
【10分スケッチ】芸術の創造的想像力についての抜書き

いったいコウルリッジにとってワーズワースの詩の特徴とは何か。「この世界」は、本来は「組み尽くすことのできない宝」でありながら、われわれは「それにあまりにも慣れ親しんでいる」ために「眼を持っていながらそれを見ることがなく、また、聞くことのない耳を、感じることも理解することもない心を持つにすぎない」が、ワーズワースは、「精神の注意力を慣習の無気力から呼び覚まし、精神の注意力をわれわれの前の世界の愛らしさと驚異とに向けよう」と試みた、とコウルリッジは論じる。すなわち、想像力が連想の法則に従って全く受動的に作用するときに世界は自明なものとして現れ、われわれの注意を引くこともないが、こうした事態を前にして、「観察された事物を変容させる創造的能力(imaginative faculty)」を働かせることによって、習慣から人々を呼び覚まし、世界の自明ならざる姿を示すことこそ、芸術家の課題である、と換言することができよう。
「古いものと新しいものの統一のうちに何らの矛盾も認めず、神と神の作品を、あたかもすべてがまさに〔神の〕最初の創造行為(creative fiat )によって生じたかのように、新鮮に観照すること、これこそ、世界の謎を感受し、世界の謎を解き明かすであろう精神を特徴づける。子供の感情を成人の能力のうちに継続すること、子供の有する驚異と新しさの感覚を、恐らくは四十年もたったために慣れ親しんでしまった外見に結び合わせること、……これこそ天才の性格と特権を構成する。」
コウルリッジが求めるのは、成人と子供の特徴を結びつけること、すなわち習慣化したものを変容させ流動化し新たに生まれ変わらせることであり、これこそ創造的想像力の働きである。そして、コウルリッジによれば、創造的想像力は、「すべてがまさに〔神の〕最初の創造行為によって生じたかのように」世界を捉えさせる。創造的想像力の働きによって、神の創造がいわばいたるところで、かつその都度新たな仕方で繰り返される。
小田部胤久『西洋美学史』第五章「制作と創造ートマス・アクィナス」より抜書き。
ヨーロッパの近代的芸術観における「芸術家の創造」は、中世スコラ哲学の「無からの創造」ではなく、「新しさ」を特徴とする。
コウルリッジはイギリスのロマン派の詩人。
これを読んで、レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー」と土井善晴の和食の話を思い出した。
*
10分スケッチじゃなくて10分ノートだな。
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!