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学び続けることについて(Ex Libris/ニューヨーク公共図書館) | きのう、なに読んだ?

「ニューヨーク公共図書館」を見た。先に上映していた岩波ホールは混んでいたので諦め、その後上映が決まった渋谷アップリンクで。

誰にとっても、生涯学び続けることは素敵だ。必要でもある。本を読むことだけが学びではない。絵や図案から学ぶ。音楽の生演奏と解説をきいて学ぶ。お年寄りのダンス教室も、学びだ。もちろん、小学生の補習も。学びの場は、地元に溶け込んで日常の一部になっているのが望ましい。ネット上の情報が見られないと知識を得たり学ぶ機会が制限されてしまういま、インターネット接続も大事だ。

ニューヨーク公共図書館は、自分たちのミッションを次のように定めている。

The mission of The New York Public Library is to inspire lifelong learning, advance knowledge, and strengthen our communities.

「生涯にわたって学んでみようとする心を育み、知識を深め、地域内のつながりを強化する。」
だから、本を貸し出すだけでなく、さまざまなイベントを開催する。自前の分館87、提携先を加えると200以上の分館のネットワークを維持する。分館ネットワークだけではなく、提供すべきということで、wi-fi ルーターも貸し出す。

特に、学ぶという観点で立場が弱くなりがちな人びとに、学びの機会を提供する努力が印象に残った。視覚聴覚障害者専門の分館を構え、図書を用意するだけでなく、独自にオーディオブックを録音したり、点字教室を開催するシーンが描かれていた。

どの文化でも、社会の中心にいない人たちの記録や研究は少なく、あったとしてもその視点は社会の中心にいる人々からの目線に偏りがちだ。学ぶ機会だけでなく、自分たちについて学ぶ材料も乏しくなってしまう。特別な努力が必要だ。

歴史上、同じように立場が弱かったのは、黒人だ。この映画の中では、ションバーグセンターという、黒人文化に特化した分館をかなりフィーチャーしている。

映画の最後のシーンは、とくに印象に残った。それは、黒人が多く住むエリアの分館で、図書館スタッフと住民が語り合うシーンだった。住民の一人が語る。「映像制作ができるようになりたくて、脚本のことも編集のことも、全部図書館で勉強した。学校に行く金がなかったから。今日の私があるのは、図書館のおかげ。」続いて話題は、中学校の社会の教科書にうつる。大手出版社の制作した教科書に「アフリカから多くの黒人がアメリカに移民した」と、史実に反する記述があった。実際はほとんどが奴隷として強制的に連れてこられたのであり、そのことが現在もアメリカの黒人を取り巻く社会問題の根幹をなしている。「移民」という表現は史実と大きく異なるのだ。その一方で「イギリスやオーストラリアからの年季奉公人は仕事の割に報酬が非常に低く、厳しい状況だった」とこちらにはかなり同情的な記述があったことが共有された。「立派な編集委員たちは何を見ていたのか。税金を使ってこのように間違った情報が若い人に広められてしまうなんて。」

最後のシーンは、public とは何か、鋭く問いかけているように思えた。国や自治体などが、必ずしもpublic にふさわしい判断をするわけではない、と。

学ぶという観点で立場が弱くなりがちな人びとに学びの機会を提供する。この理念に対置するかたちで取り上げられたのが、経営陣が「ホームレスをどう扱うか」を話し合うシーンだった。「誰もに等しく門戸を開くという原則はあるが、利用者の一部が(ホームレスと)同じ空間にいたくないと感じるのも事実」「図書館の利用目的に沿わないひと、例えば寝ているだけの人は出て行っていただくといったルールを導入すれば?」このような議論のシーンだけで、結論は紹介されない。観客に考えさせる狙いか、それとも彼らとて理念に沿って行動できてないこともあるという、密かな批判か。その中で私は、CEOが「私もあなたも、ホームレスになったことがない。本当には分からない。」と発言したことに、知的謙虚さを感じて、希望があるなと思った。

もうひとつ、批判というか、まだ道半ばだよね、というニュアンスを感じたのは、理事会のシーン。メンバーはほぼ全員、身なりの良い白人。いかにも知的なお金持ちの風情だ。経営陣も白人が多かった。経営会議にひとり、黒人女性らしい人が何度もうつっていたが、発言シーンがほぼなかった。また、ショーンバーグセンター創立90年を祝うディナーのシーンでも、来客の大半が白人だった。どれだけ志が高くても、あなた方に本当に縁辺に追いやられている人々を不利益にしないような運営ができるのか、という問いかけのように思えた。(この点について、私は note 「コードとダイバーシティー」に書いた考え方がニューヨーク公共図書館にどんどん取り入れられるといいなと思いました。)

この映画をふり返って、アメリカ建国の父の一人である第2代大統領ジョン・アダムスを思い出した。教育は民主主義の源であり、低い身分の者に教育をさせることがもっともリターンが高いのだ、と公教育の重要性を説いた。

“The Whole People must take upon themselvs the Education of the Whole People and must be willing to bear the expences of it. There should not be a district of one Mile Square without a school in it, not founded by a Charitable individual but maintained at the expence of the People themselvs they must be taught to reverence themselvs instead of adoreing their servants their Generals Admirals Bishops and Statesmen.”
(荒い訳:人々は、全員が教育を受けることを自らの責務とし、その費用を負うべきだ。1平方マイル(1.6km四方)たりとも学校のない地域があってはならない。学校は個人の善意ではなく、人々の経費負担で運営されなければならない。そこでは皆、自分を尊重することを学ばねばならない。将軍や提督や司教や政治家を崇めることを学んではいけない。)

このようにジョン・アダムスは、教育は、自分を大切にする出発点であること、そして権力者に洗脳されないよう、教育は人々が自らの責任で行わないといけないことを強く説いている。The Whole People は、今でいう public に近いのではないか。ニューヨーク公共図書館のミッションに直結する内容だ。「生涯教育」の本筋は、ここにある。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(Picture by Moody Man)

*) 蛇足ながら、この映画、3時間超の長尺なんですが、こんなに長くなくても良かったんじゃないかと思いました。あと、日本語字幕にときどき誤訳があって、惜しかったです。

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