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「読書をしなきゃいけない」に、私が疑問を抱くこと。

こんにちは、目次ほたるです。
最近、「本を読みたいけど、なかなか集中して読むことができない。どうやったら、たくさん読めるようになるか」というような質問をもらったので、今回は、それについて書くことにしました。



「本を読むのが好きだ」と話すと、
なぜか「エラいね」「知的だね」というような言葉が返ってくることが多い。

私はこれが、ずっと不思議でならなかった。

例えば、私の愛読書が「六法全書」や「経済学原理」などであれば、たしかに知的な感じがするし、偉大そうに見えるだろう。
(ちなみに、この2冊は手にとったことすらない)

しかし、私が読んでいる本が、実は「エロエロめりーちゃんの夜のテクニック100」とか「いつでも誤魔化せる簡単・言い訳辞典」とかだったら、どういう反応をするんだろうと思うのだ。
(ちなみに、そんな本は存在しない)

私は無類の読書好きだ。
官能小説から、哲学書、家庭の医学まで、活字が書いてあるものなら、なんだって読む。
けれど、それと私が知的であることは残念ながら直結しない。

最近の自己啓発本では、「読書をせよ!」という指南が、だんだん常套句になりつつあるが、
これには「読書=人生を良くするもの」という前提があるのだ。
さっきの「本を読むことはエラい」発言も然り。
私には、人生を良くするために目的化された読書なんて、あんまり意味がない気がする。
だって、大概の本の内容なんて、1ヶ月もすればほとんど忘れてしまうからだ。
自己満足の読書に2〜3時間使って、睡眠時間を削るくらいなら、寝てしまっていたほうが、ずっと人生を良くすると思う。

前記した質問に関しても、「読書をしないといけないのに、できない自分は怠け者だ」というニュアンスがうかがえる。
けれど、読書より楽しいことがあって、本が無くても良い人生が送れるのであれば、それはそれで素晴らしいことだと思うのだ。

私はなにも、「読書なんてやめよう」と言いたいわけじゃない。
本を読むのは、楽しいし、勉強になることも山程ある。教養は財産だ。
でも、最近の風潮は、読書に「有用性」やら「意味」を見出しすぎているとも思う。
だからこそ、もっと読書を楽しむ姿勢を持って、本に接していければといいんじゃないかと思うのだ。
なので、本をたくさん読む必要も無いし、読もうと焦る必要もないんじゃないですかね。
ところで、積ん読に悩む人も多いが、積まれた本からは強力なパワーが出て、我々の脳に良い影響を与えることが、科学的にも証明されている。(もちろん嘘だ)

世の中には、意味のないことがたくさんある。
それでも、意味のないことをすべて剥ぎ取ってしまえば、行き着く先は、空虚だ。
意味なき読書を恐れない心が、文字の書かれた紙の束を、「本」に変える。

そうなって初めて、本が私たちに与えてくれる可能性を手にできるのだと思っている。

楽しむ姿勢で本を読もう、という話でした。
他にも色々書いてます。


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