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新自由主義は後退したのか?

 

 GDP至上主義を批判する向きは強くなっているけど、じゃあ、GDPに代わる有用な経済的ステイタスが他にあるかといえば、現状、GDP以上に各国の「豊かさ」をそれなりに正確に示す指標はないんですよね。


 新自由主義の敗北だとか、グローバリズムの敗北だとかいうけれど、私は、新自由主義的な価値観は生き残り続けると思いますし、相変わらず株価は重視され続けると思います。そして、グローバリズムの進展は不可逆的であると思っています。


 在宅勤務だとか、ライフワークバランスだとか、働き方改革だとか、みんな、「働いた時間に応じて賃金を支払う」という、一番労働者にとってわかりやすくて公平な指標を奪うものですよね。資本の力は、労働者の生産性を限界まで引き出すために、更なる効率化を要求している。どこが新自由主義の後退なのか。


 むしろ、コロナの影響で生産関係の「効率化」が進むことによって、労働者はますます「余裕」がなくなっていくのではないでしょうか(少なくとも厚生経済学的な観点からすれば、資本の効率化を進めれば余剰はなくなります)。オフィスに通っていれば、会社に居残った分、たとえダラダラ仕事をしていたとしても、残業代が支給されていたわけで、それがなくなるわけですからね。


 オフィスをなくすことで、労働環境の整備にかかるコスト(サンクコストを含めて)を、労働者に丸投げできるわけです。そして、社員の勤務時間を正確に測ることができなくなるので、否応なしに成果給の拡大に繋がっていく。これは、新自由主義的な経営手法が求めてきた路線と、完全に一致するわけです。


 一部の思想家が言っているように、新自由主義は退行しているどころか、その勢力をいや増しに拡大している。労働力の流動性は高まり、企業にしがみつく従来型の社員は、ますます駆逐されていくことになる。通勤のストレスから解放されるのと引き替えに、ね。


 だから私は、マルクス・ガブリエルやら、ノヴァル・ハラリやら、エマニュエル・トッドやらが、みんなこぞって新自由主義やグローバリズムの敗北を宣言しているのに非常に不信感を抱いているんですよね。これ、やっぱり、西欧の人文主義的知性のダメなところが露骨に表れてるのだと思う。


 日本の正規労働者にとって不幸なことは、先進各国と比較して、賃金水準の上昇率が非常に低いということ。長時間労働を織り込むことで、日本のホワイトカラーの賃金水準は「それなりの水準」を維持しているわけで、他の国と同様のレベルにまで在宅勤務を推進した場合、この部分がごっそり抜け落ちることになる。この場合の給与の減少幅は、心理面も含めて相当に大きいことが予想できる。


 そうすると、残業代の減少分を補うために、労働者としては、ベース賃金のアップを求めていくことになりそうですが、経営側も、ただでは上げられない。成果給の導入+ベース賃金のアップ、ということで折り合いをつけるしかないが、果たして、これを飲めるかどうか。これは、みんなが同じようなレベルで豊かになれる道ではないことは明らかなので。


 在宅勤務の推進と成果給の導入は、セットでないと難しい。そうすると、できる人とできない人の差が今まで以上についていくことになりますよね。給与も傾斜配分できることになる。これからのサラリーマンは、これまで以上に、自分の能力に応じて、住む場所も、生き方も、選ばなくてはならなくなる。


 ある意味、地方移住のトレンドはそういう傾向を先取りしているところがあって、意識するかしないかはともかく、みんなが競争しなくていいようになってきている。それは見方を変えると、競争したくない人たちにとってのオプションになりつつあるわけだけど。


 みんながレールの上で競争しなくてよくなってきた、のは、いいことなのかもしれないけれど、レールの上に乗れる人がどんどん減っていく、ことの裏返しでもあるわけです。レールに乗っている人と、そうじゃない人を、きっちり分けていきましょう、という風に、なってきている。世の中全体が。


 使える人は限界まで使い倒し、使えない人はできるだけ大人しくしててもらう、ことが、新自由主義的な価値観の表現なのだとすれば、今ほど、それが抵抗感なく推進されている局面はないのではないでしょうか。


 在宅勤務の推進は、労働者のストレス軽減効果が高いことは実証されてきていると思います。しかし、それを導入していくことで失われていく「何か」もきっとあるはずで、それは常に天秤にかけられていると言っていいのではないでしょうか。

 

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