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【10分スケッチ】太陽は理不尽に希望を与える


今日は雨だから、外は白く霞んでいて、琵琶湖の水平線の向こうには何も見えない。
何も見えていないだけなのに、何もないのではないかという気がしてしまう。
いつも見えている対岸のことを思い出せない。

こんな天気の日でも、17時を過ぎてもまだ明るいことには希望を感じる。
希望だ。
春に向かっているという希望。
太陽をもっと浴びられる季節が来るという希望。

1月の上旬に逗子と熱海と静岡に行ったときのこと。
葉山には、やたらとサーフボードの置かれた軒先があり、アリーナがあり、海には輝く波とウィンドサーファーがいて、当たり前のように太陽が享受されていた。
東海道線での道中、さんさんと差す陽の光を浴びながら、思い出していたのは年末にかにを食べに行った福井のこと。
日本海に面した露天風呂で、吹き付ける風の冷たさと厳しい波の高さに圧倒されながら、思わず見知らぬ人と「何もありませんね」と言葉を交わした。
時間帯の問題かもしれないけれど、漁船一艘いない、冬の海。
そんなことを思い出しながら沸いていたのはなぜだか
太陽はなんて不平等なんだろう、という
行き場のない怒りで、その怒りは未だに私の中でくすぶっている。

太陽の光は、雨の日も、月夜の晩も、誰にでも与えられている。
でも、与えられるものは、全然等しくないし、選べない。
与えられるものを受け取るしかないのだ。

この理不尽さとともに生きるために、きっと神様が必要なんだろうなと思いながら、
ほかの道は無いのだろうかとも考え続けている。

これらを見に行った時の話。

江之浦とか、そりゃ太陽見るでしょうよって思いますね。

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