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小説「BUTTER」の深いコク

8月末に、奥飛騨の温泉宿に一泊してきたのですが、旅のお供として持って行った柚木麻子さんの「BUTTER」を夜じゅう読んでいました。とても面白かったので、今日は読んで思ったことのまとめを書きたいと思います。

結婚詐欺の末、男性3人を殺害したとされる容疑者・梶井真奈子(カジマナ)。世間を騒がせたのは、彼女の決して若くも美しくもない容姿と、女性としての自信に満ち溢れた言動だった。週刊誌で働く30代の女性記者・里佳は、親友の玲子からのアドバイスでカジマナの面会を取り付ける。だが、取材を重ねるうち、欲望と快楽に忠実な彼女の言動に、翻弄されるようになっていく――。(帯文より)

みなさんご理解されるとおり、木嶋佳苗事件を下敷きにした小説です。この小説を読んで、突きつけられることは「現代女性が世間から求められている『理想像』がどんなに息苦しいか。そして私たちはそれを、どうやって乗り越えたらいいのか」ということです。ひとつに、容姿にまつわること。もうひとつに、社会的役割のこと。

本文からカジマナの容姿について言及した部分を引用します。

こんなにもこの事件が注目されたのは彼女の容姿のせいだろう。美しい、美しくない以前に、彼女は痩せていなかったのだ。このことで女達は激しく動揺し、男達は異常なまでの嫌悪感と憎しみを露わにした。ただでさえ成熟よりも処女性が尊ばれる国だ。女は痩せていなければお話にならない、と物心ついた時から誰もが社会にすり込まれている。ダイエットをせず太ったままで生きていく、ということは女性にとって相当な覚悟を必要とするだろう。

記者の里佳が何よりカジマナに惹かれたのは、カジマナが「自分のスペックを無視して、自分が一人前の女であることにOKを出していた(本文より)」ことに尽きると思います。

私自身、経験があるのですが「世間が決めた規格より太っている」ということで自己肯定感が削られる部分はおおいにあります。気にしない、といくら思っていても、一度ネットの悪意ある掲示板などを見てしまうと、容姿の劣っている女性に対して、どれだけ差別的な言葉が並んでいるか思い知らされます。

(もともとは男性側が先に言い出した言葉だと思いますが)女性が自分のことを「BBA」とか「デブス」とか「劣化」とかみずから自虐的に言い出したのも、わりとここ10年以内じゃないかな、と思っています。最初から腹を見せて「降参」しておけば、「私自身劣っていることを理解している」とあらかじめ言っておけば、これ以上男性陣から矢が飛んでこないのでは、と、自衛の気持ちをつい働かせてしまう、というのもすごく惨めな現象だと思います。

そんな中、自分自身を全肯定して、男性をたぶらかし、結婚詐欺、あげくに殺人を働いたカジマナ。そのカジマナと、里佳は面会を重ねるうちに、理佳はカジマナからバターを使った料理の美味しさを教えられ、どんどんはまっていき、体重を増やしていきます。

里佳は、太ったことを恋人や仕事仲間から心配されたり、痩せるように忠告を受けたりするのですが、ストーリーを読み進めるうちに、私たちの中にも、「なぜ日本の女性はこんなにも痩せることを求められているのだろう」という疑問がわいてきます。もちろん健康を損なうような太り方は、医師からも痩せるように指導されると思います。ただ、健康的な理想体重なのに「太っている」と世間から思わされることはおかしいです。普通の人まで、モデルのような美容体重を目指し過ぎている気がします。

カジマナは、里佳からの「長期的に付き合うつもりがない男性相手に、どうしてそんなに美味しいものが作れるんですか?という疑問にこう答えます。

「男の人をケアし、支え、温めることが神が女に与えた使命であり、それをまっとうすることで女はみんな美しくなれるのよ。(中略)最近ギスギスした雰囲気の女が増えているのは、男の人への愛を惜しんでいるせいで、かえって満たされていないからよ。(中略)仕事だの自立だのにあくせくするから、満たされないし、男の人を凌駕してしまって、恋愛が遠のくの。(中略)みんな自分だけが損をしていると思っているから、私の奔放で何もとらわれない言動が気にさわって仕方がないのよ!」

男女雇用機会均等法が1986年から施行され、現代は女性が男性と肩を並べて働くことは当たりまえになりました。もちろん「女性にはこういうことはできない」と思われていた時代から、女性の活躍の場が広がったことは素晴らしいことです。けれど、弊害もいろいろ出てきたことは、本日のおすすめでベルリンのしょこたんさんが仰っていた内容によく現れていると思います。

里佳がカジマナに言い放った、この言葉が、きっとこの小説の肝のひとつであるのだと思います。

「あなたの生き様を知ることで、生き辛さを感じているたくさんの女性が逆説的に救われる可能性はあるのではないでしょうか。(中略)日本女性は、我慢強さや努力やストイックさと同時に女らしさと柔らかさ、男性へのケアも当たり前のように要求される。その両立がどうしても出来なくて、誰もが苦しみながら努力を強いられている。でも、あなたを見ているとはっきり、わかるんです。そんなもの、両立できなくて当たり前だって。両立したところで、私たちは何も救われないんだって」

「BUTTER」は、その名の通り、とても脂っこくて重たい小説です。でも、舌の上で軽やかにすっと溶けるような爽快さも同時に感じます。カジマナが里佳に教える食べ物――バターご飯、たらこバターのパスタ、塩バターラーメンなどなどを、読むと食べたくなること請け合いです。体重のことなど、しばし忘れて。

世間が「女」に突き付けてくる数々の難題――を、太っていることにも関わらず自分を肯定してやまないカジマナ、男性と同じような激務をこなしながら働く里佳、仕事をやめて主婦として妊活を始めたのに、夫とのセックスレスに悩む伶子などの人物像を通して、ばっさりと斬り、最後には濃厚なバターの味わいで、後味をしめる、本当にすごい小説でした。

柚木さんについては、デビュー作「終点のあの子」から欠かさず著作を追いかけている私ですが、集大成ともいえる本作を読んで、これからの彼女の作品にますます期待したいと強く感じました。

すべての現代を生きる女性に(もちろん男性にも!)おすすめです!

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