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勝ち組はなんの戦いを戦っているのか?なにに対して勝っているのか?を考えた。

唐突ではありますが、「勝ち組」について考えてみました。

「勝ち組」が晒されているリスク

このグループに分類される人々は、かなり危険な状態にある可能性が高いのではないかと心配してます。

世の中では金持ちとか、いい仕事をしている人、異性にモテる人などのことを勝ち組と呼びますが、そのような人々は以下のような状態に陥る可能性があることを、色々なところで耳にします。


【金持ち】資産を失ってはいけないという恐れや、もっと増やさなければいけないという強迫観念に駆られてしまい、いつも心に平安がない。
【いい仕事をしてる人】仕事の忙しさを理由に、人生について本当に大切なことについてはないがしろにしたまま生きてしまい、仕事の状況が悪くなったり年をとった時に、大きな虚しさを感じる。
【異性にモテる人】多くの恋愛を経て結婚をしても、配偶者に対して「たくさんの選択肢の中から選んだんだからお前は自分の期待に沿うべき!」というような理不尽な期待を抱いたり、浮気をしてしまい、結婚における満足感を一生涯得られない。

世の中の多くの”成功者”が、孤独・虚しさ・家庭の問題を抱えるという現実を見ると、勝ち組の人々が持つ諸条件は、一見大きな祝福に見えるけれども、同時に人々を大きな不幸へと陥れる力を持つものであると考えます。

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勝ち組の頂点に君臨した、スティーブ・ジョブズの最後の言葉です。ここに、勝ち組の限界をみます。彼に限らず、多くの成功者が同じような虚しさを感じているのかもしれません。

勝ち組の元々の意味

ここで「勝ち組」という言葉の元々の用法を紹介します。

「第二次世界大戦終戦後のブラジルをはじめとした在外日系人コミュニティの中で、日本が敗戦したという事実を認めたくない一部の者が、色々な情報を都合よく再解釈し『敗戦のニュースはデマだった、日本は実際には勝ったのだ』と言い出した。この言説は敗戦を受け入れたくない多くの人々の間で信じられ、言説の支持者は『勝ち組』と呼ばれるようになった。」 (出典:国立国会図書館 「ブラジル移民の100年」)

つまり勝ち組とは、元々は「勝った人たち」ではなく、「勝っていないのに、勝ったと信じていた人たち」を表す言葉だったのです。この言葉が現在の用法で使われるようになったのは、かなり皮肉なことです。実際に現代でも、勝ち組はあまり勝っているようには見えません。

そもそも、それはなんの戦い?正しい敵と戦っている?

そもそも勝ち負けを語るのであればそこには「戦い」があるはずで、その戦いとは一体なにかを整理する必要があります。

世の中の「勝ち組、負け組」のコンテキストでは、その戦いは「人と人との人生の充実度における競争」と捉えられていると考えます。

一方聖書では、人の戦いは「目に見えない力」に対するものだと言います。その相手は「悪」などという名で呼ばれますが、これはざっくり言うと「人が正しい状態でいられないように悪影響を与え、破滅に導く存在」です。人の欲を刺激する誘惑などは、悪が好んで使う常套手段の1つです。

ここに「人が、世の中がいう戦いにおける勝利を目指せば目指すほど、聖書のいう戦いに負ける可能性が高くなる」というパラドックスがあります。世の中的な「勝ち」を経験すると、どうしても欲が生まれ、悪はその欲を用いて人々を陥れるからです。

このことは、悪の作戦なのだと考えます。すなわち、悪は我々の心に働きかけて、「戦いではないものを戦いだと思い込ませ、敵ではないものを敵だと思い込ませ、勝利ではないものを勝利だと思い込ませる」という心理作戦を展開しているということです。その結果、人は世の中的な勝利を目指すようになり、実際には究極の敗北に進んでいく。悪の勝ちです。非常に巧妙な作戦です。

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この世の勝利を目指すということは、悪い者に仕掛けられた落とし穴にむかって突進している、というような状態なのだと思います。お金、快楽、達成感と言った様々なものを使い人を走らせ、落とし穴に落とそうとしている。

本当の敵に勝つ方法

では我々はそのような「目に見えない力」にどうやって立ち向かい、勝利を得るのでしょうか。聖書は、その方法は「悪に打ち勝つ力を持つ人に頼る」ことだと説きます。悪の力はあまりに強力で、人はこの力に対して自力で立ち向かうことはできません。しかし、この悪に対し圧倒的な勝利をおさめている存在がいます。その方の助けを受け入れることによってのみ、我々は勝利を得られるのです。

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人はこの悪と戦えません。我々の勝ち方、それは「悪と戦える(そして勝利できる)方に戦ってもらう」です。

現代社会における「勝ち」は、人の目には一見魅力的に映りますが、それを目指すということは本質的ではないということを、いつも理解し生きていきたいと願います。本当の勝利を目指す人生のほうが、圧倒的に喜びと平安が多いし、多くの実を結ぶことができると信じるからです。

本当の勝利を目指して進みましょう!


聖書の言葉

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古代イスラエルにて、世界のあらゆる富と名声を享受した王の言葉です。栄華を極めた彼の残した言葉は「それらの全ては虚しい、風を追うようなものだ。日の下(この世界)には何一つ益になるものはない」です。どことなく、スティーブ・ジョブズの言葉に似ていると思います。おそらくこの感覚は人類不変のものです。因みに、この言葉を残した王の最後の言葉は「神を畏れよ、神の命令を守れ。それが人間にとっての全てである」です。

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人は愛する対象であって、決して戦うべき対象ではありません。敵を間違えた戦いほど、悲しいものはありません。

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悪は誘惑により我々の欲を刺激し、罪を肥大させ、究極の敗北である死に誘います。

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しかしキリストは、この悪の力に対し勝利をおさめ、悪の敗北は決定的となりました。悪が勝利するためには人の罪が必須条件でしたが、その罪が取り去られてしまったからです。

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そして我々がこのキリストにより頼むとき、キリストにより、悪に対し勝利するのです。


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