の命と好奇心を秤にかける。ため息。
「まあ、なんだっていいや。また何か必要なら呼んで」
「いいんですか?」
「ああ、今度はドコちゃんとも仲良くなりたいもんだけど」
 照子の言葉にドコは威嚇するように歯をむき出しにした唸り声で答えた。

 その視線は照子に向けられているのではない。背後だ。視線を追って振り向く。閉じた扉。穴だらけの扉の隙間から、銃口が覗いていた。
「俺には何でもよくはないな」
 扉の外から、声が聞こえた。聞き覚えのある声。先日酒場で聞いた声。この声は
「小岩さん?」
「やあ、照子さん、だったか? 偶然だな」
「尾行てきたのか」
 照子は道中に感じた視線を思い出す。あれは獣のものではなく小岩のものだったのだろうか?
「その子たちに興味があってね」
「どなたですか?」
「自警団のもんさ。ちょっと話聞かせてもらえるかい? おっと妹さんはそのままでな」
 扉越しに小岩は言う。銃口は女の子にぴたりと向けられている。ドコは唸り声をあげて、椅子の残骸に座りなおした。
「そこの研究所が壊滅したの、知ってるよな」
 返事を待たずに小岩が続ける。
「どっかのあほが酒を飲んで鍵を落としたらしくてな、どうも研究してた生き物が逃げ出したらしいんだ」
 気のせいかドコと女の子が体を緊張させたように見えた。
「店長に聞いただろ? この森の原住生物の霊長類ども。そいつらの一匹が逃げ出して、職員たちを皆殺しにして、他の生き物も逃がした、みたいなんだよな」
「随分と職務熱心なんだな」
 照子が口を挟んだ。短い沈黙。やがて扉の向こうから返答が返ってくる。
「俺の兄はあの研究所で警備員をしていた」
 低く抑えた声だった。
「別に仲が良かったわけじゃねえ。いい兄貴でもなかった。ただ、兄貴を殺したやつをほっとけるほど、俺も人間出来てるわけじゃねえ」
 そこでだ、と小岩は言葉を切った。
「お前がやったのか?」
 その声はまっすぐにドコに向けられていた。
「違います」
 答えたのは女の子だった。つっかえながらも、まくしたてるように言葉を繋ぐ。
「お父さんが私をいつもぶっていたんです。あの日も、そう、どこかでお酒を飲んで帰ってきて、いつもみたいに私をぶって、でもいつもよりひどくて、ああもう死んじゃうのかなって思って、そうしたら」
 女の子はドコに目をやる。 
「窓からドコがいきなり入ってきて、お父さんの首をぎゅってして、そしたらお父さんが動かなくなったの。どこかからお金も持ってきてくれて、助けてくれたんです。ドコは、私を。だから、だから」
 半ば叫ぶように女の子は言う。
「ドコは違います」
「それを聞いて俺にわかるのは、そいつが人を殺せるってことだけだよ」
 小岩が冷たい声で返す。女の子はドコの前に立ちふさがった。
「どきな。どかないならあんたを撃ってから、そいつを殺す」
「やれるものならやればいいんです。二発目を撃つ前にドコがあなたを殺しますから」
 女の子は銃口をにらみつけて言う。
「そうか」
 小岩が短く答える。部屋の隅に立って両者の声に耳を傾けていた照子はきりりと引き金が絞られる音を聞いた。ドコが動く。女の子の前へと。引き金が引かれる。轟音。女の子が目をつむる。銃弾は明後日の方向へ飛び、薄い天井に穴をあけた。
「なっ…ぐあ!」
 扉の向こうに別の気配を感じた。壁に開いた穴越しに大きな影が見える。
  続いて音が聞こえた。もがく音。ばきりばきりと何かの折れる音。がりがりと何かを引きちぎる音。音が聞こえるたびに小岩が悲鳴を上げる。
「なん……ぎゃあ! やめ…おまえたひ!」
 女の子とドコに目をやると、二人とも驚いたように目を見開いている。
 やがて、外の音が消えた。
 静寂が訪れる。
 おそるおそる女の子が扉に近づき、開ける。
