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第7話 いよいよシンガポールでお仕事はじめ! 研修期間はたった1日?

「朝ごはん食べた?」から始まる朝

2014年5月下旬。就労許可の通知がシンガポール政府から届いたと荻野さんからメールが。

明日は9時に、面接の時の店舗に出勤してね。
時間厳守で。
仕事についてはジュノから聞いて。

会社支給のiPhoneにポポポーンと荻野さんからのメッセージが立て続けに。面接以降、荻野さんとは顔を合わせることはなく、必要な時だけメッセージのやりとりをするだけだった。

ラクっちゃラクでいいけど、本当にこれでいいのかと不安になる。

いよいよ仕事の初日!
はりきって始業時間20分前に店舗に出勤したら、誰もいない。当たり前か。もう少ししたら誰かスタッフが来るだろうと、落ち着かないので店舗があるショッピングモール内をぶらぶらを回ってみた。
1分ごとに時計を見て、5分前になった頃に店舗の前に戻ると、眠たそうなジュノがカウンターに座っていた。

「おはよう! 今日からよろしくね! 今日は初めてなので、仕事についていろいろ教えてください」

…OK。これ、指紋認証。出退勤はコレで管理されてる。

やかましい私の挨拶とは対象的に、ジュノはパソコンのUSBに接続されている指紋認証のマシンについて教えてくれた。ジュノ、なんかめんどくさそう。

だんだん分かってきたけど、私に対してだけでなく、ジュノはいつでも愛想がない。けれどスタッフとお客さんからの信頼度はものすごいらしい。仕事への情熱は青い炎といったカンジ。商品知識やお客さんひとりひとりの趣味や好みに関する情報量が、プロってこういうことかと関心する。

彼女も私も役職は同じエリアマネージャーなので、先輩といったところか。たくさん仕事を教わって、バンバン働くぞー! 夢と期待に燃えている私だった。

やった! セーフ!あ、おはよー

勤務開始1分前にスタッフ2人がバタバタとカウンターにやってきて、すばやく指紋認証をすませる。なんていうか、いわゆるギャルっぽい2人。
メイクがばっちりで体にぴったりフィットのトップスにミニスカート。あと両耳のピアスが大きい。親指と人差指で○をつくったくらいのリングピアス。
気が強そうでちょっとこわい、というのが第一印象。

バッグをカウンターの奥にドサッとおろしながら、1人が言った。

ねえ、朝ごはん食べた?


ピンと上向きまつげの両目が私とジュノを見ている。
えっと、まずはじめに聞きたいのは名前とかじゃなくて、朝ごはん食べたかどうかなの?
「うん、家で食べたけど」と私。
「わたしいらない」とジュノ。

OK! じゃあ私たち買ってくるね

笑顔でそう言って、2人は財布とスマホだけ手に持って出ていった。
勤務時間が始まってから朝ごはんを買って食べるのか。ゆるくていいな。

これぞ求めていたアジアっぽい働き方! と、ひとりこっそり感動していた。

お店で日本人は私だけ。スタッフは全員シンガポール人とマレーシア人。みんなと一緒にゆるく楽しく働けるといいな。
朝ごはん食べた? から始まる仕事に就くことができた。

念願の海外転職。国際色豊かなスタッフ。
やっと手に入れた憧れの環境で、うまくやれたらいいと願った。

研修期間わずか1日、通常勤務で厳しい叱責の2日目

1日目はジュノから会社のシステムのこと、メールチェックや顧客管理のルーティンワーク、販売について、締め作業なんかについて一通り教わった。

うちのこと分かった?じゃあ明日から店頭で接客とカウンセリングしてね。
うちは高級ブランドだから、立ち振る舞いや言葉遣いに気をつけるように。

ポポポーンとメッセージを荻野さんからの受信。いきなり接客?
ジュノから受けた説明によると、お店の奥に個室で、そこでカウンセリングをやったり実際にお客さんにスキンケアを施すらしい。1回で毛穴ゼロの美肌が実感できるんだとか。
女性向けのスキンケアやメイク関連の販売するお店。高級ブランドの店頭にいきなり素人が立つってどうなの…

しかしこれも仕事。上司から言われたらやるしかない。
よし、明日からガンガン売ろうじゃないの!

