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第13話 いざ、退職届

https://note.com/hoshinoyuki/m/m003e7f057cad

※週刊連載の13回目です。

『おめでとうございます! 内定の通知が届きました!』

転職エージェントの担当者からの、2回目の転職活動の内定の知らせ。メールを開いたのがホステルに帰り着いた23時ごろだったけど、夕方には届いていたらしい。

月曜日に一次、水曜日に最終面接、そして内定をもらったのが金曜日。

このスピード感がシンガポールなのか。日本だったら1ヶ月以上かかるだろう転職フローを1週間で駆け抜けた。

私でいいんだ。あの優しそうな人たちと一緒に働いていいって呼ばれてるんだ。よかった。
そして、今の仕事を辞めることができるんだ。やめちまえって言われてやめられる。ホントによかった。
転職エージェントの担当者に、ありがとうございます、ぜひよろしくお願いしますと短く返信する。じわじわと喜びがこみあげてきた。

こうして1社目の在職期間わずか40日で、2社目の内定が決まった。

まだシンガポールにいていいんだ、がんばれよと、二重マルをもらえた気がした。
そして、面接で話したあの英国紳士みたいな穏やかに微笑む社長のもとで、にぎやかな人事部長や店長と一緒に仕事をさせてもらえるんだ。

気持ちは完全に次の場所へ。
その前に、いよいよ言わないと。辞めますって。荻野さんに退職を伝えるんだ。

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正しい退職のススメ

はじめての海外就職で、はじめての退職。あれ、そういえば、シンガポールで退職ってどうやるんだろう?

「海外 退職」のキーワードで検索してみると、たくさん出てきた。

シンガポールの退職のステップは、① resign letter いわゆる退職届を直属の上司に出す ②退職する何ヶ月前に事前に申し出ること、と雇用通知に記載されているので、退職届を出したあとは定められた期間だけ勤務する ③その期間を満たさないと給料不払いなどが起きる。

誰かに聞かなくても、検索ボタンをクリックすればなんでも教えてくれる。便利だな。
ネットの情報にあった通り、雇用契約書には退職の手続きについて書かれていた。

私の場合、入ったばかりの研修期間だったので、退職届の提出からわずか1週間で退職できる契約になっていた。バイトでも同じようなことがあるけど、辞めますって言ってから残りの仕事をしぶしぶ消化する感じと気まずい雰囲気が苦手なので、あの空気とモチベーションの低さを1週間で済ませることができるのはありがたい。

もう転職先が決まったの? 日系ブラック企業から逃げ出すなんて、絶対無理だと思ってたよ。すごいね、よくやった!

内定をもらった翌日の土曜日、朝からせっせとジムに出かけるししもんに会って、内定をもらったことを伝えた。ウキウキで話す私に、ししもんがさらっと放った一言で、どん底にたたき落とされた。

ししもんは優しいんだけど、自分でも認めている通り、デリカシーがない。
28歳フリーターがシンガポールで内定とビザもらって働けただけでもミラクルなのに、そこからさらに転職までできるなんて。
うん、客観的な事実だ。それを直接言われると、自分の低スペックを指摘されているようで落ち込むけど。

実際、この頃シンガポールの現地採用はどんどん厳しくなっていた。政府が、外国人雇用の受け入れを制限し始めたからだ。
私と同じように、ししもんとSNSで仲良くなって、ホステルに転職活動に来る人は何人かいたけど、内定がもらえないまま日本に帰国する人が多かった。

どこでもいっしょだと思うけど、転職は運とタイミングだ。その運とタイミングを引き寄せるには、引き寄せるまで行動し続けるしかない。
シンガポールに来て、最初に面接で10社以上落ちまくった時も、2回目の転職活動を決めた時も、とにかく行動しつづけてよかった。
ししもんがいなくなったホステルのベンチで、シンガポールに来てから駆け抜けた2ヶ月をしみじみとふりかえる。

ぽちぽちと検索しながら、退職届の文面をコピペで完成させる。よし、準備はできた。
ご相談があります、と荻野さんにメッセージを送った。
荻野さんからの返事はすぐに返ってきて、月曜日のお昼に会うことになった。

