漫画を描いていますという話

こんばんは。
今夜も、私の長い長い自分語りの一部をお話ししたいと思います。

私は幼少の頃より漫画を描くことを楽しみにしています。
初めて漫画を描いたのはいつだったか覚えてはいないのですが、小学校四年生の頃に弟と一緒に漫画をたくさん描いたノートを作って、「コミックボロボロ」という幼年誌のもじった名前をつけたことはしっかり覚えています。
意識的に漫画を描き始めていたのは多分大体その辺だったんじゃないかな、と思います。

小学五年生の頃、両親がマンションを購入したため、川崎市から町田市に引っ越し、それに伴って転校しました。
転校先には、漫画を描くのが得意なE君という眼鏡でハスキーボイスの男の子がいました。
彼は星のカービィをモチーフにした、今でいう二次創作漫画をノートや自由帳に描きまくっていました。

私にとって、それはかなり悔しいものがありました。
生来負けず嫌いの私は、こいつに負けたくないという気持ちがムクムクと湧き上がりました。
何しろE君は描くのが早い上に上手だったからです。
他にも漫画や絵を描くクラスメイトはいましたが、E君はそういう自分の特技を前面に押し出していました。

仲良くなりたい気持ちと、悔しくて認めたくない気持ちの間に挟まったまま、ある程度仲良くなりました。
ある時、2人で自由帳を絵で埋め尽くそうとしました。
私が描くよりも圧倒的に早いスピードで(カービィは造形が簡単なので今考えると当たり前なのですが)、彼は私の自由帳の白い面を埋め尽くして行きました。
正直に言えば、かなりムッとしました。
お前、俺の自由帳なのにちょっと出しゃばりすぎじゃないか?
そういう気持ちが湧き上がりました。
私は、帰宅した後、彼の描いた鉛筆画を次々消しゴムで消滅させていきました。

翌日だったか、しばらく経った後かは覚えていませんが、その事で喧嘩になりました。
お互い小学5、6年生程度のことですから、さもありなんです。
それでも、お互いに仲が悪くなるということもなく、認め合いつつも一線を引くということは覚えたように思います。

その頃私はオリジナルのキャラクターを考えて(丸と三角を組み合わせたような簡素なデザインですが)、彼を主人公にした冒険漫画を描いていました。
この頃は、コマを割るということがよくわからず、全てのコマを同一の大きさで描くということをしていました。
でも、この方法だと当然ですが漫画の印象は淡々とします。
とても熱いバトルや腹を抱えるようなギャグを読ませるようなスタイルではありません。
私は、当時購読していたコミックボンボンを参考に、コマを割ることやページをめくった時に見せるべきものというのを学びました。
この作品は、中学校に上がった頃まで描き続け、完結させた初めての作品になりました。

中学校に上がった頃は思春期です。
他人の目を必要以上に気にする時期です。
漫画を描かなくなりました。全く描きませんでした。
馬鹿にされていじめられるのは目に見えていたから、というのもありますが、それ以上にE君という漫画におけるライバルとあっさりと疎遠になったことが大きいように思います。

そのうち高校生になりました。
高校でも漫画を描く機会はありません。
しかし、ムクムクと漫画を描きたい気持ちが湧き上がりました。
その当時、私はライトノベルにハマりまくってました。
漫画は自然とそのような感じになりました。
しかし、ここで大きな問題が立ちはだかります。
私にはデッサン力が無かったのです。
小学生の頃に描いていた漫画は簡単なキャラクターだったので、気づかなかったのです。
ライトノベルというものは、当たり前ですが幼年誌のような簡素なデザインのキャラクターが動くわけではありません。
大抵は青少年を主人公にしています。
可愛らしいヒロインも必ずいます。
つまり、最低でも平均的な男女は描けないといけませんでした。
しかし、自分にはその能力が一切育っていませんでした。学んでないから当たり前ですよね。
そういうわけで、美術部に入りました。

美術部は、私に絵を描かせてくれませんでした。
ガタイが良かったせいか、美術は美術でも大道具というか、要するに文化祭の設営役を流してきたのです。
しかし、私は生来不器用なので、そういう美術に関しては全く歯が立ちませんでした。
私は美術部をあっさりと辞めました。
文化祭の準備が必要な夏休みの間、顧問から延々電話がかかってきましたが全て無視しました。
私はデッサン力が欲しかったのです。

その頃インターネットにどハマりしていた私は、お絵描き掲示板お絵描きチャットという遊びに没頭していきました。
そこは大変素晴らしい学びの場になったのです。
何しろSNS全盛の今と違って一期一会が基本です。
どれだけ絵が上手い人がいても、その場でしか見られないのです。かぶりつきました。
しかも素晴らしいことに、お絵描き掲示板にはアニメーション再生機能という今でいうタイムラプスがついていて、お絵描きチャットはその場でリアルタイムで描いていく状態がわかるのです。
こんなに勉強になる環境は他に無かったです。
なにしろ、プロで活躍しているイラストレーターやアニメーター、漫画家もとにかくみんなごった煮だったのです。
せこい美術部なんかよりも遥かに勉強になる環境でした。
この環境にどっぷり浸かります。
今でもここで学んだことは活かされています。
ただ問題はありました。
基本的に漫画を描くツールではないのです。
つまり、ここで学べたのは漫画の技術ではなく、イラストの技術だった(しかもかなり限定された道具を使った)んだと思います。
現在のSNSでもそうですが、インターネットはイラストを中心に回っているところがあります。

