テキストヘッダ

I Promise

レディオヘッドの新譜が出るときだけ、必ず連絡をしてくる知り合いがいた。名前をFと言った。

「聴いた?」
 Fはそう聴くが、僕が新しいアルバムを既に聴いているかどうかは、彼にとってあまり重要ではない。
「暗い。何でこんな暗いもんが、こんなに注目されるんだろうね」と、毎回Fは言う。

 断っておくと、僕はレディオヘッドの熱狂的なファンというわけではない。Fは多分、根暗な僕と陰鬱なレディオヘッドを関連付けて覚えているのだろう。

 Fと僕は、タワーレコードのアルバイト店員同士として知り合った。僕はそのころだらだらと無目的に大学に通っていた。Fは東京の大学を辞めて地元に戻ってきており、お金を貯めているところだった。僕とFは同い年だった。
「留学するためにお金を貯めてるんだ」
 と言うFは、いつも3枚のネルシャツを着回していた。チェック、カーキ、チェック。カーキを挟むチェックの柄は、よく見ると目の大きさが微妙に違った。ボロボロの黒いコンバースのハイカットスニーカーを、足首のところまで紐を通さずに履いていた。癖っ毛なのかパーマなのか、髪の毛は跳ね回るシーズー犬のように、フロアを一歩歩くたびに毛先がふわふわと揺れていた。
「今はバイトしかしていないから、着飾る必要なんてない。こんな量販型のレコード屋の店員のファッションには、誰も注目していない」
 そんなFの、大きなメガネだけは、よく見るとハイブランドのロゴが弦に印刷されていたのを、僕は知っている。
 音楽が売れない、ましてCDなんて媒体が半ば時代遅れだとされ始めた時代の終末観ただようレジカウンターで、僕たちは随分話をしたものだった。

「この曲、サビの途中でチンポって言ってない?」
「ほんとに?」
 店内に流れている音楽は、女性シンガーのファーストアルバムだった。どの曲でも強い四つ打ちのビートが強迫観念的に鳴っていて、それ以外の音は全部中音域でスープ状になっているエレクトロミュージックだった。大手のレコード会社から出ている、今月のヘビーローテーションと決められた曲だ。僕たち大手レコード小売店には、中古レコード屋のように好きな音楽を鳴らす権利はなかった。
「ほら」
 サビの歌詞は「チンポ」以上に無意味なメッセージを歌っていた。日はまた昇り沈む。夜明けがもうそこまで来ている。どんなに長い道のりでも、必ずたどり着くことが出来る。
「聴こえなかったけど」
「集中して聴くと聴こえない。全力で力抜いて聴いていてみろ」
 そう言ってFは笑った。
「ここで働き始めるまでは、もう少し音楽が人に愛されていると思ってたよ。もう少し人々の生活に根ざしてるとか、何かしらの形で誰かを元気付けてるとか。でも勘違いだったな」
 僕は棚に寄りかかりながら笑った。そういう風に言うことが、何か軽薄なジョークとしてしか受け取ってもらえない時代だった。Fの方も、口の端でにやにや笑っていた。
「世も末さ。マジでこんなのが売れてるんだから」
 Fは頭の上のモニタを指差した。モニタの中で、今かかっている曲を歌っているアーティストのミュージックビデオが流れていた。信じられない数の男たちが、その女性シンガーの後ろで、一糸乱れぬ動きで踊っている。(驚くべきことに)このアルバムはそこそこ売れていて、ヒットチャートにも乗っかった。ヒットチャートなんていうものは、(僕たちにとっては)何の意味もなさないものだったが、これが日本で三十万枚売れています、ということになると、(それは俄かには信じがたい現象として)レコードショップ店員の僕たちの話題に上った。
「でも何がヤバイって、おれがこの歌のメロディをほとんど歌えるってことさ。洗脳以外の何物でもないよ。最近だと家に帰っても頭の中でこれが流れてる。もうおれは手遅れだ。近いうちにこのラジオやテレビでこの曲が一斉に流れた瞬間、おれみたいにこの曲が頭に染み付いているヤツみんなが凶暴化して、周りの人間に襲いかかるわけだ。君みたいにぼけっとしているヤツの首筋に噛み付くのさ」
「なるほど」
「もしそうなったら、躊躇しないで殺してくれ」
 Fはゾンビ映画みたいなことを言った。

 どうしてFが東京の大学を止めて一旦地元に戻ってきたのか、よくよく思い返してみると、ちゃんとした理由を知らない。特段これという理由はないのだろう、と当時は思っていた。今もそう思う。
「授業中に居眠りしていて、目覚めたら階段教室にはもう誰もいなかったんだ。時計を見たら、四時くらいだったと思う。でも、自分が何限目の授業に出ていて、そして今が何限目の授業の時間なのかわからないわけだ。全くもってくだらなさの極北さ。これは俺の心が作り出した廃墟の幻か?やってられない。それでおれは、大学なんて辞めようと思ったんだ」とか、
「授業一コマ分まるまる、映画を見る授業があったんだ。最高じゃないか、映画を見て単位をもらえるだなんて。そう思って授業に行ったら、教授から『二時間ある映画を今週来週と二回に分けて見ます』なんて言われるわけだ。くだらなさの極北さ。教授も学生も気が狂ってる。とにかくこんなところにいたら、遅かれ早かれ心が死ぬ。それでおれは、大学なんて辞めようと思ったんだ」とか、Fはとにかく適当なことばかり言っていた。
 一方で僕の方も、とにかく大学がつまらなかった。そこに通うことに何の意味も見出せなかった。
「くだらなさの極北」
 と、よくFは言っていた気がする。僕たちはそれぞれの大学が「いかにくだらなさの極北」なのかを言い合った。二人とも違う大学に通っているはずなのに、何故か同じような不満ばかりが出てくるのだ。教授や大学というシステム自体に対する不満ももちろんあったが、それよりも僕たちは周りの人間を敵と見做していた。あいつらが間違ってここに来ているのか、自分が間違ってここにいるのかのどちらかとしか思えなかった。

