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もっと自由に、もっと強く生きるための現地採用2.0 【インド→マレーシア→??】

現地採用という手段を通じて、新しい時代の新しい生き方を模索するこちらのインタビューシリーズ!

今回のゲストは初めての海外転職をインドで、そしてマレーシアへ、そして次なるステップを踏み出すりこさんです。

日本を飛び出して働こうと決めたきっかけや、コロナの影響でめまぐるしく変化する状況で悩んだことなど、リアルなエピソードをたくさんうかがいました。

サクサクと軽快に話してくださるりこさんですが、「これってまさに、波乱万丈の人生というヤツなのでは・・・」と想像をはるかに越えるエピソードが満載でした。人生の先輩としてアドバイスをうかがいたくなる経験値の数々!

経験の豊富さとそれを乗り越えて成長しているりこさんのこれまでとこれから、そしてコロナの影響を受けて今感じていることなど、みっちりインタビューさせていただきました。

はじめに

みなさんこんにちは、りこと言います。
現在はマレーシアのジョホールバルという街で日系企業メーカーの営業職をしています。
マレーシアの前はインドでも働いていました。

海外での生活にずっと憧れていたんですが、日本で働いているときは自信がなくて、実際に海外転職するまで日本で4年間働いていました。

海外で暮らすなんて私にはきっと無理だ
海外転職なんて難関だろうし、お金もかかるし、限られた一部の人だけができるんだろうな

そんな風に決めつけていました。
でも、実際にやってみるとそんなことはなくて、初めての海外転職先のインドも、その次のマレーシアも、未経験でも、お金がなくても、自力でなんとかなりました。
もっと早く動いて挑戦していればよかったな、と今では思っています。

「もう失うものはなにもない」からの海外転職を決意

大学卒業後、管理栄養士として4年間、病院勤務をしていました。

管理栄養士の仕事は、食事の管理はもちろん
それぞれの患者さんごとのメニューづくりや入院中から退院後の食事指導まで、食に関わる幅広い業務を担当します。
また重篤な患者さんに対し、医師、看護師などの多職種連携でチーム医療の一端も担う仕事でした。

患者さんとコミュニケーションを取りながら食事について意見を聞き取りすることも重要な仕事だったんですが、勤務先は救急病院だったので、患者さんの入れ替わりが多く、毎日はじめましてと挨拶しながらいろんな患者さんと話をしていました。

情熱に溢れた素敵な上司や先輩に囲まれ、やりがいもあって楽しく働いていたんですが、その一方でしんどいと感じることもありました。

管理栄養士の仕事は国家資格なのに給与は安く、その割には割とハードな仕事です。
厨房スタッフと病棟や患者さんとの板挟み、続けるための情熱が私には足りないと感じて、慣れてくると同じ毎日の繰り返しにちょっと飽きてきたなとか、地元を離れてみたいなと考えるようになりました。

あとは、全く違う仕事をやってみたい、新たな挑戦をしてみたい、という気持ちが大きくなっていきました。
そして仕事を続けながら、はじめての転職活動を始めました。

未経験歓迎のITエンジニア、健康食品の開発、なんかの営業など、とにかく新しい仕事に挑戦したい! と、第二新卒向けのような求人情報を探して応募しました。

この時の転職活動の経験を、海外転職にも応用することができたので、今となってはこれがターニングポイントだったのかなと思います。

そして内定をもらって、転職しようと思ったんですが、ここで運命の出会いがありまして。

ひょんなことから結婚して、病院を退職したけど転職はせず、主婦になりました。

さらにひょんなことから離婚することになり、およそ5ヶ月で結婚生活は終わりを告げました。仕事もなく、働いていなかったので貯金もなく、さあどうしよう、という状況。

今だったらなんでもできる
失うものはない
やっぱり海外に出てみたい…!

