初マンモグラフィーで要再検査のお知らせにふるえた一週間。
がん検診を集団検診で受けてから、1ヶ月後。やけに厚みのある封筒が届いて、開ける前から嫌な汗がでた。
開けてみると乳ガン検診要再検査の紙が。よく読むと要再検査の中で5%の人がガンの可能性があると。
私は常々40代に入ってまもない今の自分にとって一番命を奪われる危険性が高い存在は子宮頸がんと乳がんの二択だと考えていた。
なぜならば市から送られてくるがん検診の無料クーポン。子宮頸がんは30代になってから、乳がんは40代になってから2年に一度というかなりの頻度で来るからだ。
他のがん検診の無料クーポンは大台に乗った時に一回。つまり十年に一度。もちろんがん検診は毎年やった方がいいことなのだろうけど、
「市から二年に一度も無料でクーポンがくる」
この事実は結構深刻に受け止めるべき案件だよなあ。と考えていた。実際乳がんは40歳から60歳くらいまでが発症率が高いらしい。
子宮頸癌の検診は二年前に受けて異常なしだった。
今回は大台に乗った年だったので癌検診フルコースの中に入っていたのが乳がん検診。初めてマンモグラフィーを受けた。意外と痛くはなかったけれど結構衝撃的な検査だった。
そして、初マンモグラフィーにして、要再検査の封筒。セルフチェックはこれまでもしてきたけれど、しこりのようなものは自分では確認できていない。
けれど、もしも5%の確率に当たって、がんだったら……。
一番に思い浮かんだのは、今死ねないよなあ。せめてあと10年は生きたいよなあと言うことだった。私はあまり自分の命に執着はない方だと思う。長生き願望も全くない。今までずっと健康に生きてきた人間の傲慢さと言われてしまえばおしまいだけど、私個人は生き死にに関してそう考えている。
でも、子どもを産んでから彼らが成長するまでには生きている責任はあるとは考えていた。
私が大好きなサガンだって息子ドニについて語るときこんなことを言っていた。
サガン「わたしはもう死ぬ自由を失いました」
こんなに簡潔に母親になることを表現するサガンはやっぱりすごい。
中2の娘と小4の息子がせめて社会人になるまでは生きたい。生きたいと言うか死ねない。夫は時々俺が今死んだら話をすることがあったけれど、私は恐ろしくてそんなことを口にすることも出来なかった。
父親と母親の差なのか夫と私個人の差なのか分からないけど今死ぬなんて仮定でも口にしたくなかった。
もし、最悪、乳がんだったら、何をしてでも10年は生き延びたい。と思った。
10年あれば夫も子どもたちも、私がいなくなったあとの新体制での生活がしやすくなるよう、準備できるよなあとも考えた。
そして、もし、ものすごく悪くて、来年死ぬとかだったら……。
自分じゃなくて、夫が可哀想すぎるよなあと思って、これを想像したら泣けた。
来年死ぬことが決まってしまったとしたら、死ぬ私より、まだ巣立っていない子ども二人抱えて生きていかなきゃいけない夫の方がよっぽど心細いと思ったからだ。それに夫は寂しがりやだし。そんなのはあんまりだと思った。
夫に、要再検査の話をしたら、「絶対大丈夫!」と言っていたけれど、時々ポロッと彼の不安故の行動がチラつく。
死なないとしても、この年(四十路だけども)で、おっぱいがなくなったら嫌だなぁとも考えた。よせばいいのに再建手術の体験談なども読んだ。
とりあえずかかるかも知れないお金の話とか、入院するとしたらどうだとか、もしうっかり来年死んじゃったらどうするとか、冗談まじりに話してみたけど夫は「絶対違うから」と言いつつも、真摯に受け止めてくれたので、最悪来年死ぬことになっても大丈夫な気もしてくるくらいだった。
とりあえず、再検査をする病院を市役所に問い合わせて選び、封筒が届いてからちょうど一週間後の予約が取れた。
その間に色々と夫と話していて気持ちが落ち着いていたはずの私だったけれど。(妄想でホスピスにも入って、大丈夫とまで思った)いざ予約の時間にクリニックにつくと私は手に汗を握っていたし、口の中はからからだった。
中待合で待っていると看護士さんに別室に連れて行かれ、出産経験の有無を確認され、最初の検診よりももっとしっかりマンモグラフィーを撮影することと、超音波で検査をして、疑いがあれば、さらに針を刺す検査をすると言うことを説明された。
超音波で何もなければ、今日中に問題はないことがわかるんだなあと察した。
マンモグラフィーは集団検診で受けた時より挟む力も強めだったし、時間の長さも長めで結構辛かったけれど、頭の中は白なのか黒なのか早く知りたい気持ちでいっぱいだった。
超音波の検査は別室で受けた。超音波でがんは黒く写ると事前に読んでいた本に書いてあったけれどモニターを覗いてもよくわからないし、不安が募るだけだったので私は天井をぼんやり眺めるだけにしていた。
とても長い時間だったように思えた。ようやく先生が現れて触診された。診察用のガウンを着ていたのだけれど、着替えていいと言われたので、これは針は刺さないでいいと言うこと? いやまだ油断はできない。ここは超音波の部屋で針は別室なのかも。と用心深く着替えを済ませた。
クリニックは小部屋が沢山あって迷路みたいだったけれど次に呼ばれた場所の雰囲気からどうやらいよいよ本題に入るのだと生唾を飲んだ。
穏やかさオーラを纏った先生は開口一番にこう言った。
先生「何にもないからねー。心配いらないよー」
私「へ!?」
先生「集団検診の時は挟み方が甘かったか何かで影みたいになってたけど大丈夫。何もないよ。超音波もね、癌は黒く写るけどほら何もないでしょう?石灰化もないし、本当に何もない心配いらないよ」
私「@#@〆×$(言葉にならない)」
先生「40歳から多いからこれからも検診来ようね」
私「はい」
先生はその場で来年の予約をとってくれて、ありがとうございましたと退出しようとした時も念推しのように、本当に何もないからと言ってくださった。
力が抜けた。夫にLINEをしようとスマホを開いたら夫からLINEが来ていた。診察直前の時間で気づいていなかった。
「大丈夫‼︎心配ない‼︎念のため昨日、神社にもお参りして来たから!」
いつの間にお参り行ってだんだろう? 本当に心配かけたなあ。と思いながら何もなかったことをLINEした。
後から聞いたら仕事が終わって深夜に一人で神社にお参りして来たらしい。私よりも夫の方が不安だったろうな。
私は自分の生き死に関して決意を新たにした。
私は絶対に夫の後に死ぬ。
何がなんでも夫の後に死ぬ。
ここまで読んでくださったそこのあなた、アラフォーですか?女性ですか?
子宮頚がんと乳がんの検診行ってますか?
あら? 男性ですか。
結婚はされている。
奥さんはがん検診いく時間的余裕ありますか?
よくわからない?
えー。ここまで読んだなら聞いてあげてください。
子宮頚がんに罹る方は毎年1万人、うち3000人が亡くなっています。
女性の11人から13人に一人は乳がんになります。
家族を守るために考えて頂けたら幸いです。
※サガンの言葉はインタビュー集「愛と同じくらい孤独」から抜粋しております。
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