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まちづくりにファイナンスを活かす④~YOUは何しにファイナンスの世界へ?~

自分の経歴をまとめて人に紹介する、大人になると自己紹介のタイミングで、そんな機会を持つことってありますよね。「〇〇株式会社で不動産仲介の実務に携わって、そのあとプロパティマネジメントの〇年、現在はAM会社でアセットマネジメント、主に期中管理と収益計算しています。」といった感じで、多くの人は関連分野で知識経験を積みながら、より主体的に動ける立場や事業体にステップアップしていくという感じなんじゃないかなと思います。

都市計画コンサルは結構(体力的に)しんどいけど、都市分野における知識や経験として得られるものはとても大きい

私の場合、大学は土木工学(メインは景観研究と土木史)、大学院は都市デザインでしたので、都市計画系の仕事に就くことに興味がありました。超氷河期+小泉改革のあおりをモロに受けて、第一志望だった某公団は新卒採用を中止、七転八倒の就職活動(というほど活動していなかったという感じですが)を経てUG都市建築という、都市計画コンサルタント事務所としては老舗の会社に就職しました。

まぁ、そんな感じで某公団への憧れを引きずりながらのコンサルタント業だったのですが、一緒させて頂いたメンバーが超優秀な人たちばかりでした。東京都で初めての「都市再生特区」を実現するべく、東京都の都市計画部局と日夜調整しまくるという、最先端の都市計画諸制度を実地で活用するチームに放り込まれた私は、毎日のキャッチアップにフラフラになりながら、少しでもチームの役に立てるように資料作りにいそしむ毎日でした。

23時近くまで事務所でチーフとミーティング+作業、終電後もひたすら作業し、資料のドラフトを1時過ぎに部長へ送付すると、社会人ドクター過程に在籍されていた部長は朝型で、2-3時頃にはコメントバックが来て、寝ぼけ眼で修正して翌日の資料として行政協議に持参するという、、、まぁ自分でもよくやっていたなぁと思います。(もう流石にこういうスピード感では働いていないと思いますが、10年前の設計計画業界はこんな感じだったかなと。)都庁の会議室で完落ちしていたのも、、、何度かあったかなと。本当にすみません。

都市計画諸制度は、その運用方針含めて数年でガラリと変わるので(特に東京都)、毎日のキャッチアップが欠かせず。新しい地区計画制度の活用事例が出たり、立体道路制度や建築基準法の集団規定のルール変更があると最新の解説本をみんなで回し読みしたり、とまぁ忙しいなりに知識を身に着けていくクセのようなものをここで身に着けました。ただ、ほんとに毎日眠かったですけどね。。。いまでも時々、この時のような議論に参加する機会を頂くことがあるのですが、ある程度淀みなくコメントバックできるのは、このときに得た知識と経験が染みついているからだなぁと実感します。

都市計画コンサルタント業界はとても地味な世界(+業務量と時間の割に給与が伸びない・・・)なのですが、最新の都市計画知識をどん欲に吸収でき、それを実際の制度活用の場で(調整次第ですが)実現できる可能性があるという点では、とても面白い世界ではあったなと思います。じゃ、なぜお前はその世界から消えたのか、、、というと。

"事業を理解するには、事業を動かしてみないと分からない。数字を理解するには、数字を作ってみないと分からない。"

時に2007年、ファンドバブルに浮かれていた不動産業界では、収益不動産の売買の先にあるマーケットとして「開発型証券化」がありました。要は、収益不動産の価格が相当高止まりしているなかでは、出来上がった物件を購入しても利益が出せないので、自分たちで開発物件を竣工させて、それを売却して利益を出す、という考え方です。

収益不動産と異なり、まだ物件がない中で資金を集めなければならず、そこには開発ノウハウやプロセスを熟知し、かつ不動産証券化のスキームや業務プロセスを理解している必要があります。ただ、証券化スキームに理解がある人たちは主に金融プロパー(銀行や証券出身)ですので、なかなか開発実務が分かりませんし、開発に長けた人たちは逆に不動産ファイナンスを知らない。そんなわけで、開発に若干理解ある若手が第二新卒的な位置づけで不不動産ファンドに転職していくケースが良くありました。

