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『夕暮れ螺旋 5』

※R18 性的描写あります
BLに興味のない方、18歳未満の方は閲覧されないようお願いします
夕暮れ螺旋・夏希視点から八年後、柳沼隼人の視点になります

【隼人ー1】

 アパートの扉を開けると、朝の光が容赦なく目を射抜いた。
 スーツの繊維も、髪の一筋一筋も、皮膚の肌理までもを無意味に煌めかせるその照射が、ただでさえささくれ立っている月曜の俺の気分を、一層苛立たせる。
 扉が切り取る長方形から出て行こうとした刹那、
「行ってらっしゃい」
 俺の背中に叶(かなう)の明るい声が掛けられた。
 その明る過ぎる程の声の裏側に、濃厚に不安が堆積しているのを感じると、俺はやりきれなくなる。哀れに思う気持ちより、重さ、うとましさにじわじわと包囲されていくようで、うまく息ができないような気分になる。


 叶とは、前の会社にいたときに飲み屋で知り合った。
 みんなが振り返るほどのハンサムとか、そういう顔ではない。小作りな顔の中でやや垂れ目気味の大きな瞳がハッとするほど澄んでいるのと、色白の肌に薄くそばかすが浮いているのが魅力という程度の、平凡な部類の顔だ。
 だが、朗らかに話しながらもさり気なくこちらに気を遣ってくる男の、媚とも違う生来の哀しい優しさみたいなものに、ふと心が惹かれた。

 その日のうちに叶のアパートで細い体を抱いた。バックから俺に突かれて切ない声を上げる男の背中は細くしなやかで、その背中の白さに俺は、ずっと昔捨てたある少年のことを思い出していた。
 恐ろしいほどの美少年だった。後にも先にも、俺はあれ程美しい人間に出会ったことがない。
 高校時代、俺とそいつは暗黙の了解で、主人と性奴のような関係を続けていた。オナホールのように扱われ俺にいいように弄ばれ続けた、その人形のように美しい少年、冬馬(とうま)も、それはそれは白い肌をしていた。
 もう何年も会っていないし、おそらく二度と会うこともないだろう。
 そんなことを思いながら、不平を言いそうにないおとなしい男の中に散々出してやった。
 ベッドの上で背中を震わせている叶をよく見れば、尻に近い部位に顔と同様、ぱらぱらとそばかすが浮いていた。

 それまでも別れた相手のアパートを追い出されたり職を失ったりするたびに、女や男のところに潜り込んでは食わせてもらうのが常だった俺は、会社の上司を殴ってくびになったとき、当然のように叶のアパートに転がり込んだ。
 叶は優しかった。三つ下の二十三だが、年増女のように俺を大事にしてくれる。
 就活に身が入らずにいる俺を見ても、
「無理することないし。俺、ここんとこ成績良いって褒められて、特別手当が入るんだ。隼人(はやと)さん、じっくりやりたい仕事見つければいいから」
 明るくそう言った叶の言葉を、俺はベッドに寝そべってろくに聞いてもいなかった。
 下げたくない頭を下げて働かなくても良いなら、それに越したことはない。俺は叶が何も言わないのを良いことに、パチンコばかりして無為に時間を潰した。
 絶え間なく紫煙を吐き、騒音の中で無数の銀色の玉が穴の中に消えていくのを眺めながら、何のために生きているんだろう、とぼんやりと考えていた。

 叶はだんだんと帰りが遅くなるようになっていた。
「残業手当出たら、隼人さんに何か買ってあげたいな」
 そんなことを言って、先に寝ていて、と出勤していく叶が次第に痩せていくのにも、俺は気付いていなかった。
 大抵酒を飲めば睡魔に襲われ、叶がいつ帰ったかも知らずに朝を迎える。たまにベッドに入ってきた気配で目を覚まし、冷えた体を抱き寄せると、叶は微妙に抗った。
「疲れているから」
 そう言われると面白くはなかったが、ヒモそのものの生活をしている俺には、何処か卑屈になる気持ちもあって、
「使えねえな」
 と言い捨てるだけで無理強いもしなかった。無理強いするほど叶が欲しいというわけでもなかったというのが、正直なところだったかも知れない。


 そんな生活に終わりが来たのは、やはり叶の帰宅が遅かった深夜のことだ。
 その日の酒はうまく酔えなかった。体に酔いは回るのに、呑めば呑むほど目が冴えて、嫌なことばかり思い出す。

 高校を卒業した頃、バンドのデモDVDがある音楽関係者の目にとまり、デビューできるかも知れないと皆浮き足だった。その四十台の男は、レッスン料としてひとり五十万ずつを用意するようにと言った。親と折り合いの悪い俺に、そんな金が用意できるはずもない。無理だと言ったのは俺だけで、代わりに体を要求された。
 結局そいつが詐欺容疑で逮捕され、俺達の夢は泡と消えたのだった。
 どこにでもある話だ。どこにでもあるようなありふれた手口に引っ掛かった、自分の若さと愚かさを浅ましいと思った。

 思い出すこともなかった過去の亡霊に不意に出くわして、俺が眠れないままにベッドの上に横たわっていると、かちゃりと小さな音がした。
 潜めた足音がバスルームに消え、長いことバスルームから出てこない。
 何をしているんだ? 不審に思った俺は、ふらつく足でバスルームへと向かった。
 バスルームの脱衣籠に几帳面にスーツが畳んで置かれ、開いた洗濯機の中に下着やシャツが入っている。そう言えば、随分あの体を抱いていない。嫌な酔いがもたらした不快さを叶の中にぶちまけたら、少しは憂さも晴れるだろうか。
 声を掛けずに型打ちガラスの入った折り戸をいきなり開くと、
「ひっ」
 叶が息を飲む声がした。
 湯気で白く煙った浴室の中に、叶が白い裸身を竦ませて立っている。その体には、点々と打撲痕がついていた。

 
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8年前・夏樹視点はこちらから


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