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今回もかなりお久しぶりな記事になりました。
相変わらずのサボり癖です。


最近私が感じているのは

”自分の必要な人に出逢えてる”

という贅沢な出来事です。



20代半ばの私のクズ具合と荒れ具合を知っている人からすると
今の私がどのくらいまともな人間になったかよくわかると思います。

あの頃のことは正直、あまり思い出したくないけれど
その時に私を支えてくれた人たちのおかげで今の自分がいると言っても過言じゃないくらい感謝しても足りないくらい。


大阪に住んでいた時間

一番私の状態が良くなかった2014年。
この頃

”私にはもう失うものは何もない”

そう思うくらい一気に大事なものを失った時期でした。
無気力の中残ったものが、私にとって美容師の仕事しかなくて
のめり込んで実績を残し、とにかく忙しくして余計なことは考えないようにしていました。

急に上司に
”お前、大阪で仕事する気ない?”
そう話をもちかけられ、間髪入れずに
”いきます”
その一言から5日後に私は知らない土地、大阪で仕事をすることになりました。

初めての関西は蒸し暑い夏の陽気だったのを今でも覚えています。

当時、会社で売上トップの人の元、社長の管轄下で仕事をさせてもらうにあたって、ものすごく緊張していました。
ただ、私の噂は社内でも行き届いていたみたいで
”関東のやり手さん”
という謎のプレッシャーをかけられ、毎日を忙しくさせていただいてました。

大阪のあちこちの店舗の人たちがいつも会いに来てくれて
ほとんど毎日みんなで飲みに行って
毎日楽しくて、嬉しくて、ずっと笑って。
ダメダメだった自分を受け入れてくれた人たちみんなに毎日感謝できるくらい
私の心の中でカチコチになっていた気持ちも溶けていきました。

尊敬する先輩にサシ飲みへ誘われた時は本当に嬉しくて
”私先輩みたいになりたいんです!”
そう伝えたら、少し笑いながら
”美華さんは私にはなれませんよ。美華さんは美華さんらしい美容師になってください”
と、返ってきました。
まだまだ子供じみた私の考えに先輩らしい答えが返ってきたのと
”私は他人にはなれない”
という当たり前の事実にハッとさせられました。



”いつだって美華ちゃんの味方やから”

そう言ってくれた人がいました。
当時自分がダメなのも全部受け入れて、それでもいいんやでって
支えてくれていました。

たくさんのことを2年間で経験させてもらって
たくさんのありがとうと感謝を抱えて
2016年
私は栃木に戻ってきました。



この約2年間が今の私を作ってくれました。

この先絶対忘れない時間です。



そして、また大好きな人たちができました。

遠くたって
何時間かかったって
会いたい人には会いにいく。

自分にできることって、今はそれしかないと思っていて。



私は多分、出逢うべき人にしっかり出逢えていると思います。

人生を歩んでいく上で
自分に、今必要な人に。

そしていつかそれが思い出になったとしても
寂しくないように
今大事にできる人たちを全力で大事にできるように
自分自身が強くなろうと思いました。


そして今度は私が

”いつだって味方だから”

って言えるように、支えられるように
優しくなれるように。


いつまでも
笑っていられるように。





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