私の場合、日々充実した毎日は過ごしていたものの、体力的にも財布的にもギリギリなわけで、さてどうしたもんだろうという毎日を過ごしていたのですが、そんなときに「某大使館建て替えコンペ」のお誘いがやってきました。(全く暇じゃなかったので何故?ですが)コンペのメンバーとして、資料づくりや関係者間調整の場に出席せよというお達しが来たのです。

この仕事、結論から言うと私の人生を大きく変えることになりました。それは、コンペに敗れ、その最大の原因が事業性だったこと。

どんなに良いプランを書こうが書くまいが(いや、書いたほうが良いとは思いますが)、、、事業性が高く、かつ確実性がなければ選ばれない、それが事業コンペのドライな世界です。美しいまち、優れたコミュニティの仕組み、永続的な地域循環のかたち、そんなものを描いても、事業計画における取得床単価が安ければ負けてしまいます。それを痛感したのがこの出来事でした。数字を正しく理解し、数字をつくれるようにならないと、自分の思い描いたまちは絵に描いた餅で終わる、そう痛感したのです。

(余談ですが、当時ロンドン大学大学院を修了したての超優秀な後輩に海外調整を任せ、ボストン大学大学院に留学するこれまた超優秀なインターンに翻訳を任せ、この超優秀な二人に挟まれながら、ひたすら資料作成していたのも良い思い出です。人間の出来には根本的な差があるのだと実感した瞬間でした。。。)

溜池山王駅には未来への入り口があった・・・

そんな超優秀なメンバーに囲まれ、英語飛び交うメールの嵐。実はこっそり隠れて溜池山王のベルリッツに通っていたことがあります。毎朝、早く家を出て溜池山王のスタバで予習し、8:30からの授業に出て少しだけ遅刻して会社に向かう。そんなことを繰り返していた毎日、「不動産金融専門のエージェント」なる看板を駅で見かけました。看板にある「不動産金融」という言葉には、なんか面白そうな響きがありました。

実は、ベルリッツのない日には朝早く会社に行って、その日の朝刊にあった面白そうな記事をクリッピングしながら、実務から少し離れた勉強をする、そんなことを敢えてやっていました。都市計画ばかりで本当に良いのか、迷っていたからです。

 ただ、何を学ぶということも決めていない、悶々とした中で手に取ったのが保田隆明さん「図解 株式市場とM&A」と三国仁司さん「不動産証券化と手法」の二冊でした。保田さんは若きファイナンスのエバンジェリストとして金融実務を分かりやすく解説されていて、この本はワクワクするファイナンスをこれでもか、というぐらいに私に与えてくれました。         この世界に少しでも入れたらなぁと感じていた中で手に取った三国さんの本は、実務者向けの本なので初心者にはかなり難解なのですが「開発型不動産証券化において、開発実務を最も理解する設計会社やコンサルタントがより実務家として証券化にかかわることが重要」という一節があり、自分でもこの世界で必要とされることがあるのかもしれないと感じはじめたのです。

で、その看板。もやもやしていた私は、ダメもとで連絡をし、その看板の主に会いに行くことにしました。このエージェントのUさんとは、今でも仲良くお付き合いさせて頂いています。少し雑談した後、私が都市計画を実務として仕事していること、でも迷っていること、不動産の証券化ってなんだか良く分からないけど開発と組み合わせたら面白ことができそう、と思ってしまって、金融も不動産も経験ないけど来てしまったことを包み隠さずお話ししました。

「渡邉さんは、これからの人ですね」

Uさんは静かにそう言いました。いまは、まだ経験者優遇だけど私みたいな未経験者が必要となる時があるし、開発型証券化はこれからの主流になるはず。その時に今の経験は活きてくると思う、そう言ってくれました。

そうして、Uさんのところで全くの未経験者である私は、不動産金融業界という良く分からない世界への転職活動を始めることになるのでした。


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