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言の葉の四季

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【掌編】贈り物

【掌編】贈り物

桜前線も通り過ぎ、枝の花も八分咲きになった頃に花冷えとなった。目が覚めたときから冷え込みを感じて、起き抜けに熱いほうじ茶を淹れる。昨日炊いておいたごはんをあたためて、かつおぶしをかけ、お醤油をちょっとたらしてかきこんだ。

家の片づけをした後、休日なので外へ出かける。もうすぐ大切な友人の誕生日なので、贈り物を選びに行くのだ。淡いグレーのスプリングコートに、花模様のショールを巻いて、春の装いをしてみ

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【掌編】秋深し

【掌編】秋深し

しぐれてきた空模様の下、傘を差しつつ待ちぼうけをしている。約束した人はまだ来なくて、私はかじかんできた指先を、コートのポケットの中にいれた熱いコーヒーの缶で温める。十一月も半ばを過ぎた夕暮れは、木枯らしが冷たい。

待っているのが、好きな人でなかったら、とうに家へと向かう電車に乗っている時間だ。少し早いクリスマスイルミネーションがぽつぽつと灯り始めた街はどこか華やいで、吐く息も白くなってきた。

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【掌編】寒雷

【掌編】寒雷

草木も枯れ果て、いちめんにさびしい冬ざれの季節となった。小雪がちらほらと降り始め、底冷えがきつい中、ブーツのひもをしっかり結んで家を出る。コートのポケットにはホッカイロが入っている。

今日は友人宅で持ち寄りの鍋会をするのだった。寒い中、鍋を囲んで心も体も温めようという趣旨の会で、メールで詳細が回ってきた。これはいい、と思ってすぐに参加したいと返事を書いた。

私は豆腐と魚の担当だ。魚はなんでもい

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【掌編】埋火

【掌編】埋火

もう会えない人を思い出すのは、灰の中の埋火をつっつき返すのに似ている。さわらなければ、また火は熾きないのに、それをわかっていて、もう一度あかあかと燃やしてみたくなってしまう。

記憶の中の横顔を、ぼんやりと浮かべても、もう昔ほど心は痛まない。もう苦しまずとも良いという意味では、いいことかもしれないが、だいぶさびしい。別れの直後は、本当に私自身が手負いのけものになっていて、深い痛みにのたうつようだっ

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【掌編】朝練

【掌編】朝練

さっきまで静かだった早朝の音楽室には、ぽつぽつと部活仲間が集まって来て、それぞれ楽器を取り出し、基礎練を始めている。夏のコンクールまであとひと月なので、みんな自主的に、授業前の30分、音楽室で練習する。

私は打楽器担当で、打楽器の基礎連といえば、いの一番に手首を柔らかくすることが大切なのである。自分用のスネアスティックを使って、ゴム製の練習用パッドに、タンタンタンタン、とリズムよく叩くことから始

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【掌編】記憶

【掌編】記憶

大人になった今でも、スーパーのお総菜売り場へ行くと母との思い出がよみがえる。料理の得意でなかった母が用意する食卓に並ぶのは、いつもお惣菜だった。それを決してよくないと言っているのではない。世の中には、ろくに食べさせてもらえない子供すらいるのだから、ちゃんとごはんとおかずと(インスタントだけど)お味噌汁が出て来たのだから、文句なんて言うほうが間違ってる。

ただ、今でもお惣菜を何か食べる機会があって

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【掌編】ただいま

【掌編】ただいま

三十歳の誕生日を前にして、生まれた街に戻って来た。見慣れているはずの街は、少しずつ開発が進むところは進み、さびれるところはさびれ、変わらないところはちっとも変わらない。戻って来た理由は、都会にはもうこれ以上住めないという体のサインを受け取ってのことだった。

