2021年11月4日(木)の日記(自然な営みと鼻歌、書く)
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2021年11月4日(木)の日記(自然な営みと鼻歌、書く)

朝、サンドイッチとコーヒーを作って食べる。
パンスクできた群馬のパン屋さんの大麦パン。
温め直して、切れ目を入れて、バターを塗って、スライスチーズとロースハムを挟んで食べる。以上。
ロースハムが正解。美味しい。

「面倒くさい」と感じずに、フフンと鼻歌でも歌いながら料理をしているかどうかというのは、
その時の自分の状態のバロメーターになるかもしれない。
料理は特別好きなわけではない。
レシピを増やして腕前を上げていきたいとも思わない。
ただ、自分と家族が生きるため、暮らしていくために必要だから、料理をして食べる。
そんな料理であっても、
作らなきゃいけないから義務的にイヤイヤ作る重苦しさではなく、
家族の喜ぶ顔が見たいから張り切って作っちゃうぞ!というテンションでもなく、
蕪が出てきたから油揚げと炊こう、ふふん。ぐらいの感じが好ましい。
効率よくこなすべきことでもなく、
誰かのための心を込めたサービスでもなく、
ただ生きるための営みとして、自然な行為を行うというニュートラルさに、
手を動かすこと、そのリズムや感覚の持つ楽しさが、
鼻歌程度で乗っかったらいい。

もうひとつ、自分の状態が良くないことのサインとして最近感じることは、
シャンプーを面倒くさく感じること。
特に家で子どもたちと一緒に入浴する時にシャンプーをする気力がなくて、
一日くらいいいかと放置したり、翌日ひとりでシャワーを浴びたりすることが多い。
毎日シャンプーすることの是非も意見が分かれることだし、
一日くらい放置してもどうってことないのは間違いないんだけど、
自分に対するグルーミング意欲の低下なのか。
温泉に行くと、「面倒くさい」なんて考える間もなく、
ふふんと鼻歌交じりでとっととシャンプーして、ざぶんと湯船に浸かりに行く。
単に髪が長くなった影響もあるかもしれないけれど、
「そのぐらいのこと」として対処できない重さがある。

この、鼻歌交じりぐらいでできるというのがポイントで、
何であってもうまくいかない時は、だいたい力が入っている。
「どうってことないこと」としてやることで、
その行為の意味より手前にある、動きやリズム、感覚を楽しめるようなことがある。
でも、その行為はその感覚的楽しみを得ることを目的にしてやるのではなく、
自然な営みとして行った結果、自ずと楽しみを感じるというようなこと。

書くということも、力を入れて書こうとするとうまくいかない。
何かを書こうとして、りきんで書いていると、重苦しくて、
読み返した時に「こういうのが書きたいわけじゃない」と感じて、
さらに「こうじゃない、こうじゃない」と、どんどんしんどくなっていく。
別に大した文章じゃなくても、そういうことがある。
たぶん、自分のフォーム、自分の呼吸、自分のリズムみたいなものが損なわれている。
そこからは、自然な自分の形をしたものは出てこないのだろう。
とりあえず、ふふんと鼻歌交じりで自分の形をしたものを出してから、
その形を見て「こういうことだったのか」と気づけば良い。
その後に、形を整えたりとか、色を付けてみたりとか、何かと混ぜてみたりとか、
そういうことをすればいい。

なんだか便秘の話みたいだなと思ったんだけど、
どんなうんちを出そうかとトイレで頑張ってみても意味がなくて、
いいうんちを出そうと思ったら、腸にいいもの食べたり、生活環境整えたりとか、
もっと前の段階で工夫してみることだろう。
あと、ちゃんと毎日トイレに座ることね。
でもさ、便秘になっちゃったら、色々頑張って出すしかないよね。

書くということはそのくらい、自然なことなのかもしれないな。

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ハッピー!
みみをすますラボ 代表 (一財)生涯開発財団認定マスターコーチ 琵琶湖のほとりで、夫と二人の息子と暮らしながら、コーチとして活動してます。 noteは公開雑記帳。日記など、自分のために書き散らしてます。 HP(ブログ有)https://mimiwosumasu-lab.com/