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【小説】お弁当狂騒曲 第1話「菓子パンの女神」

僕の朝は、決まって弁当作りから始まる。週末の今日も、タイマーセットして炊いて置いたごはんを弁当箱につめてさまし、その間におかずを用意する。今日は、2割引きで買った豚ロースを昨日のうちから味噌だれに漬け込んでおいたから、それをフライパンで焼く。

ほうれん草をゆがいて胡麻和えをささっとつくり、卵焼きもつくる。少し甘めの味付けが、僕の好みだ。プチトマトもつける。さましたごはんに、ごま塩を振っておしまい。


できあがったお弁当は、彩りもきれいで、我ながら良い出来だと思う。出来映えに満足すると、僕はお湯を沸かして、コーヒーを淹れた。

ワンルームのボロアパートだけど、一応、すみずみまで綺麗に掃除をしているので、窓から入る朝の光が気持ちいい。コーヒーを飲みながら、焼いた食パンをかじり、僕はスマホをいじって、あるアプリを起動する。


「トクバイ情報!」という名のアプリは、僕の家から最寄りのスーパー三軒の、今日の特売商品について教えてくれる。じっくりと眺めると、僕はついつい呟きをもらす。


「ふーん、今日は大根安いな。卵もこの値段で、おひとり様ワンパックまでか。あ、そうだ、牛乳もないから、買っとこ」


いつもこのアプリで、底値になっている商品をチェックしてから出るのが僕の日課だ。もちろん、会社帰りに、スーパーに寄って、買いおきするためだ。

自炊は、地方から出てきて東京で暮らす僕の、なによりの節約術だ。自分のことは自分でなんでもできるように、そうしつけてくれた母に感謝して、僕は朝食を終えると、スーツのジャケットを羽織って自転車の鍵を手にした。

(――今夜のメシは、何にするかな)


家から自転車を飛ばして十五分で、会社の玄関に着く。最近はやりの自転車通勤は、満員電車から解放されるので、僕の性には合っているようだ。実家の北陸とは違い、東京の冬はいつでもからりと晴れているので、雪のぬかるみにはまることなく、すいすい会社に来れる。

「おはようございまーす」


大きな声で挨拶をすると、一人一人のスペースに仕切られたデスクから、口ぐちに「おー、おはよ」とか、「おはようございます」と僕に向けて声がかかった。

僕は自席につくと、きょろきょろとした。冬の陽に透ける黒髪を探して、視線が泳ぐ。――その視線は、多和田さんを見つけて、ようやく止まった。

多和田さんは、僕の二つ上の先輩社員だ。肩よりも下の、長い黒髪を耳の後ろで束ね、冬だというのに薄手のシフォンのブラウスを着て、タイトスカートから伸びる足は細い。清楚、を絵に書いたような彼女の姿を見ることは、いつだって僕の癒やしだ。触れたら、ぜったいいい匂いがするんだろうなあ、と変態くさいことを思いながら、僕は口笛でも吹きたいような気分で、今日の仕事の準備にとりかかった。

データ入力をしたりプレゼン資料をつくったりしているうちに、あっという間にお昼になった。十二時を回ったのを見て、いそいそと弁当を取りだす。すると、営業部員の西田さんから、大きな声が飛んだ。

「おおっ、名取はいつも弁当だよな。今日もか? いま流行りの弁当男子ってやつか? 俺には到底真似できねえなー」

西田さんの響く声に「ええ、まあ」と苦笑いしながら、僕はアルミの大きな弁当箱を開けた。西田さんの揶揄は、僕からすぐに向かい席の多和田さんに飛び火した。

「多和田は反対にいつも菓子パン食ってるよな。多和田くらい美人なら、弁当のひとつやふたつつくれたら、嫁として引く手あまたなんだけどな。本当は料理できるんだろ? 俺に一度つくってよ」

多和田さんは、コンビニ袋から出したメロンパンをかじりながら、うふふと笑って西田さんに言う。

「その台詞、こないだ派遣の子たちにも言ってましたよね」
「あちゃー、ばれたか」

お調子者の西田さんは、多和田さんよりさらに年上の、三十代のバリバリの花形営業だ。仕事もできるし、ルックスも爽やかだったが、遊び人という噂で通っていた。多和田さんがきれいにかわしたことにほっとしながら、同時に胃の痛い思いをする。