2日目 出勤。5分前にお店に着くと、ジュノがカウンターでパソコンを操作していた。
おはようと言いながら指紋認証。

さあ、今日も働くぞー!

コレ、今日から使って。

ジュノからスッと渡されたものは、ICレコーダー。

お客さんとの会話を全て録音して荻野さんに送るの。

えええ! 録音?なんか監視されてるみたいで嫌だなあ。
店頭での会話や、カウンセリングの内容などを全て記録して送らないといけないらしい。

じゃあ、あとやっといてね。ほかの店舗を巡回してくる。

メールチェック、本部との定期連絡、顧客データ更新など、昨日教わったことをひとりでやる。忙しい。
メールボックスをクリックすると、日本の本社からの問い合わせが届いていた。至急って書いてある。これ、なんて返事したらいんだろう?
ジュノにメッセージを送ると、

私の担当はローカル顧客。日本のことは知らない、荻野さんに聞いて

すぐにそっけない返事が。荻野さんか…。
できれば連絡したくないけど、仕事はちゃんとしないといけないと思い、荻野さんにメッセージで聞いてみた。

そんなのいちいち聞かないで。自分で考えて返信。

予想通りの丸投げ。私がものすごい返信したら、上司であるあなたの評価にも影響があると思うんですが。
仕方ない、返信しろと言われたらそれが仕事。分かる範囲で返信した。

今日の店舗スタッフは3人。昨日と同じように朝ごはんを食べたあとは、鏡を見て髪型やメイクを入念にチェックしたり、スマホで韓流ドラマを見たり、お客さん用のソファに座ってくつろいだり、自由に過ごしている。

その日は土曜日で、週のうちで来客が多い日だった。お客さんに呼ばれるまで動かないスタッフ。もうちょっとちゃんとしなさいよ…。と内心思いながらも、口うるさく言わないようにした。彼女たちのやり方で今までやってきたんだから、と自分に言い聞かせる。

スタッフ3人の担当はシンガポール人のローカル顧客で、私の担当は日本人。お客さんがお店に来るとすかさず話しかけて覚えたてのセールストークを必死にしゃべっていたら、ICレコーダーの存在をすっかり忘れていた。

成果はどう? はやく録音データ送って。

カウンターに置いていたスマホがポーン。荻野さんからのメッセージだ。忘れていたなんて、言えるわけがない。けど返事しなきゃ…。

すいません、午前中忙しくて録音してませんでした、と正直に返信した。

すかさず手の中で振動するスマホ、着信だ。おそるおそる通話ボタンをタップすると

録音できなかった? なにやってんの? やる気あるわけ?

という言葉からしつこく問いただされた。じわりと嫌な感覚が湧いてくる。

もっとちゃんとやれよ!

ブツリと一方的に電話が切れた。なにか嫌なことでもあったのかな、八つ当たりというやつかも…。

グサッと言う人だなあ、っていうのは面接で初めて話した時から感じていた。けど「言い方キツいよ」って私もよく言われるから、まあ性格なんだろうと思うことにした。

なにより、内定もらって働きたかった。

コレが毎日続くのかな?

私やっていけるのかな?

幸いにもほとんど顔を合わせることはないし、なんとかやりすごすしかないか。たった2日目にして、かなりしんどいけどなんとか仕事は続けたかった。

なにこれ! マジウケるんだけどー!

