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コロナ禍が私に運んできた○○

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コロナ禍が私にもたらしたものについて、あれこれ考えてみる。

自分の意志とガッツがあれば、いつでもどこにでも自由に行けると思っていた。
これまでは。

世界はすっかりボーダレス化して、安全で便利になった。LCC格安航空路線の恩恵を受けまくって、引越しも転職も旅行も、パスポートを片手にフットワーク軽く飛び回っていた。日本のパスポートは観光ビザを準備しなくていいのも、海外ホッピングに拍車をかけてくれていたんだな。

アジア圏全域の行動範囲が当たり前だったので、2020年は全く身動きが取れなくて窮屈で仕方がない。真夏の青い空を見上げると、見えない網でも張り巡らされているようでなんだか憎たらしい。ぐぬぬ。

スマホでチケット予約して、翌日には空港で出国ゲートを抜けて免税店の香水やサングラスの売り場をブラブラして、飛行機に乗り込んで。ホントあれ、映画館に行くような気軽さだった。

これまではシンガポールでも中国でも、理想の条件に合う仕事があればホイホイ行っていたのも、このアジア圏の移動ハードルがめちゃくちゃ下がったからだった。
「ダメだったら日本に帰ればいいや」と思えたから何度でも挑戦できたし、異国の地でなんか辛くて寂しくてどうしようもなくなったら、1週間休みを取れば日本に一時帰国してたっぷりリフレッシュすることができた。

なのに、この状況。
自宅がある中国に再入国するためには居住地の役所から「戻ってきてヨシ」とレターを発行してもらい、ビザを取得しないといけない。さらに一度日本を離れたら、次はいつまた日本に帰ってこられるのか、先が全く予想できない。

二拠点生活とか海外ノマドワーカーとか、最近流行りのワーケーション?
どれもキラキラ輝いて、ライフもワークもバランス取れてて充実してるように見えるけど、帰る場所が定まらない生活って実際やってみるとなかなか慣れないですね。子どもの頃に憧れていたスナフキン、実はすごいサバイバーなのかも。

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というわけでまず初めに思うことは、これからは「いつでも日本に帰れる」とか「ここがダメでも他の国でまた挑戦すればいい」という心のセーフティネットは機能しないってこと。

今いる場所でできる最善の方法を考えないといけないし、状況が良くも悪くもひっくり返る可能性も考慮しないと。
置かれた場所で咲きなさいって、こんな世界に向けられたメッセージだったんだろうか。

身軽さがウリでやらせてもらっていた海外転職キャラの私としてはしんどい状況。
なにがどうなるかわからない不安定な世界情勢では、そりゃあ生まれ育った土地から離れたくないよね。
だからといって2020年の日本、特に労働環境や生き方に関して、定住したくなる魅力があるかと言ったらNoですね。

不安定な世界情勢で海外移住をするのも、トップがひとりブラック労働で生産性のなさしか感じられない日本でも、どちらも選んでもリスクはある。
自分が選んだ道のその先を、正解に近づける努力をして、「これでよかったんだ」と思うしかない。
自分軸を持つ、というアレだ。他人の意見も評価もふりきって駆け抜けるのがいい。

やりたいこと、そしてやりたくないこと、どちらも追求した私がたどり着いた先にあったのが、中国・深センでの日本語教師という仕事と現地の暮らし。

それが現在は日本で無期限リモートワーク。
1日3時間くらいガッと集中して働いたら、あとは完全フリー。
通勤時間も移動の手間もなく、化粧も洋服選びも不要になったらすんごい楽になった。
働くというタスク遂行のためだけに、こんなにも時間もエネルギーも消耗するものが付随していたのか。無くなって気付かされるムダの数々。
まあ通勤やファッションにも楽しみがあったとも言えるけど。ここまでひとつ残らずなくなってしまうと、物足りない気もする。月イチくらいなら洋服選んでメイクして出勤してもいいかな。

予想外の超時短勤務が始まり、なにかしてもいいし、なにもしなくてもいい、ぽっかりした時間がいきなり出現した。毎日8時間くらいのぽっかり空いた時間。

給料は満額もらっているので、アルバイトなんかで時間と労働力を切り売りする必要もないし。

趣味に思いっきりのめり込んで時間を注ぎ込んでみたり。

たまに友達との交流もあって、オンライン飲み会で他愛もない話で盛り上がって。

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なにかしてもいいし、なにもしなくてもいい。
止めることも巻き戻すこともできない時間は、ただ過ぎ去っていく。

いつかここを離れるんだろうか、いつなんだろうか。
ずっと先のことなのか、それとも案外すぐそばまでやってきていたりして。

なにやってるんだろう。
なにがしたいんだろう。
なんで生きてるんだろう。

寄せては返すおだやかな、まるでさざなみのような生活の繰り返し。

これがずっと続くわけじゃないけど、いつ終わるのかも分からない。

不安になったり落ち込んだりもしたけど、今ではあきらめがついて、1日1日を楽しむことに集中しようと決めた。

・・・・

とまあこんな調子で、観念的な思考回路にハマってしまってまあ大変。
コロナ渦は時代性をなにもかも急速にしてしまった結果、私のもとに時代をすっ飛ばしてやってきたのは、まさに老後の生活。

時間もお金も余裕があって、趣味があって友達がいて、なにかしてもなにもしなくてもいい毎日の繰り返し。
朝起きて、よし生きてると確認して、明日はどうなるんだろうと眠りにつく。
そんな毎日がいつか終わるんだろうな、いつなんだろう、とぼんやり考える。

なにこれ、もうパーフェクトなるリタイアメントじゃん。
コロナ禍で進みまくったスピードが、私に老後みたいな世界を見せてくれているなんて。

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学生の時は時間とエネルギーがありあまってたけどとにかくお金がなかったし、働き始めたらお金があっても時間が全然足りない。
それに比べて現在の私ったらもう、こんなに全方向余裕のある生活なんてもうしばらくないだろうと確信している。

30代や40代で元気に動けるうちにリタイア生活を前倒しすることを、サバティカルタイムと最近では呼ぶらしい。
これは老後じゃなかったか、人生における学び直しの時間。

不便で窮屈だし、先行き不透明だらけだけど、
その限られた条件のもとでめいっぱい悪あがきして「あれが人生のターニングポイントでした」ってフラッシュ浴びまくって発表してやるんだ。なんの発表かはまだ知らんけど。

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