 地面に銃を持った男が転がっている。その顔は原型をとどめないほどにひどく掻き毟られている。腕や肩が不自然な角度に曲がっているのが見えた。
 その死体の向こうに大きな黒い影が立っていた。黒い毛におおわれた分厚い胸板。やや猫背な巨大な肩から伸びる、大砲のような頑丈な長い腕。
「ゴリラ?」
「ホキャアー」
 影の正体を見定めるか否かのうちに、鈍い叫び声とともにゴリラの肩からもう一つ小さな影が室内にすべりおちてきた。影は素早くドコに駆け寄る。ドコよりも少し小さい影。チンパンジーだろうか。何かをまくしたてるようにドコに向かってわめき、抱きついている。
 扉をくぐってゴリラが部屋に入ってきた。
「ウホ」
 一声鳴いて、チンパンジーを黙らせる。しゃがんで目線の高さを合わせると、じっと女の子を見つめた。
「ウホ、ウホ」
 静かに女の子に語り掛ける。人の言葉ではない。けれども、なぜだか照子にはそれが礼を言っているのだということが分かった。
「そんな、助けてもらったのは私の方です」
「ウホ」
 ゴリラはドコに向き直ると、一言鳴き声をかけた。ドコはゴリラとチンパンジー、それから女の子を交互に見てから、ゴリラに向かって首を振った。ゴリラとチンパンジーは驚いたように目を見開いた。
「ホキャア―、キャッキャ!」
 チンパンジーが興奮したようにわめき声をあげる。ドコは突き出た口を堅く結び、少しうつむいてもう一度首を振った。
「ウホ」
 ゴリラは再び鳴いてチンパンジーを黙らせた。ドコに向かってもう一度。
「ウホ」
 と鳴く。ドコは黙って頷く。しばしの沈黙。ゴリラも今度は黙って頷き、女の子に向き直った。
「ウホ、ウホ」
 ゴリラは女の子に右手を差し出す。女の子はドコを見る。「いいの?」女の子はドコに尋ねる。ドコは女の子をじっと見つめたまま頷く。少しの間、目をつむり、目を開くと、女の子は背筋を伸ばし、ゴリラに右手を差し出した。ゴリラが女の子の手をそっと握る。チンパンジーは口をへの字に曲げてそれを見つめている。
 ゴリラは握手を終えるとチンパンジーを肩に乗せ扉に向かって歩き出した。扉を出たところでチンパンジーがゴリラから飛び降り、女の子に向かって駆けて行った。
「ゴウルルル」
 ドコが間に割って入る。ぶつかる寸前にチンパンジーは速度を緩め、ドコの脇をゆっくりと通り過ぎた。女の子の前まで歩くと、顔を背けながら右手を差し出した。女の子が目を見開く。笑って右手を差し出す。
 すぐに握手を終えると、チンパンジーはゴリラのところへ駆けて行った。ドコの側を通り過ぎるときに、こつんとドコの頭を叩いてから。
「ゴウルララ!」
「ホキャッキャ!」
 ドコが怒ったように吠え、チンパンジーは笑い声をあげる。去り際にべっかんこうをしてから、チンパンジーはゴリラとともに去っていった。
「なんだったんだ? 今の」
「たぶん、友達だったんだと思います。ドコの」
 女の子の言葉に少し首を傾げながらドコが頷く。
「でも、きっとあの子たちも遊びに来ると思うし、私たちも遊びに行っていいって言ってたような気がするんです」
「なるほどね」
 照子は曖昧な相槌を返した。女の子の解釈が正しいのかどうか、照子にはわからない。それがどのような結末を与えるのかも。ただ、どちらにしても照子に言えることはそれほど多いわけではなかった。
「まあ、もしも必要なものがあったら、私に言ってよ。なんとかしてみるからさ。あんたでも、あの子たちでもね」
「よろしくお願いします」
 女の子とドコは笑顔を見せて答えた。

【おしまい】

この小説は豆にゃあ様主催「殺戮オランウータン大賞」のために書かれた小説です。

https://kakuyomu.jp/user_events/16816700427409384835


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