2021年11月1日(月)の日記(予兆を聞く)
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2021年11月1日(月)の日記(予兆を聞く)

長男の学校は今日は振替休日。
午前中は、長男の勉強を見たり、ブロックを作る手伝いをしたり、机の片付けを手伝ったりして過ごす。

長男は小さな頃からブロックが好きで、今日も巨大な立体造形(要塞のようなもの、内部にも構造物があった)を作成していた。
基本的には色使いも含めて左右対称の構成で、あるパターンの組み合わせになっていたり、どんどん拡張していたり、動くような機能があったりと、独自の美学を反映しながら非常によくできている。

「最初にこういうのを作ろうって決めて作っているの?」と聞いたら、
「いや、作りながらできたのを見て、次どうしようかなって考えてる」と言う。
やっぱりそうなのか。手を動かしながら考えるタイプなのね。
興味深い。


伊藤亜紗さんのWeb連載「天気のしらせ」を読む。

盲導犬とのコミュニケーションで、情報が入ってきやすくするために、盲導犬に近い左側は「ぼーっとさせておく」というのがおもしろい。

「ぼーっとさせておく」とは、セラフを制御しないどころか、予期や目的といったあらゆる能動性を左半身から撤退させることを意味しています。そうすることによって、セラフの体の動きや、動きに現れるセラフの意志が、未加工の状態で西島さんの体に「しみて」くる。究極の遊び状態、もはや「留守」と言っていいような状態としての「ぼーっ」。散漫で注意力が低下しているように見えますが、むしろそうすることで、逆説的にも多くの情報をキャッチできるのです。「しみる」という表現は、玲那さんの体の一部が、セラフの体の延長のようなものとして明け渡されている感覚を表現しています。

あと、気圧の変化によって体に深刻な不調の出るさえさんが、天気予報はあまり見ない話。天気予報を見ると「備え損」でストレスになるから。
備えないで「ぼーっ」としておくそう。

興味深いのは、「ぼーっ」とすることによって、つまり予測や構えから体を解放しておくことによって、セラフと西島さんの関係のように、逆説的にもある種の敏感さがうまれていることです。「備えない」というのは、一見すると「なすがまま」になるように思われます。しかし、実際にはそうではありません。むしろ自分の体に起こる予兆的な変化を、敏感に感じとれるようになるのです。

備えないことによって、予測ではなく予兆をつかむことができる。

予測的先回りをしないことによって、かえって未来の予兆をつかむことができる。ここには、天気にとりこまれやすい体ならではの、独特の時間構造があります。「予測」とは、現在までに得られている情報から、「降水確率〇〇%」のように、確率的に未来を推測することです。これに対して「予兆」は、「空が暗くなってきたから雨が降りそう」といった具合に、ある特定の出来事の前触れを現在において感じ取る、ということです。予測が「現在からの未来に対する問いかけ」であるとすれば、予兆においてはむしろ「未来が現在に対して語りかけて」いる。前者は能動的ですが、後者はむしろ「聞く」態度です。さえさんの場合、それをしらせるのは「泣きたくなるような吐き気」でした。

予兆とは、「未来からの現在に対する語りかけ」であり、ある種受動的に「聞く」態度でつかむ。

ぼーっとさせておく、備えないことによって、より多くの情報をキャッチする。そして、そういう態度だからこそ「未来から現在に対する語りかけ」を聞くことができる。

そういうふうに聞けるようになりたい。
そして、予測よりも予兆で動きたい。


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みみをすますラボ 代表 (一財)生涯開発財団認定マスターコーチ 琵琶湖のほとりで、夫と二人の息子と暮らしながら、コーチとして活動してます。 noteは公開雑記帳。日記など、自分のために書き散らしてます。 HP(ブログ有)https://mimiwosumasu-lab.com/