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社会は「慣習の束」でできている (『日本社会のしくみ』)| きのう、なに読んだ?

『1940年体制』を読んだ流れから『日本社会のしくみ』の前半と、いったん真ん中を飛ばして終章に目を通した。これは、大好きなタイプの本だわー。Kindleでハイライトしてたら、終章なんてほとんどハイライトになってしまったじゃないか。

本書の狙いは、ざっくり言うと、こういうことだ。

本書が検証しているのは、雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまでを規定している「社会のしくみ」である。雇用慣行に記述の重点が置かれているが、それそのものが検証の対象ではない。そうではなく、日本社会の暗黙のルールとなっている「慣習の束」の解明こそが、本書の主題なのだ。

本書が対象としているのは、日本社会を規定している「慣習の束」である。これを本書では、「しくみ」と呼んでいる。慣習とは、人間の行動を規定すると同時に、行動によって形成されるものである。たとえていえば、筆跡や歩き方、ペンの持ち方のようなものだ。(略)

人間の社会は、その社会の構成員に共有された、慣習の束で規定されている。遺伝子で決まっているわけではなく、古代から存在するものでもないが、人々の日々の行動が蓄積され、暗黙のルールを形成する。それは必ずしも法律などに明文化されていないが、しばしば明文化された規定よりも影響力が大きい。ただしそれは永遠不変ではなく、人々の行動の積み重ねによって変化もする。(位置: 66)

私がこの本が好きになっちゃう理由は少なくとも4つある。

①既存の分野を横断し、複雑な課題を一面的に切り取らずにまるごと取り扱っている。ポイントは「慣習の束」というあたらしい視点だ。雇用だけ、教育だけを取り上げたり、別々に分析してない。「雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまでを規定している「社会のしくみ」」まるごと。

②データや史実など、ファクトの裏付けが豊富で、通説をひっくり返す新しい視点をくれる。例えば1990年代に大学を卒業して就職難にあった「ロスジェネ」を引き起こしたのは、不景気よりももっと構造的な変化だったことが示されている。「この時期に高卒労働市場が三分の一に縮小し、大学卒業者が一・五倍に急増した」、いっぽうで「九〇年代は、大卒就職者数はそれほど変化していない。…大卒の就職口はあるていど限られていて、それ以上は吸収できなかった」というのだ。

③他国との比較と歴史的経緯の分析という、タテヨコ両方を組み合わせている。上記②の「ファクトの裏付けが豊富」と合わせて、まさに出口治明さん(APU学長)おっしゃるところの「タテヨコ算数」のお手本であります。

④新しいフレームワークを提示してくれる。具体的には、本書は「アメリカは…」「日本は…」という国ごとの類型化から一歩解像度を高め、「企業のメンバーシップ」「職種のメンバーシップ」「制度化された自由労働市場」という三つの社会的機能を提示し、これで類型化している。3つの類型を三原色にたとえて、国や時代による違いは、3つの類型の組み合わせや濃淡の違いだと説明する。

このフレームワークにそってタテヨコを概観してみよう。日本、アメリカ、ドイツ(イギリス、フランスもかな)とも、第一次世界大戦後の時代は、3つの社会的機能はじゅうぶんに発達していなかった。制度化されていない「野蛮な」自由労働市場の中で、搾取したりされたり、それに対抗しようと大規模なストライキが打たれたりした。こうした不安定な雇用環境をなんとかしよう、とそれぞれの国で動きがあった。社会や法制度の動きが作用して、既存の慣習が強化されることもあれば新しい慣習が生まれることもあった。具体的なことは本書の4章から8章にたっぷり記述されているのだけれど、結果として現在、日本は「企業のメンバーシップ」が濃い社会になった。日本でも弁護士や医師などは「職種のメンバーシップ」型、新卒採用や非正規雇用は「制度化された自由労働市場」となっている。でもこの2つは日本では例外扱いで、「企業のメンバーシップ」が「慣習の束」の中核をなしている。

で、日本の「企業のメンバーシップ」は「大企業型」と「地元型」、いわば「カイシャ」と「ムラ」の2つに大きく類型化され、雇用だけでなく教育も社会福祉も、「慣習の束」はこの2つのパターン別に積み上がってきた。そして、日本の社会構造を規定しているのは「大企業型」だ。「大企業型」に属するのは、実は日本社会の26%(著者推計)と多くはないが、その人数は1980年代以降、ずっと安定している。「大企業型」(日本社会の26%)、「地元型」(36%)のどちらの「企業のメンバーシップ」にも入らない人々(38%)は、かつては農業や商店などの個人自営業が吸収できていたが、近年はそこの吸収力が落ちてしまい、非正規雇用の増加として表れている。

また「企業のメンバーシップ」内の慣習にマッチしない女性や外国人も、この社会的機能からはじき出されてきた、というのが、著者のフレームワークに沿った見立てとなる。この30年、男女雇用機会均等法に始まり、育休や保育園の増設など、女性が働きやすくなる法整備はかなり進んだ。それなのに、私の肌感覚では、今の20代の女性たちが感じるつらさは、私が20代だった頃に感じていたものと変わってない。法制度は変化しても「慣習の束」はまだまだ根強い、ということだろう。

働きかた、教育、福祉は、私たちの暮らしを規定するものだ。これらの「慣習の束」は、過去の人々が直面した課題と、課題がもたらす痛みから解放されたいという「願い」が原動力でかたちづくられたんだと思う。できあがった「慣習の束」は万能ではないから、享受できるメリットもあれば、マイナスもある。状況が変化してマイナスが大きくなり痛みが強くなると、あらたな「願い」が生まれ、それが「慣習の束」を変える原動力になる。

女性が働くことにまつわる課題について、私は自分の経験や肌感覚だけでものを言ってしまいやすい。自分が感じる痛みの根っこにある構造は何か、自分の「願い」は社会のしくみのどの部分へ作用するか、この本に示された全体を捉える視座を時々思い出したい。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(picture by gullevek)

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