Knight and Mist第八章-5地下水道
「はーん、それで、お前はなんでその大学ってやつに行かなくなったわけ?」
「それが、自分でもよくわかんないの」
地下水道をホテホテと歩きながら、イーディスとハルカは話をしていた。
この世界の話を聞くつもりが、いつのまにかハルカの身の上話となっていた。
「メシを食わせてもらって、たっかい金出してもらって、そんでなんとなく行かなくなるよーなもんなの? 大学って」
「うっ……それを言われると胃が痛い……」
「だって世の中にはそこに行けねーやつもいんだろ? 世の中そーだって決まってっからな」
ハルカは首肯した。
「なんだ、迫害を受けたとか?」
「迫害!? そんな話はないよ。それに友だちもいた……今思うと、あんまり馴染めてなかったかもしれないけど」
「馴染めてても馴染めてなくても害はなかったんだろ?」
「うん、まあ……」
「んじゃあ、お前が馬鹿で勉強が無理だったとか?」
ハルカは首をかしげる。
「馬鹿かどうかは置いといて、勉強の問題ってわけでもなくて」
「んじゃあなんだよ? わっかんねーなあ。初めて見たときからおじょーさまだとは思ってたけど、ここまでボンヤリしたやつとはなあ」
「ボンヤリ……ほんとそうよね」
当時のことを思い出すだけでなんだか気持ちがザワザワしてくる。
「こんな変な状況だから、正直になる。うんと正直になるとね、ある日、一回、講義に行けなかったことがあったの。理由は忘れちゃった。ちょっと怠けたいだけだったかもしれない。遅刻しそうで、もういいやってなっただけかも。ただちょっと、一回講義に出なかった。そうしたら、次も出れなくて、次も、次も……気づけばほかの講義にも行きにくくなって、友だちの顔も見られなくなって……もちろん親の顔なんてとてもじゃないけど見られない。それで……」
「それで?」
「なに、なんか冷たいぞ」
「んだよ、べつに世界が終わったわけでもなし、それがどうしたわけ?」
「そーいう問題じゃないの! 私の生きていたところでは、一回ドロップアウトしたら終わりなんだから。順調なときは気づかないけど、いざ何か歯車が狂っちゃうと全然戻れないの。すごいストレスなのよ」
「それで、誰にも雇われずにスネてんのか」
「スネてるわけじゃないっ! 死にたいくらい辛いことなの。イーディスにはわかんないよ」
イーディスはふと真面目な顔になり、
「まあ、俺には想像もできねえなあ。戦火のなかになく、ちゃんとした国があって、民草も教育を受けられる。正当な報酬が得られて、命が脅かされない世界、か……そんな国、あればいいのにな……」
それを出されてはずるい。たしかに比較で言えばハルカは恵まれているのだ。それを文句言うなんて……
とはいえ、痛みとは比較で感じるものではない。絶対的なものだ。その点で『この絶望は理解できない』と話すオーセンティックは正しいのかもしれない。
それでハルカは肩をすくませた。
「正当な報酬が得られるかっていうとまた微妙だけど。ここ、スループレイナはどうなの?」
イーディスは首を横に振った。
「王様がちゃんとしてないから魔王は出るわ内乱は起こるわでどーしよーもねー国だな。それで庶民出の勇者たちを中途半端な役職につけて貴族たちと揉めてるし、そのわりに民草にまで行き届いた政治かっつーと、そうでもねえよ。お前んとこみたいに庶民が入れる大学なんてないしな」
「魔導院は違うの?」
「あれはダメダメ! 利権で腐り切った連中がどこもしきってやがる。カネかコネがねえと入れねーよ。そういえば、帝国にはあるんだよ。大学が」
「そうなの?」
「有能な人材登用が上手いからあそこは急速に発展してんだ。帝国兵の武器、見ただろ」
「そういえば銃みたいなので撃ってきてた……」
いつぞやのエルフの館にての戦いで。たしかに帝国兵は銃を使っていた。
