2021年10月27日(水)の日記(切実さについて考える)
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2021年10月27日(水)の日記(切実さについて考える)

朝、子供を送った帰りの車中、Spotifyが流したGHOST WORLDがしっくり来る感じがしたので、少しだけ遠回りして帰りながら久々にGHOST ALBUMを通して聴く。
厚い雲が重く低くて、そこから感じている妙な閉塞感の影響かもしれない。

シンゴ。

”I'm Singo."のセリフから始まるこの曲は、楳図かずお先生の「わたしは真悟」から作られた曲。

「わたしは真悟」、改めて読みたいなあと思いつつ、どうして読みたいのか?何を求めているのか?と考える。

「わたしは真悟」で印象に残っているのは、さとるとまりんが子供を作るために東京タワーに登るシーン。その純粋さと切実さ。それに触れたいんじゃないかなぁと思う。

切実さ。
最近どうしても惹きつけられてしまうもの。

保坂先生の「夜明けまでの夜」を読んで、強く感じたのも切実さだった。
ロックを聴くのも、ライブを見たいのも、そこに切実さを感じるからだろう。
そもそも、ある種の表現には、それを表現せざるを得なかった切実さが背景に存在しているような気がする。

切実さって何なんだろう。

ふと思い出したのは、「ぼけと利他」で村瀬さんが書いていた「マジ」のこと。

切実さっていうのは、この「タマシイのマジ」みたいなことかもしれない。

タマシイ=「日々気を配っているもの、感じようとしているものがつくりあげた、目には見えないほんとうの姿かたち」の本気。
「あるべき」とか「当たり前」とかの外側にあるマジは、それを意図せず手放してしまうような時に触れられるもの。
だから、それを感じるためには余白が必要。

余白っていうのは、枠組みの外側だとしたら、
音楽でも、漫画でも、小説でも、そういったものは、その外側に関係がある気がするけれど、まだちょっとはっきりしない。

切実さを本気って捉えてみると、それはその人にとっては大真面目に真実である状態なんだろうけれど、それだけじゃなくて、もっと圧の高まりみたいなものがあるように感じる。気迫というか。

でも、その圧を「高まっている」と認識するためには、摩擦というか、外部との比較みたいなものが必要な気がする。
だって、深海魚は水圧が高いなんて思っていないだろう。
でも、浅い海に上がれば、体が膨らんで目が飛び出てしまう。
この圧は、深海魚が生きていくために、当たり前であり絶対のもの。

その切実さが露呈する時に興味があるのか、それとも切実ではないわたしが切実さに触れて圧を感じることに興味があるのか、それともわたしとは異なる切実さに触れることに興味があるのか。

焦点はふわふわしているし、よくわからないことだらけだけど、やっぱり切実さはどうしても気になってしまう。

そういうことを考えていた朝だった。

このところ、冷え込んできたり風邪を引いたりで、体調がぱっとしない日が続いていて、休養重視で「書く」ということをあまりしていなかったんだけど、そうすると自分の中に停滞感や重苦しさ、不透明感が生まれてくる。

何かを考えるということが、どこに続いているのか、何につながるのかはわからなくても、どんなことをどこまで考えたのかをアウトプットしておくことは自分の中の解像度が上がって、自分の現在地を確認することができる。

そのことにどんな意味があるのかなんてことは考える必要がなくて、そういうふうに進んでいくことが、今わかっている自分とのうまい付き合い方なのだ。ただそれだけ。

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みみをすますラボ 代表 (一財)生涯開発財団認定マスターコーチ 琵琶湖のほとりで、夫と二人の息子と暮らしながら、コーチとして活動してます。 noteは公開雑記帳。日記など、自分のために書き散らしてます。 HP(ブログ有)https://mimiwosumasu-lab.com/