ふりかえってみれば、子供の頃から海外に興味があったんです。
見たことないものや新しいものをもっと知りたいという好奇心が強くて、海外で暮らすことにあこがれていました。

学生のときも留学したかったんですが、機会がなくて。
離婚した直後もお金がなかったので、やっぱり留学はできない。それなら働いてお金を稼ぎながら海外で暮せばいいや、と思って26歳の時に初めての海外転職を決意しました。

転職エージェントに登録して、片っ端から私の経験と能力で応募できる求人情報を探しました。
日本国内での転職活動を探していたときと似ているな、日本も海外も仕事探しは同じようなものかも、と感じました。

未経験でも応募できる仕事は、調べてみたら意外と多くて、私にもできそうな気がしました。
マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピン、インドネシアなどの求人を転職エージェントに紹介してもらい、複数の内定を頂けました。

その時はまだインドで働いて暮らすなんて想像もしていなかったんですが、転職エージェントに勧められ、ネットで情報検索しているうちに、

なんかインド楽しそう、でも環境厳しそう、と考えるようになって。

今いけるうちにいちばん厳しそうな環境に飛び込んでみよう
そこで生活できたら、きっと世界中のどこでも生活できるはずだ

そんな風に考えて、インドの求人に応募して採用されました。

初めての海外転職は日本とインドの合弁企業で、不動産の営業でした。日本人の顧客に物件を案内することが主な業務です。

インド生活は楽しかったです。毎日がアドベンチャー! って感じで。
日本人の現地採用の女性もいたので、集まって食事に出かけたりするのも楽しい時間でした。

ただ、仕事がちょっときつかったです。
休みは月に6日で不定期なので、せっかくインドにいるのに国内旅行もままならないのが残念でした。
結局、勤務期間9ヶ月でよりよい就業条件を求めてまた転職することに決めました。

インドでの生活は面白くて気に入っていたので、インド国内で転職したかったけど希望の条件に合うものが見つかりませんでした。
なので、インド以外にも選択肢を広げたらマレーシアでやりたい仕事を見つけて、運よく採用してもらえて、インドに残りたい気持ちもあって迷ったんですが、マレーシアでの転職を選びました。

インド、マレーシア、そしてコロナ

はじめての海外転職のインドは、未経験でも仕事をさせてくれるところをとにかく探して決めたので、今回のマレーシアでの仕事は自分の希望する条件をじっくり考えました。

今度の仕事はメーカーの営業で、4ヶ国担当とのことで、世界を飛び回れる仕事がかっこいいと思いました。
さらに、マレーシア拠点のインド担当として採用されたので、インド出張もある前提で話が進みました。

それが、今回のコロナの影響でなにもかも大きく変わってしまって。

出張で何ヶ国も飛び回って働くはずだったのに、毎日オフィスに出勤で。海外で働いているのに、会社の中は小さな日本社会みたいな働き方でした。

インドで生活できたから、どこでも生活できると思っていたのですが
マレーシアでの生活は平和すぎて、インドみたいな毎日がアドベンチャー! じゃなくて、物足りない感じがします。

それから、インドには同じようにがんばってる現地採用の女の子がいておしゃべりも楽しかったんですが、私が住むジョホールバルという街にはそういう人があまりいないです。

最初はとりあえず飛び出して、インドに行きました。

実際に海外に出て働いて、いろんな人に会って話をして、自分と異なる条件で働いている人を見て、努力次第でいくらでも選択肢を増やせるんだということを学びました。未経験で特別なスキルもなにもなかった自分が、初めての海外転職を経験したあとは、希望の条件を選べるようになりました。

最終目標は拘束されない自由な生き方

最終的に目指すのは、自由な生き方です。
ノマドワーカーみたいな、働く時間も場所も拘束されずに仕事ができるようになりたいです。

10年後のことを考えてって言われても、こんなめまぐるしいスピードで変化していく現代じゃ予想を立てるのも難しいと思っています。

世界がどうなっても、時代がどうなっても、自分の力で生きていけるようになりたいです。

初めての海外転職をインドに決めて、それからマレーシアでも働く機会に恵まれて、日本以外でも生きていける自信がつきました。
これからはもっと強く、もっと自由になれる生き方を模索します。

そのためにはリモートでも働けるようなスキルを身に付けるのが良いのではないかと思いました。
LinkedIn などで調べると、独立して仕事を請け負うことができそうな専門性のある求人情報もいくつか見つけました。

現職でも、今回のコロナ渦はリモートワークできる環境づくりをするチャンスだと思い、旧体制のままで働く上司に何度も提案しました。でも、今になっても何も変わっていません。

マレーシアでも外出禁止のロックダウン期間が1ヶ月以上あったのですが、会社からの指示は「自宅待機」のみ。

在宅での仕事は割り当てられず、変化に適応するための提案は、「もう少し待って」の一点張りでした。

人や会社を変えるのは限界がある、ならば私が変わるしかない

そう決めてから、さっそく行動に移すことに決めました。

今は自由な生き方を実現するための経験や実績を積むべく方法を模索しています。


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