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『夕暮れ螺旋 2』

※R18 性的描写あります
BLに興味のない方、18歳未満の方はお読みにならないようお願いします


【夏希-2】

 わたしの不幸の源は、「美しすぎる兄がいる」ということ。
 そして兄の不幸の源は、「男でありながら美しすぎること」なのかも知れない。

 その日わたしは、突き指をして部活を休んだ。共働きの家庭では、家に帰ったところで誰かが手当してくれるわけでもない。わたしは保健の先生からもらった保冷剤で指を冷やし、自分の家に向かいながら、病院に行った方がいいのだろうか、保険証はどこにしまってあったかなと考えていた。
 家の玄関ドアを開けると、男物のスニーカーが二足、脱ぎ捨てられている。一足は冬馬のものだけど、もう一足にはおぼえがない。あいつだったら嫌だな、とわたしは思い、気付かれないようにそうっとドアを閉めた。
 あいつ、というのは冬馬のところに時々遊びに来ている、兄が「柳沼(やぎぬま)先輩」と呼んでいる男。柳沼の兄に対する態度が何だかぞんざいで図々しく、なのに兄の方では秘かな、だが奇妙に熱のある目で男をかすめるように見つめているのに気づいたとき、何とも言えず嫌な気分になった。
 感じが悪い、嫌な奴。冬馬は何だってあんな奴を家に呼んだりするのだろう。
 兄と来客に気付かれないように、足音を忍ばせて廊下を進む。
「ふっ……、ん……っ」
 兄の部屋から聞こえる呻くようなくぐもった声に、わたしは体を強張らせた。しめやかな息遣いと、ぎしぎしと軋む音。その時、男の声が聞こえた。
「声出せよ。夜まで誰も帰って来ねえって言ってただろ?」
 わたしは、自分の部屋のドアノブを回すのに一分ぐらいかけて、まるで盗人のような足取りで部屋に入った。体中に汗をかき、やたらに寒気がした。
 わたしと兄の部屋の間の壁には、小さな窓があった。引き戸になっていて、子供の頃には、その小窓にベッドを寄せてあったので、窓越しに兄と話したりするのが大好きだった。小窓は出入り口になったり、ポストになったり、時に相談窓口になったりした。わたしの胸が膨らみ始める頃には、兄のベッドは反対側の壁に移動していたし、もう兄はその小窓を開けることもなくなってしまっていたのだけれど。
 今ではわたしの部屋でもチェストを置いて、チェストの上には小窓を塞ぐように巨大なミスバニーのぬいぐるみがのせてあった。
 開けない方がいいと分かっていた。開けてしまったら、決定的に何かが――おそらくはわたしの子供の部分が損なわれてしまうことも。
 それでも、わたしはミスバニーをチェストから降ろし、数年ぶりに引き戸をそっと開けた。部屋の住人に気付かれないように、息を殺して一ミリずつ、そっと。緊張のあまりのどがカラカラに渇き、激しく動悸がしていた。そして引き戸が一センチぐらい開いたとき、兄の部屋を覗き込んだ。
 最初は、何も見えないように思った。わたしが兄に作ってあげたティディベアが視界を塞いでいるのだ。目を凝らすと、ティディベアのふさふさした腕と箪笥の僅かな隙間から、反対側の壁に寄せてあるベッドと、その上にいる男二人の姿が見えた。
 ひとりは予想通りわたしの嫌いな柳沼で、高校の制服の黒い詰め襟姿だった。ベッドの上に膝立ちになり、腰を前後に振っている。もうひとりは、兄だった。同じ詰め襟の制服を着ていた……上だけ。下は何もつけない姿で、四つん這いになり、お尻を柳沼に抱えられる形になっている。
「ほら。エロい声聞かせろって言ってんだよ。好きなんだろ? 男のこれをケツにぶちこまれるのがよ」
 自分の作り出す振動で声を揺らしながら、柳沼が兄を激しく揺さぶっていた。柳沼が動くたびに、ベッドが壊れそうにぎしぎしと激しく軋み、ぬちゃぬちゃと粘りけのある音と、肌を叩くような音がぱんぱんと響く。
「冬馬は淫乱だもんな。我慢できなくて、俺の教室まで来ちゃうぐらいにさ」
「あぁ、あぁっ、あぁん、あぁ……」
 頭をがくがく揺らしながら、兄は初めて聞く声で、さも切なそうに喘いでいた。
 わたしには、それがレイプでないと分かった。兄の顔を一目見ただけで、それが分かった。快楽を貪る表情は蕩けきって、口の端から垂れる唾液が、雨上がりの蜘蛛の糸のように光っている。顔と露出した下半身の肌が、薄桃色に上気していた。
 開けたときと同じぐらいの時間をかけて、わたしは引き戸を閉めた。そして、ベッドに入って頭から布団をかぶり、暗い布団の中で、漏れそうになる嗚咽を、重ねた両掌で押さえた。
 大嫌い。
 柳沼なんか、死ねばいい。
 お兄ちゃんも、駿吾も自分も、みんなみんな、大嫌い――。


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