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幸福な老後は、経済力よりも安定した情緒から−−『Aging Well』から学んだこと

(picture by Praveen)

前回「Aging Well」(日本語版は「50歳までに生き生きとした老いを準備する」)という本が素晴らしい、という感想を書きました。

今回は、老年期の「幸福感」は、健康や経済力など、それまでの人生におけるどんな要素と、どの程度の相関関係があるか、私が本書から読み取ったことを書いてみます。

ちょっとおさらいを。本書は Study of Adult Development at Harvard University という、1940年前後から75年以上にわたって824人を心理学の観点から継続的に追跡調査し続けている研究に基づいています。対象は、①当時ハーバード大の学生だった男子、②同年代のボストンのinner city(中心部の貧困街)で生まれ育った男子、③カリフォルニアの高い知能指数を示した女子(家庭環境はさまざま)、の3群。ひとりひとりに、2年に一度の詳細なアンケート調査と、数年に一度の心理学者による面談調査を亡くなるまでずっと積み重ねており、調査は今も進行中とのこと。

さて、筆者の研究チームは、調査の対象者が70歳前後の時期の調査結果をもとに、「Happy-Well」(幸せ、健やか)の人たちと、「Sad-Sick」(不幸、病んでいる)の人たちを抜き出しました。調査対象者本人の主観的な現状認識がベースになっているグループ分けです。この2つの群の、現状の「幸福度」と子どもの頃から壮年期に至るまでのさまざまな調査データの相関関係を調べ、2つのグループの間に大きな差がある要素に注目していきました。

まず、これがあると「Sad-Sick」になりやすい、というマイナス要素がいくつかあります。例えばアルコール依存。

Alcohol abuse has a lot to do with unsuccessful aging.

次に、怒りをうまく表現できないと、老年期の幸福度が低い、という相関関係もありました。Inner city、つまり貧困街の男性達のうち、47歳時点の調査で、怒りを感じてもつとめて冷静に対話を通して気持ちを伝えたり、内省して自分の感情を客観視するような成熟した対応が出来る人たちは、50歳の時点では仕事に対して能動的に取り組み、自分の人生における仕事の捉え方も安定していました。そして、70歳で「Happy-Well」になったひとの四分の三が、このように怒りに対して成熟した対応ができるグループだったのです。一方、47歳の時点で、怒りを感じた時に感情を爆発させたり、逆に黙り込んでしまうなど、未熟な形でしか表せない人たちは、50歳の時点で自分の生き方のなかに仕事をうまく位置づけられておらず、70歳で「Sad-Sick」になっている率が、怒りに対して成熟した対応ができていた人たちの3〜4倍もあったのです。

もうひとつ、興味深かったのが「自我の確立」です。調査対象のなかには、50歳を迎えても実家や施設から自立できていない人たちがいました。彼ら彼女らは、やりがいのある仕事に打ち込むことも、友情を長期にわたって育むこともできないまま、老年期を迎えます。特に調査対象の女性達については、時代背景の影響もありました。彼女らは1910年代生まれ。その時代のアメリカでは、女性は若いうちは両親に、結婚後は夫に自分を投げ出して尽くすもの、という考えが根強かったそうです。従順な女性ですと、ほんとうに両親や夫に尽くすあまり自我が確立する機会を得られないまま、壮年期が過ぎ、老年期を迎えてしまいます。こうした人たちが「Sad-Sick」に多かった。

では逆に、「Happy-Well」のグループに多い要素はなんでしょうか。例えば経済力。これは「Happy-Well」のほうが高い。やはりというか、当然というか、お金の心配がなければ老後は安心…。と思いきや、

... but among the three Study samples emotional riches seemed far more important. In addition (略)financial success seemed much more a reflection of mental health than a consequence of social class or parental privilege. Even among the Inner City men the story was the same. Good mental health, good coping both as children and adults, warm friendships, admired fathers, and loving mothers predicted high income.

補足もいれつつ、ざっと訳します。

「しかし、ハーバード大出身男性、ボストンの貧困街出身男性、カリフォルニアのIQの高い女性のどのグループにとっても、経済力よりも情緒的な豊かさの方が、老後の幸福感に重要なようなのだ。加えて(略)経済的な成功は、社会階層の影響や親から受け継いだから得られるというよりも、健全な精神がもたらすものと考えられる。貧困街出身の男性たちでも、そうなのだ。健全な精神、子ども時代も成人後もマイナスの状況に成熟した対応ができること、あたたかな友情、尊敬できる父親、愛情深い母親。これらの要素があると、のちに高収入が得られると予測される。」

さらに意外なのは、

In contrast, dysfunctional families and fathers on Welfare did not predict future income.

「対照的に、家庭が崩壊していることや、父親が生活保護を受けていることは、のちの収入水準の説明要因にならなかった。」

つまり、いわゆる問題家庭、恵まれない家庭に育ったことと、壮年期や老年期の経済力には相関関係が見られない、ということです。

経済力に限りません。別の箇所を見ると、老後の幸福度は、子ども時代の悪条件とはあまり関係ない、好条件のほうがずっと将来への影響がある、ということも書かれていました。

What goes right in childhood predicts the future far better than what goes wrong.

前回に紹介したAnthony Pirelliさんを例に取ると、彼の子ども時代はダメな両親、貧困といった悪条件が揃っていましたが、兄との関係が良かった、青年期に尊敬する師に巡り会って会計士になれた、といった好条件がその後の人生に大きく影響しています。

生育環境の悪さは、青年期まではその影響があるが、壮年期以降は影響が少ない、という記述もありました。老後に「Sad-Sick」になるのは、壮年期に生活習慣、家庭、怒りや悲しみへの対応、病気といった面で悪条件を持っていたからで、幼少期の生育条件の影響、とくに悪条件の影響はあまりない、ということです。

私たちは、子育てはなるべく好条件で、と思っています。どのような大人になるかに大きな影響があると考えているからです。また、大人になってから、またお年寄りを見ていて、その人の性格や行動の原因を生い立ちとの因果関係で考えることがあります。伝記などを読んで「野口英世がこういう性格なのは、赤ちゃんの頃にやけどで手が不自由になったからだ」など。

でも、この本を読むうちに、幼少時の性質や環境は影響はあるけれども絶対的ではないと、しっかり理解するようになりました。青年期、壮年期と、人は変わるのです。成長し、成熟していく可能性がある。そして、幼少期の影響があるとするなら、マイナス要因を減らすことより、プラス要因が少しでもあることが大事なようであることも、子育て真っ最中の私にはありがたい視点でした。

少し気をつけなくてはいけないのは、この調査が1920年代から現在までのアメリカで行われているということです。本書の分析結果は、アメリカのこの世代ならではのものもあるかもしれません。その点は著者も何度か、調査結果が普く他の地域や時代に当てはまることは保証できないと書いています。その限界を踏まえてもなお、興味深い内容だと思います。

また長くなってしまいました。本書から読み取ったもう一つのテーマに、「幸福感」の高い群は低い群よりも「成長」し「成熟」しているというが、それは具体的にどういうことか。というものがあります。こちらは、また次回にいたします。


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