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ホタルと水戦争 かつて誰かが見た夢を わたしたちは生きている

『昔は水戦争ってのが、あってな』
Oさんは云った。

水田に、山から引いてくる水をめぐって、かつて争いがあったと云う。Oさんは棚田の一段、山よりの上流で米づくりを昨年まで長年続けてきた大先輩。Oさんは口数少なく挨拶をしても、あまり反応がない風の人だった。長髪の、よそものが、ときに草ぼーぼーにしながら稲づくりをしている様を、どのように眺めていたのだろう。
 
稲の育成にとって、ほどよい水は欠かせない。米づくりをする人たちは、みなみな 出来る限り毎日、水が いい加減に水田に はるように見守り、水量を調整しているのではないだろうか。だからこそ、雨の少ない日照りのつづくときには、われの田んぼに水をと、争いがあったのかもしれない。
 
 自給自足にと無農薬で米づくりを はじめて4年目。今年はOさんの姿を見かけることがない。去年の稲刈りのときに、もう年だから 多くの仕事は、出来ないので 稲づくりを辞めるのだとOさんは云った。そして稲の天日干し用に使う、はぜ棒を もう使わないからと 心よく わけてくた。これまで決っして多くの言葉は交わさなかったかもしれないけれど、Oさんは ずっと静かに見守ってくれていたのだと感じた。不耕起やら、無農薬に無肥料やらと、変わったやり方でも、どうやら お米は育つらしいということを 3年間という時間を通して、いくらか理解してくれたのかもしれない。異なる方法でも興味を持って、幾つか質問してくれたことも嬉しかった。

お米が収穫できることは歓びだ。だけど、Oさんと最後に心が通ったように感じたことは、なんともいいがたい感無量さと、心の平安さをもたらしてくれた。
 
 おかげ様で今年も、今のところ稲は なんとか順調に育ってくれている。30年以上前に、ここの地域の 男衆が力をあわせて 自らの手で足で汗を流し 水路を整えたという。おかげで現在は川から田んぼに引く水が 途中で土に染み入って漏れてしまうことなく水田に引く十分な水量が保てるようになり、その恩恵に、ありがたく あやからせいていただいているわけだ。

そのような経緯を十分に知らなかった僕は 水路がコンクリートですべて固められた影響で、ドジョウや、ホタルがいなくなってしまったのでないかと、マイナスな一面にだけに光を当てていたところが、かつて幾らかあったとおもう。人は皆、それぞれに時代時代で最善だと思われ、良かれと考えたことを 選択しつづけているのだ。ときに迷いながら。だからこそ 今出来る、ひとりひとりの真ん中にある素直さに したがっていこう。そして互いに尊重しあっていこう。

 昨晩、雨の中、田んぼを訪ねるとホタルがいた。雨の夜の闇の中、4匹か、5匹の明滅するホタルの光。ぼくらが知っている以上に 自然の力は 生命の力は 精妙で強いのだ。ぼくらは、かつて誰かが見た夢を、もうひとりの わたしが見た夢を 今 ここに生きている。そして、わたしや あなたが 本氣で見た夢が 世界を創っていく。

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