見出し画像

テキサスの真ん中でチチを叫んだ話

僕は16歳の頃、1カ月ホームステイをしたことがある。

高校2年生の夏休み、アメリカのテキサス州、親子4人暮らしのお宅に5人目の臨時家族として暮らすことになった。

その家の次男、ブライアンという少年は同い年ということもありすぐ仲良くなった。教科書で習う程度の英語しか分からなくても、身振りと手振りを加えれば片言の単語の羅列で大体の会話はできたので、ほとんど不自由はなかった。


ある日、ブライアンがいきなりこんなことを聞いてきた。


「なあなあ、おっぱいは日本語でなんていうんだ?(英語)」


僕は最初よく聞き取れず首をかしげていた。しかし彼が「これ!これのことだよ!」と手で胸のあたりの球体を表現しながら必死に訴えかけてきので、ジェスチャーと鬼気迫る形相から「あ、これエロいやつだ。アイシー」と合点がいった。

僕は「イッツコールドオッパイ」と答えようとしたが、言語の違う異国とはいえ、『おっぱい』という言葉を口にするのは恥ずかしかった。「It is called 」という学校で習った英文と組み合わせることで、より一層いけないことをしている気がしてしまい、

「チチ!」

と簡潔に答えた。
もっとかしこまって「チブサ!」「ニューボウ!」でもよかったかも知れない。

ブライアンは、「ちち?クール!ちーち!ちーち!(英語)」

とたいそう気に入ってくれたようでクールクールとご満悦で、チチを連呼しだした。言葉の通じない地でも、自分との会話でこんなに楽しそうにしてくれるのはとても嬉しかった。内容はともかく。

そんなブライアンを見てると僕も楽しくなってきて、「イェア、チチ。イェア、チチ」と相槌(?)をうち、調子に乗って合間に「ザッツライト」を入れたり、あまつさえ「パーフェクト」などと発音をほめたりした。


次の日、ブライアンと友人数名でプールに遊びに行くことになった。向かうバスの中でブライアンが「おい知ってるかみんな。おっぱいは日本語でチチというらしいぜ」といきなり語り出した。

友人の少年たちは色めきたち、「マジか?」「すげー」「クール」といった英語のどよめきを起こした。思春期の男子のこういうアホなところは世界共通なのだ。

「グレイトな情報をありがとう。最高だ」

少年たちから異様なほどの感謝とともに握手を求められ、僕はクールにソーナイスと応えた。調子に乗って「これから向かうところにはたくさんチチがあります」と言った。友人たちはゲラゲラ笑いながら「クールすぎる!メニーチチを拝もうぜ」とテンションが爆上がりになった。「メニーチチ。ソー、メニーチチ」と合唱する日米のアホを乗せ、バスはプールに向かい走り続けた。


プールに着いてみると、びっくりするくらい人が少なく、しかもほぼおっさんだった。

もともと泳ぎに来ただけなので問題ないはずだが、バスでチチだチチだと騒ぎまくっていたせいで変な期待が膨らんでおり、皆著しくテンションが下がった。

「ノーチチ・・・」

誰かがつぶやいた。ノーチチ、生まれて初めて聞いた言葉だ。こんな悲しい造語は聞いたことがなかった。


エロスな話題は世界共通。盛り上がるのも、悲しみに暮れるのも、そこに言語の壁など存在しない。それが僕がホームステイで得た最大の学びだ。

どうでもいいけど、正確にはおっぱいは英語でChichiじゃなくTitiらしい。本当にどうでもいいけど。

サポートされると嬉しさのあまり右腕に封印されし古代の龍が目覚めそうになるので、いただいたサポートで封印のための包帯を購入します。