そこで、というわけではないのですが、同人活動を始めることにしました。
ほぼゲームセンター通いと同時期です。2007年でした。
当時20歳、やる気に満ちていたということだと思います。

その当時の道具はコミックスタジオというアプリケーションです。
これはかなり漫画を描くことに特化したアプリで、これ一つあればGペンもスクリーントーンも必要ないのです。
ゲームセンターの項でも書きましたが、当時の自分はお金が無かった。(今もありませんが)
こういう消費しない道具というのはあまりにもありがたい存在でした。

初めての同人イベントは蒲田でした。
その時出した漫画は二次創作です。某アニメのギャグ四コマ漫画を20P程度描いて、いわゆるコピー本という手製本の同人誌を頒布しました。
初めての参加でしたが、楽しく描くことが出来て、頒布も無事に終えました。
概ね、満足のいく結果だったと思います。
この後も年に数回程度でしたが、定期的にイベントに参加していきました。
しかし、この間特に漫画は上手くならなかったし、絵も上手くなりませんでした。
なぜなら、イベント参加する時以外はとにかくゲームセンターに通っていたためです。
この頃漫画を描こうという気持ち以上に、ゲームが強くなりたかったのです。
それでも、同人作家としての歴が重なってくると次第に自分は漫画が描ける人間であると勘違いしていきました。
所詮他人のふんどしで相撲をとっているに過ぎないのに。

そうこうしているうちに、やはり東日本大震災でショックを受ける時期になりました。

この時改めて自分の活動を省みました。
ゲームセンターの項でも書きましたが、本当にこのままでいいのか?と思いました。
自分にも何か出来るんじゃないか?
漫画とか…も思いましたが、残念ながら所詮ゲームセンター通いの片手間です。
そんな力は自分にはありませんでした。

当時、私にはアニメーターをやっていた友人がいました。
彼も同人活動を始めるのですが、自分と違って本気で絵で身を立てる気のある男だったので、メキメキ頭角を表し、あっという間に人気作家になりました。
それを側で見ていた自分には、あまりにも呆気にとられるスピードでした。
しかし、彼はアニメーターも辞め、同人作家も辞め、消息を断ちました。
ゲームを作りたいという強い夢があったようです。
今、彼が何をしているかわかりません。
だけど、きっとその実力を持ってゲームを作っていると信じています。
そんな友人を間近で見て、自分も発奮するものがありました。

そうして発奮した私は、ゲームセンター通いを辞めた裏で、同人活動に力を入れていきました。
26歳からの再出発です。
26歳なんてまだまだやり直せる歳ですが、当時は背水の陣の気持ちで始めました。
初めて、完全オリジナルで同人活動を始めたのです。
その当時、いわゆる百合ジャンルで漫画を描き始めました。
萌え四コマというジャンルです。

しかし、これがびっくりするくらい空振りでした。
二次創作の同人誌は大した数ではないにしろ、用意した数は捌けるくらいのことはありましたが、オリジナルはびっくりするくらいだれにも興味を持たれなかったのです。
そこで二つ気づきました。
自分のファンだと思っていた人たちは、二次創作元の作品のファンだった、ということです。
そしてもう一つは、自分の腕前は全くのオリジナルでは通じない程度のものだということでした。
初めて参加したオリジナル作品限定の同人誌即売会コミティアは、弱気で10部持っていって10部持ち帰りました。
同情を買ったのか、同人関係の知人が2部貰ってくれました。
それで初参加は終わりです。
まざまざと自分の腕の無さを見せつけられた結果でした。

そこから一念発起するかと言えば、そうでもありませんでした。
若さ特有の万能感がなりを潜めていったのです。
それに重なって、コンビニ夜勤を始めた結果体調を大いに崩しました。
もう描くのはやめてしまおうかと思うほどでした。
これで最後かな、という気持ちで友人を集めてオリジナルの合同誌を作りました。
これは十数部程度捌けました。
初めて、サキュバスを題材にセクシー路線の漫画を描き、これに光明を見た気分でした。
それを最後に、2015年で一般向けでの同人活動を辞めました。

2016年から、私は成人向けでの同人活動を始めました。

そして現在まで私は鳴かず飛ばずでオリジナルの成人向け漫画を描いています。
これまで一度もプロを目指したことはありません。
これからもプロを目指すこともありません。
だけど、なんか知らんけど漫画がめちゃくちゃ上手いその辺にいるおじさんにはなりたいんですよね。
今夜もコツコツと誰も読まないエロ漫画を描いています。
ペンネームは秘密です。

書いた人:ホシノよだか
令和二年九月十七日 仮眠から目覚めた後に

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