見出し画像

遠くに見えている小さな光を追いかけて

私の初めての小説が、あと3日で発売する。
あと3日で発売だ。何度でも心の中で繰り返している。

小さい頃から、夢は小説を出すことだった。
夢は小説家、と言わないのは、自分自身の才能では、兼業作家にはなれても専業作家は難しいだろう、という見切りがずっと子供時代からあったからだ。

だから子供の頃からの夢は、社会人として、大人として、働きながら小説を出版することだった。

その夢が、叶ってしまった。

子供の頃は、子供の本を作りたかったし、小学生や中学生の頃は児童文学やヤングアダルトものを書きたかった。高校生になって大人の小説を読むようになったら、大人向けのものも書きたくなった。私は単純。

恋愛小説は好きだったけど、恋愛小説でデビューするなんて思ってもみなかった。児童文学が好きだったから、デビューは児童書かな、とも思っていた。

でも、noteを2014年に初めて、noteが楽しすぎてどんどん作品を増やしていくなかで「ほしちか(上田のハンドルネーム)の作品が好きだ」という人が増えていって、「わー」「たのしー」と思っているうちに、書籍化の話が舞い込んできた。夢かと思った。いまも夢を見ているみたいだ。

暗かった思春期でも「本を出したい」という夢は、真っ暗闇の中で、遠く遠くの針の穴ほどの小さな光として、私を導いてくれた。

正直なところをいえば、ここnoteで作品を発表して、みなさんに読んでいただけたり、文学フリマで作品を販売しているだけで「ああ、こんなに楽しいんだから、私の人生、もう夢はかなってると同じだ」と思っていたことも事実だ。

いまは、プロとアマにはあまり境目はなくて、商業で出している方も文学フリマやWEB小説サイトでご活躍しているので、プロになったからえらい、とか、そういう意識は私のなかでほぼないに等しい。

ただ、自分の作品が、本屋さんに並んで、まだ見ぬ多くの人に手にとっていただける機会を得たのは嬉しい。

小説の勉強をしていると、ほんとうに自分が、まだまだのまだまだ、であることが身に染みてわかる。

優れた作家さんの小説を読むことは、同時に自分の未熟さをつきつけられることでもある。

でも、今はそれすら楽しい。

私の初めての作品、願うことはただ一つ、この作品が好き、って可能性のある人のもとへ、私がまだ知らない読者さんのもとへ、届くことだ。

そのために、私ができることを粛々とやっていこうと思う。

誰かの鞄に入っている本をつくりたい、とずっと思っていた。通勤時間、帰宅時間に電車の中で読む本を。眠る前、枕元にお守りとして置いておけるような本を。

それが、叶ったことが、ただ嬉しくて仕方ない。

ときどき想像してみるのだ。私の友達が、家族が、好きな人たちが、それぞれ1冊の大好きな本をそばに、日々の暮らしを営んでいるさまを。

ある人は、旅先のリュックから本を取りだして、見知らぬ街のバス停で読んでいる。

ある人は、夕食の支度を終えて、旦那さんが帰ってくる前の間のひとときに読んでいる。

ある子は、学校の朝読書の時間に、大好きな作家さんの本を読んでいる。

ある老人は、老眼鏡をかけて、孫から紹介された本を読んでいる。

日本の、世界のどこかで今も、誰かのそばにある「本」があって、私自身の本も、できたらそういう「日常の、暮らしのそばに寄り添える本」であってほしい。

そんな願いをこめて「金沢 洋食屋ななかまど物語」は、私の1冊目の本は、この世界に放たれます。

どうか、皆様と素敵なご縁を。

ただ、それだけを願っています。



いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。