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Episode 553 不得手を知るのは大事です。

ここ最近のnote記事は、私の経験した範囲での学習障害(LD)の考え方というお話が中心でした。
私自身は学習障害と診断されたこともなく、恐らく今後も診断されることはないでしょう。
ただ…何度もお話ししているように、単純な計算問題は飽きるし、かな文字が苦手だから読書は得意ではないのです。
この決して出来ないワケではない…という状態で、「普通にできる」について行くのは…かなりシンドイのです。
そんなことを考えている中で、「マップぐるぐる回し」の話題は、私にとって大きなヒントだったのですよ。

自分で言うのも何ですが、私は方向感覚に優れている…というのはまず間違いない事実です。
それには左利きに多い「左右感覚の弱さ」が影響していると思うのですが、私は「左右」で認識するよりも「東西南北」で認識した方が理解しやすいのです。

ところがね、先日のnote記事の通り、「普通の人」は、私よりも方向感覚が良くない人が多いのですよ。
それは、カーナビの「進行方向を画面の上にする機能」がデフォルトで、それの使い勝手が良い人が多い…という事実で気が付いたのです。
それを前回の記事では、マップぐるぐる回しをしなくて済む「地図読みの配慮」と指摘したのです

定型の方だから配慮が必要ない、障害があるから配慮が必要…ではないですよね。
だって実際に、定型である私のパートナーはカーナビの地図を見て「便利!」と言っているワケですから。
こう考えた時、設定された目標を達成するための方法が「どうやったら分かりやすいか」は、個人によって違うのだ…ということが、私の頭の中にスッと入ってきたのです。

この話を裏側から見ると、学校などの学習目標に達するまでの道のりが、個人によって距離も難易度もことなることになるのです。
それが「普通の人」で達成できると思われる範囲に設定されているだけで、「余裕の楽勝」で達成する人も「なんとかギリギリ」で達成する人もいる…という当たり前の事実を、あまり考慮していないように思えたのです。

障害者についての合理的配慮を考えると、個人的な「得意/不得意」を把握することが「すごく大事」なことだと気が付きます。

実はこれ、定型/健常と呼ばれる方も同じ事で、自分の弱い部分を自分で認め、それをどのような配慮で乗り越えたのか…を経験することが、配慮についての考え方の礎になると思うのです。

ただ、定型/健常と呼ばれる方は既存で既定の方法でも、なんとか目標を達成できることが、私たち障害者と呼ばれる人よりも多いのだろうと思うのです。
即ち、やりやすい方法を見つける(配慮される)ことをせずして、目標に辿り着くことが多い…ということ。

学習の場で「これをより良く(より簡単に)できるようにするにはどうしたらよいか」…を具体的に見つける作業は、「苦手を見つけて解決策を探る」重要な視点のように思うのです。

配慮を受ける側が「配慮の必要性」を説いても相手に理解されないのは、配慮する側の「苦手を見つけて解決策を探る」という作業経験の不足があるのではないか。

配慮する側の「改善経験」は、配慮を受ける側を「受け入れる」土壌になるのではないか。
カーナビのマップを見ながら、私はそんなことを思うのです。

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