今年新卒の僕なんか、まだぺーぺーのぺーぺーで、多和田さんからしたら、まだぜんぜん頼りないんだろうなあ。きっと多和田さんの目にも、僕より西田さんのほうが魅力的な男として映っているはずだ。弁当なんかつくるのは、逆に女々しい、と思われているかもしれない。美味しいはずの弁当が、急に味気なく思えた。

僕は視線を上げて、多和田さんの顔を盗み見る。多和田さんは、お昼は必ず菓子パンだ。間違いなく、会社の斜め向かいにあるコンビ二のもの。家でちゃんとメシを食べているんだろうか? まっとうに食べていないから、あんなに細いんじゃないだろうか?

気になりだすと止まらなくて、僕は弁当を食べ終えても、ずっとこっそり、ちらちら何度も彼女に視線を投げていた。

仕事が退けると、僕はスーパーで買い出しをすませると、自転車に乗って家へと帰った。さあ、これから美味い夕飯をつくるぞ、と勢い込んでポケットを探った。鍵を出すためだけど――って、あれ、鍵、鍵がない!

僕はパニックになった。かばん、ポケット、財布の中、どこを探してもアパートの鍵がない。落としたんだ、きっとどこかで。でもどこで?

不動産屋に電話をかけたが、案の定というかなんというか、営業時間外で通じない。

「まいった、こんな冬に野宿なんかしたら、死んじゃうよ……」

どこかホテルに泊まる、なんていうことも考えたけれど、日々きりつめている僕にとって、その出費はかなり痛かった。そうして僕は考えた末に、しおしおと会社に戻った。まだだれかいるかもしれない、と思って。だけど、今日はノー残業デーだったから、期待できなかった。

会社の建物の前に着いたところで、エントランスの鍵を閉めて出てくる人影がいた。誰だ、と思ったら、なんと多和田さんで、僕はびっくりした。

「多和田さん、その鍵貸して、会社に入れてください」
「名取くんじゃない、どうしたの」

「鍵を落として、家に入れないんです。だから、会社に泊まろうかと」
「うちの会社なんて、寝るスペースどこにもないじゃない、どこに寝るの」
「あ、それは床とかで」

ふいに多和田さんは、僕の持ってるスーパーの袋に目をやった。

「それ食材?」
「あ、はい。晩ごはんにぶり大根つくろうと思って、買ってきたんですけど……」


「ぶり大根!? そんなものつくれるの?」
 多和田さんの目が輝いた。

「ねえ、名取くん。うちでぶり大根、つくってよ。それで、うちに泊まればいいじゃない」

多和田さんの口から飛び出した大胆発言に、僕は心底息が止まるかと思った。

「あ、そういう変な意味じゃなくて。うち、実家が近くだから、今夜はぶり大根食べたあと、そっちに泊めてもらうから、安心して。――あの、うち、いま掃除していないんだけど、それでもよければ、ぶり大根つくりに来てくれない?」

地獄に仏で、僕は涙が出そうになるほど感激して、はい、すぐ行きます、美味しいぶり大根つくらせていただきます、と言うと、多和田さんは、じゃ決まりね、と言って僕をいざなった。

ドキドキしながら、僕は多和田さんの後ろについて、高級そうなマンションのエレベーターに乗り込む。

「ほんとうに、掃除してなくて、お恥ずかしいんだけど……勘弁してね」

そういいつつ、マンションの部屋のドアを開けた僕は、目を疑った。廊下に積み上げてあるゴミ袋の山がまず目に入る。部屋という部屋から、あふれだしている服の山、マンガの山、雑誌の山。床にはものが散乱していた。廊下も、部屋も、ほこりだらけ。

「あっ、台所だけでも、さっと片づけるから、ぶり大根つくってー」

そう言いながら、彼女が立ったシンクにも、汚れた皿が積み上げられていた。僕は、血の気がひいてくるのを感じた。

清楚な女神だと思っていた多和田さんの、別の顔。
――僕は、とんでもない女性を、好きになっちゃったのかもしれない。

第2話「百年の恋も冷めた夜」

 

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