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Episode 554 仮面が無いのが自閉です。

度々このnote記事に登場する「ヘレン・ケラーは自閉症だった説」は私の持論なのですが、このヘレン・ケラーが自閉症だったと想像するに至ったキッカケは、美内すずえ先生の名作マンガ「ガラスの仮面」に出てくる「奇跡の人」の場面です。
主役のヘレンを演じるために、主人公の「北島マヤ」とそのライバル「姫川亜弓」が役作りを考えるシーンがヒントになったのです。

この話は、以前になん(@nankuru28)さんのnote記事にも登場するのですが、今回はその「役作り」と呼ばれる作業を考えてみたいのです。

人格・パーソナリティという言葉の由来は、「ペルソナ(persona)」すなわち「仮面」です。
社会で其々が融通することで摩擦を少なくすることが「社会性」だとした時に、社会性を身に付けるとは「あなたと私の意見を調整する能力」だということになると思うのです。
自分の「我」の尖った部分を折り曲げて、お互いに怪我しないように融通する…を、「素顔に仮面(persona)を被せた状態」と表現した…とするならば、パーソナリティの語源として納得です。
社会性を身に付ける過程で自分自身のキャラクターに見合った仮面を作りあげて行く、つまりリアルな「役作り」を無意識に行っていると思うのです。

ところで…私の思う「自閉の正体」は、「私の気持ちのコントロールの困難さ」という一言で表現できます。
「私の意見を調整する能力の欠如」だとすると、「素顔に仮面(persona)を被せた状態」が作れない…つまり自閉とは「常に素顔」ということにならないか、と思ったのです。

ツイートに表現した「対等な関係の欠如」を平たく表現するとすれば、「持ちつ持たれつ」「お互い様」という感覚の弱さ…ということでしょうか。
「あなたのやり方に従う」ということは、「私の意見を捨てないさい」ということとイコールではありません。
でも「私の意見を調整することができない」ASDの私は、自分の意見を完全に引っ込めて、あなた意見に同化することを自分自身に求めるのではないか…と。
ところが、私はあなたではありませんから、あなたの考えで私を全て置き換えることは出来ないですし、この状態は疲れます。
ですから、疲れを伴う「あなたの傘下」に入ることをできるだけ避けたい…となるワケです。

その逆もあるワケですよね。
「私の意見を調整することができない」ASDの私が、あなたとのやり取りで自分の意見を調整しない…となれば、あなたに私のやり方を押し付けることになります。
私がイニシアティブをとっていることであっても、あなたのことを考えて「手加減する」とか「声掛けする」とかの適切なフォローが必要な場合もあるハズ…でも。
「持ちつ持たれつ」「お互い様」が弱い私は、自分のやり方を弾力的に運用することが難しい…。

こう考えると、自閉症の症状で言われる「社会性の欠如」は、自分の「我」の尖った部分を折り曲げて融通する「素顔に仮面(persona)を被せた状態」が作れず、常に尖った素顔が剥き出しになっている状態…ということなのでしょう。

社会性という仮面を被ることで、世の中の摩擦を極力抑えることに成功したのが定型と呼ばれる人だとしたら、ASDの私は「仮面を持たない人間」ということになる…と思います。
これを踏まえて次回、「仮面」ではない「お面」があってね…というハナシに続きます。

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