電話が終わってぐるぐると考え込んでたら、ギャルの嬌声が耳に飛び込んできた。
スマホの小さな画面を3人で見ながらゲラゲラ笑っている。
うるさいなあ。

「ちょっと静かにしてよ!」

3人を注意すると、思わず鋭い声が出てしまった。
無言で私をじっと見て、中国語でおしゃべりを始める。

うちの職場は中華系シンガポール人と中華系マレーシア人がほとんどで、普段のおしゃべりは中国語。
なんか悪口言われているんだろうな、と中国語で盛り上がってる3人を横目に見てまた落ち込む。

荻野さんからグサグサ言われた直後だったせいか、言い方が悪かった。
スタッフとは毎日一緒に仕事をするので仲良くなりたい。
今日の反省を活かして、明日からは少しずつ会話を増やして仲良くしよう。時間をかけないと。

静かなエリアマネージャーに 、にぎやかなスタッフ。
そのどちらともうまくやれない外国人の私。
憧れの国際色豊かなスタッフとの仕事は、全然キラキラなんかじゃないという現実に直面した。

24時間鳴り止まない携帯

録音 早く送って

またメッセージ。午後は忘れずに録音したけど、お客さんとの会話続かなかったし、カウンセリング実施は0。
また怒られる…でも録音送らないともっと怒られる…。

『わかりました。メールで送ります』
短く返信してパソコンの前に座り、気合いを入れて添付ファイルありのメールを送った。
すぐにぽーん、とスマホが鳴った。うわぁ、怖い。

なにこれ? 全然ダメじゃん。センスなさすぎ

ザクッと!!
覚悟していても辛い。

『すいません、次はもっとがんばります。』

ちゃんとやって。

全てのメッセージがあけすけに辛辣になってきた。
すいません、ばっかり言ってると自分はなんてダメな人間なんだろうと落ち込む。

土曜日は閉店直後までお客さんが絶え間なくやってきた。慣れない接客に消耗して、閉店作業までの全ての業務を終える頃には22時になっていた。
疲れた…。
カウンターの引き出しに入れっぱなしにしていたスマホを取り出すと、メッセージ通知と着信通知がポポポーンと表示された。ああ、チェックしてなかった。

日報、全然ダメ。やり直し。
まだ? 10分以内に送って。
なにやってんの?(笑)(笑)

またなにか言われてる、どうしよう。
日報は接客数、トーク内容、顧客の特徴、商品ごとの販売数、その日の反省、など項目が多くて時間がかかる。やり直しっていきなり言われても、どこをどうやってやり直したらいいのか。

退勤時間だからもう返信いいかな…頭が働かない。

夜はさすがにそこまでしつこくないだろう、という私の見通しが甘かった。

お店からバスに乗って1時間ほど、バス停で降りて、もう少し定住しているホステルに帰宅。もう11時を過ぎていた。やった、眠れる。
あと少しというところでスマホが振動してビクッと体が固まった。

こわい、でも電話とらないともっとこわい…。

どこにいるの? 日報やり直しって言ったよね?

はい、と小さく返事をした。

早くやれっつってんだよ! 今から10分以内に日報送って。

あきらめて、わかりましたと答えた。

日報、やらないと。

ふらふらとホステルに戻って、外のベンチでノートパソコンを操作した。
でもやっぱりなにを修正したらいいのか分からなくて、半ばヤケになって適当に文章を付け加えてメールで再送した。

スマホの通知をオフにしてもそもそとベッドにもぐりこむ。今日という日を強制終了したい。とにかく寝て回復したい。

翌朝、頭がしびれるような感覚で目が覚めた。ハッとしてカバンの中のスマホを引っ張り出すと、荻野さんからの不在着信とメッセージ。深夜0時すぎてるんだけど。

やっとつかんだ内定の先に待っていたのは、よくある日本のブラック企業の労働環境。
シンガポールまで来てなにやってるんだろう、こんなことがやりたかったんじゃないのに。でもここしか内定もらえなかったじゃん。

自分で自分を責めて、ひとりで勝手に苦しくなっていった。

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