見出し画像

「家族扱い」する人が人生にときどきいること

こんばんは!上田です。

実家に祖母の介護の手伝いにGW中だけ来ていて、トイレや食事の介助をしたりしています。明日にはもう福井へ帰ってしまうのですが、少しでも母を手伝ったことで、貴重な経験ができました。もう少し、祖母がなんとか持ってくれたらいいのですが。

先月末「やさしい嘘からはじまるふたり」という原稿用紙200枚以上の小説をnoteで連載を無事終えることができてほっとしています。たくさんの人に追いかけていただき、温かいご感想もいただけて嬉しいかぎりです。

ひょんなことから契約交際をすることになった、君嶋遥と樋口滋之のおはなしです。少しでも興味を引かれたかた、よかったら読んでみてください。全22話で完結済です。

この小説のなかのあるくだりを引用して、今日はエッセイを書こうかなと思っています。

第13話「一人には、しません」のなかで、遥が、滋之に対してこのようなことを思います。

(私、樋口さんの家族みたいな存在でいたい。樋口さんがつらいとき、しんどいとき、話を聞いてあげられるくらい近くにいたい。恋人でいるとか、結婚できるとか、そういうのはいまはどうでもいい。おいしいものを分け合ったり、きれいな空に一緒に感動したり、そういう存在になりたい)

ーー人生のなかで、私も「このひとは家族扱い」と、決めた友人が数名います。本当に少ないですけれど。

そのうちの一人は、同級生の女の子。その子の人生が20代のときあまりにつらそうで、ジェットコースターみたいに上がったり下がったりでしんどそうに見えたときに、決めました。

「あ、この子はもう家族とみなして付き合おう」と。

当時の彼女はとても大変そうでしたが、私のなかで「彼女の手は離さない」と基準がひとつできたので、いろいろな危機的状況に対応できました。

「結婚する」という法律上の家族関係も、もちろん素晴らしいですが、でも、もって生まれた家族や、婚姻関係を結んで家族となった人のほかに「心で(このひとを家族と思っている)」と決めることで、人間関係はぐっと深みを増す気がします。

もちろん、押しつけや依存になってはいけないのですが、人生で出会った大切な数名の友人を「家族とみなして」付き合っていくと決めたことは、私の人生をあたためてくれたと思っています。

おいしいものを食べたら、あの子にも分けてあげたいと思う。

きれいな花や空を見たら、あの子にも見せたいと思う。

そういうことを思える相手には、もうこちらもたくさんの何か「ギフト」をもらっているのだと思うのです、すでに。

遥と滋之は、最終的に家族みたいな存在以上の関係になっていきますが、それでも、遥が最初に彼の「家族みたいな存在でいたい」って思った感情は、彼から何かを搾取したり奪ったりするのではなくて、ただ、見守る、与える、そういうシンプルなことだったのじゃないかなと思います。

そういうことを思える相手に出会うこと自体、人生において奇跡みたいなことなので、遥は滋之に出会えて、よかったねえ、と思います。

自分のなかに「この人を家族とみなそう」と思う気持ちを発見すること、それは、めったにないことだからこそ、その希少さとそのひとに関われた喜びを、そのまま感じていたいなと思うのでした。

「優しい嘘からはじまるふたり」はさらなるリライトも構想中なのですが、現段階でも、また読んでいただけたらとても嬉しいですし、ご感想も随時募集中です。

どうぞよろしくお願いいたします。





いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。