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上司の真意

「やる気ないからやめちまえって言われて、いろいろ考えたんですけど、やる気ないのでやめます」

月曜日。
出勤した店舗のちかくのカフェで待ち合わせて、荻野さんが向かいに座った途端にいきなり本題を切り出した。同時に、ホステルで印刷して準備しておいた英文の退職届を、すっとテーブルの上に差し出す。

荻野さんは目を丸くして、しばらく何も言わなかった。

え、どうしたの? いやぁ、いきなりそんなこと言わないでさ、もう少しだけ俺たちと一緒に頑張ろうよ

初めて見る弱腰な荻野さんだった。毎日のようにバカだのクズだのつかえねえだのと、ひどい言葉を投げかけていたのに、やっぱりやめさせる気がなかったんだな。
そして、あんな態度でいても、部下は自分についてくると思っていたんだろうか。

これまでの高圧的な態度から一変して、ひとしきりおろおろしてから優しい声でべらべらしゃべりまくる。

せっかくがんばってきたじゃない。君のこと見込んでるんだから
新店舗もオープンすることだし、エリアマネージャーにどんどん任せたいんだよ
次の仕事はどうするの? シンガポールから日本へ帰るの?

引き留めたり、心配したり、いきなり仕事の展望を語ったり。なんだこれ。自分の表情が固まっているのが分かる。
予想を越える急展開に理解がおいつかない。怒りを通り越して呆れるとはこういうこと、なのかも。

とはいえ、こちらだって先方以上に穏便に済ませたい。これまでの仕打ちをやり返したり、不満をぶつけたり、なにかガツンと言ってやりたい気持ちはあるけど、もう関わることはないんだからエネルギーがもったいない。

とりあえず、気が済むまでしゃべってもらおう。そして退職を受理してもらおう。
そう決めて荻野さんの話に耳を傾ける、ふりをした。

オレも、君くらいの頃はいろいろ大変でさ
新卒で日本の商社に入ったんだけど、上司から毎日怒鳴られて、昼も夜も土日も働いてさ
でも、あの頃があったから今のオレがいるんだと思うんだよね

荻野さんが、だんだん面接の時以来の語りモードになっていく。
めんどくさいなと思いつつも、これで最後だと自分に言い聞かせて、耐える。

荻野さんの壮大な回想録を聞き流していると、どうやらこの人も上司のパワハラや社内の人間関係で苦労したらしい。今の私と同じ立場のような。

だからか。自分がされたことを、そのまま次の誰かにやってしまう。
辛くあたられた人は周りに辛くあたるし、優しくされた人は周りに優しくなる。

荻野さんにとって、社内でのコミュニケーションって、きっとこういうものなんだろう。
いいとか悪いとかじゃなくて、叱りとばすことで能力を伸ばすとかなんとか思ってるのかな。

私のことが嫌いだとかじゃなくて、こういう形でしか接することができない人なんだなと、荻野さんの熱い語りを聞き流しながら感じた。

だからさ、辞めるなんて言わないでもうちょっと続けてほしいんだよ

あれ? 聞いてるフリをしながら聞き流していたら、話が一周してふりだしに戻っている。
荻野さんは自分の過去を例え話に、私を引き留めようとしていたらしい。

「そうですね。じゃあ、最終勤務日は雇用契約書にある通り1週間後でいいですか?」

説得に応じるはずもなく、簡潔に直球で返す。荻野さんはエッという顔をしている。
エッ、じゃないから。辞めるから。

なんで辞めるの?

話し疲れたのか、あきらめたのか、最後に荻野さんにたずねられた。
なんで辞めるのか、荻野さんにとっていちばん分かりやすい理由は…

「そうですね。やる気ないならやめちまえ、って言われて考えた結果、やる気ないからやめようと思いました」

コレが決定打となり、荻野さんはしぶしぶ退職届と受理してくれた。

あー、スカッとした。
いつまで続くか分からないブラック企業での勤務は、思いのほかあっけなく終わりを迎えた。

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