大学生のころ、もう一生地元には住まないだろうと直感していた。なにもない田舎。いろんな未来が開ける都会。そういう単純な二項対立が私の頭の中には

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【掌編】メイク

【掌編】メイク

毎朝、素肌の自分と鏡で向かい合う。化粧水と乳液をコットンでたたきこみ、下地をつけて、リキッドファンデをちょんちょんと頬やおでこに乗せると、パフをつかって顔中にのばしていく。目元にはうっすらブラウンを入れて、最後にルージュを手に取る。紅筆を使って、口元をローズ色で彩った。

私の化粧なんて、簡単なものだけど、それでも昔より上手くなったほうだ。メイク用品を使い慣れない大学生の頃は、もっと微妙な感じに仕

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【掌編】緑に雨

【掌編】緑に雨

霧雨が、すっぽりと白く街を包み込んでいる。かそけき雨音が耳にしのびこんできて、からだの奥底まできれいにぬぐわれてゆく気がした。濡れる新緑は、ひさかたの恵みに息を吹き返したようだ。

雨というのは、降り始めは鬱陶しく感じるが、いつしかその響きがからだに馴染む。梅雨という風情を、いつしか愉しんでいる自分がいる。降り込められた日は物憂いけれど、そのぶんさくさくと読みかけの本が進んだりするのは一興だ。

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【掌編】鳥たち

【掌編】鳥たち

野鳥観察の楽しさを、最初に教えてくれたのは祖父だった。自室で古びた双眼鏡を丁寧に磨いている丸まった背中に、私はよくたずねたものだ。ねえ、おじいちゃん、いま庭で鳴いている、あれはなんていう鳥?

山歩きを趣味とした祖父は、子供の頃から耳がよく、小さな鳥の声でもよく聴き分けて教えてくれた。ツピー、ツツピー、と聞こえるだろう。あれはシジュウカラだよ。

私と祖父はそっとつっかけを履いて庭先へ出て、鳴き声

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【掌編】桜散る

【掌編】桜散る

桜は、いつもはかない。木漏れ日の落ちる道に、うすべにの花びらがしきつめられているのを見るとき、バスの窓から、春風にあおられて桜吹雪が街ゆく人に吹き付けるのを見るとき、その散り際の見事さに、胸がつまる。

ぽつぽつと枝に花が咲き揃いはじめたころから、ふくれあがるように咲き誇る盛りの時期を経て、花が散り、緑の若葉が萌え出てくるまで、二週間もないのかもしれない。一瞬の美を、愛してやまない心は、どこから、

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【掌編】春色

【掌編】春色

春浅い千里浜の波打ち際を、彼の愛車で走る。なぎさドライブウェイと名の付くこの8キロの砂浜は、車で浜辺に降りることが可能で、すぐ波の寄せる間際を、運転して走ることができる。波しぶきはきらきらと光り、空は薄青く春色をしていて、波と浜の間ではかもめが一羽、二羽と、短い脚を懸命に動かして歩いている。

砂浜は、よく均されていて走りやすいように整っており、浜辺は上の道路から降りて来た車が自由に行き来している

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【掌編】熱燗

【掌編】熱燗

週末は、連れとなじみの居酒屋に行く。歩いてすぐの近所にある、こぢんまりして居心地の良い飲み屋は、私が引っ越してきたときに散歩をしていて見つけた。「たべのみ処 あじ彩」と墨くろぐろと書かれた木製の看板がかかり、引き戸の入り口前には大きな南天の鉢が置いてある。たわわな赤い実に目を和ませて、粉雪の降る中、マフラーに首を埋めて店入りする。

駆けつけ一杯は、何にしよう。夏ならビールで決まりだけど、とにかく

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【掌編】早春

【掌編】早春

空模様が柔らかくなり、吹く風も少しぬるんだ。水道から出る水はまだきんと冷えているが、寒さは峠を越えた。朝一番のあたたかいほうじ茶は、体の冷えをとってくれる。治りきらない風邪にはマスクをして、朝食の用意をする。マスクの中が、息でちょっとだけ湿る。

炊けた白米に、豆腐とねぎとわかめのお味噌汁に焼き魚をつけた、質素な食卓で、一人の朝食をはじめる。テレビニュースをつけると、アナウンサーはすでに春色の服装

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