「もちろん、スループレイナにはない技術だ。奴らはアレをシオンス、って呼んでどんどん民草にその技術を分け与えてる。あいつらは恐怖で政治してんじゃねえ。ちゃんと飯が食えるからみんな帝国に従うんだ」
「意外。帝国っていうから怖いものだと思ってた。でも……そしたらどうしてイーディスは帝国と戦うの?」
「それは奴らのやり方が汚ねえからだよ」
手をガン、と打ちイーディスが歯軋りした。
「シオンスの良さを見せびらかすには、絶望から希望に変えるのがてっとりばやい。奴らは街を焼き払った後、再建するんだ。焼け野原から、また小麦が獲れるんだ。みんなそれで何をされたのか忘れちまうんだ。デシールにいる奴らは、故郷を焼かれながらも帝国に擦り寄るのを嫌った連中でできている」
「だから帝国もスループレイナも嫌いなのね」
「俺たちの王様はな、真に民のためになる政治をいつも考えている。王様はスループレイナはいい国だって言うんだ。どこかで間違えただけだって。俺には分かんねーけど、とにかく、俺たちの王様はまっとうな国を作ろうとしてるんだ」
「すごい人なのね」
「そうなんだよ! ほんとにすげーんだ。俺はそのほんのちょっとでも役に立てるんなら犬死でもいい。ーーそうか、お前はそういうヤツに出会えてねえんだな」
「ん? どゆこと?」
「なんか話してて分かったよ。お前は本当にやりたいことが分からねえんだ。出会ってねえから。安全な国で、安全な生き方があると生き方って偏るもんな」
「そう……なのかな。でもたしかに、やりたいことは分からない。みんなが行くから大学行って、就職して……生きるために」
「それな、本質的には生きるためにじゃねーんだよ。だって生きるためにそうしなきゃなんねーなら、お前みたいにはぜってーならない。生きるためにはそれは必要ないことだ」
「断言するね……」
「人の生きる力は凄いぞ。お前が今ここに立ってんのだって、まあ、あのクソ野郎が命削ったのもあるけど、基本的にはお前の生命力だからな。あの大怪我を思い出せ。あれが生命の力だ。お前は俺が戦ってんのいっつも他人事みたいに見てるから分かんねーんだろ」
ハルカは素直にうなずいた。
「それじゃ、戦ってるときのイーディスを動かしてる力は生命力ってこと?」
「そーいうこと。死にたくねえからな。俺はそれが炎とか衝撃波とかになる性質らしい。でも俺がどんなにこの水路をぶっ壊したくても、炎はでちゃくれないぜ。生き延びるためとは関係ねーからな」
「いやあるよ!!」
「いやないよ。歩けばいいだけだもん」
「そういう問題!?」
「そーいう問題なの! だからお前のやってることは生きるためなんかじゃねえ」
「でもお金がなきゃ死んじゃうよ」
「貧困はひじょーに難しい問題だな。でもほんとにその道を通らなきゃ食えないわけ?」
大卒じゃなきゃ食べられないわけじゃない。留年したって終わりじゃない。普通に就職できなくてもーー
(いや、就職は死活問題だわ……でも……)
「必ずしもみんなと同じようにやらなきゃいけないというわけじゃないけど……でもそれ以外の道なんて分かんないよ。そもそも、大学入れてもらってるし……」
「だからなんだ? 親の期待に応えなきゃってか?」
「それは誰しもが持つ普通の感情でしょ」
「まあ、そうだな……言ったっけ、俺のお袋と親父、帝国に仕えてんだわ」
「え、初耳」
「これがそこそこ偉くてな、まあとある地方を治める長なんだよな」
「…………家族と戦うことになったらどうするの?」
「…………」
イーディスが沈黙したーーそのとき。
「あぶねえ!」
イーディスがハルカを壁のほうへ突き飛ばした。
『ぐるおあああ』
不気味な声が地下水道に響く。
さっきハルカのいた場所には、ヨタヨタと歩く骨だけの魔物ーースケルトンがいた。
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