「いつもトランプでばば抜きをやってやがるんだ」と、防犯タグをCDのケースに貼りつけながら、ある日のFは吐き捨てるように言った。
「階段教室の後ろの方に集まった連中が、ミッキーマウスの描かれたトランプで遊んでいやがるんだ。毎時限毎時限、飽きもせず。一般教養の授業でも学科専門の授業でも、そいつらは必ずいやがるのさ。おれをつけ回してるんじゃないかって勘違いしそうになる。おれはそいつらの顔なんて覚えていられないから、毎回そいつらが違う人間に見える。実際のところどうなのかわからない。そいつらが同じ集団なのか、はたまた全く違う集団なのか、何人かは被っているのか。なんで大学生にもなって、どの教室に行ってもトランプでばば抜きなんてやってやがる連中が必ずいるんだって思うだろ?わけがわからないよ」
 ははは、と僕は笑った。防犯タグをCDに貼り付ける作業は、慣れてくると頭を使わなくても良くなる。慣れるまでは、毎週入ってくるCDの量-----つまりタグをつけなければいけないCDの量-----に面食らっていたが、今や暇つぶしになってちょうど良かった。
この店のすべてのCDに、漏れなく防犯タグが付けられているのだ。ジョン・コルトレーンの五枚一組セットにも、嵐のDVD付きCDにも、フガジの輸入盤にも。
「それで一度、そいつらの近くに座って、やつらが授業中に居眠りしてる間に、そのトランプの束からジョーカーを抜いてやったのさ。いじわるなピートがこちらを睨んでる絵柄だった」
 そういってFは、肩をすくめてみせる。
「君も暇だな」
「でも、一切何も変わらなかった。それからもずっとやつらはばば抜きを続けた。あいつら、どうやってジョーカーのないトランプでばば抜きをやっていたんだろう?」
 それでおれは、大学を辞めようと思ったんだ、とFは無表情のまま言った。カウンターには、防犯タグが付いたCDが山になっていた。

 レディオヘッドが、「イン・レインボウズ」というアルバムを出したのはその頃だった。
 レディオヘッドというバンドが、特別に好きかと言われるとそうではない。でもアルバムは全部持っているし、来日公演に行ったこともある。何枚かのアルバムはデラックス盤だ。もっと言えば、トム・ヨークやジョニー・グリーンウッドのソロワークについてだって、今も僕の家のレコードの棚に並んでいる。人生で何度かレコードの整理をしたことがあったときも、処分せずに残されたということだ。
 ザ・ベンズというアルバムを、僕は若い頃に特に何度も聴いた。初期のアルバムだ。プラネット・テレックス。ハイ・アンド・ドライ。フェイク・プラスティック・ツリー。ブラック・スター。曲が終わるたびに、次の曲の出だしの音が頭の中に先に思い浮かんだ。全体的に重苦しい雰囲気の、シンプルなアルバム。それ以降のアルバムに比べると、メンバーが自然な雰囲気で演奏をしているように感じる。コンセプチュアルになりすぎず、とにかく良い曲を、良い録音と良い演奏でまとめたという感じ。歌っている全てのことを理解することができない当時十代だった僕でも、これがとても切実なメッセージを込められたアルバムであるということは、口をぼけっと開けて聞いていてもわかった。文化圏が違う国でレコーディングされ、英語で歌われている曲であろうが、しっかりと胸に迫ってくるのだ。そうやって、意味がわからなくても胸に迫ってくるということ自体が、まだ衝撃的に感じられた頃だった。音楽というものに対して、極端にナイーヴだった。

「こんな辛気臭いバンドが世界中で売れて、俺たちの世代を代弁していると思われると、なんとなく癪だよな」
と、Fは客のほとんどいない店内に流れる「イン・レインボウズ」を聴きながら言っていた。
「そうだね」
 僕も本来なら、もう少し泥臭いバンドの方が好みだった。真正面から歌っているバンドよりも、もう少し力を抜いて見せて、周縁のことを歌っているバンドのほうがかっこいいと思っていた。ザ・フォール。ペイヴメント。ビート・ハプニング。
 Fは、オアシスとか、レッド・ホット・チリペッパーズの話なんかをよくしていたような気がする。
「このアルバム買った?」
「まだ」
 Fはしばらく自分の靴を眺めながら、トム・ヨークの歌声を聴いていた。
「どうしようかな。サンプル盤もらえないかな」
「レディオヘッドは社員が持っていくだろうな」
「そうだろうな」
 「イン・レインボウズ」が流れている時、普段くだらないことばかり喋っていた僕らが言葉少なになっていることに、Fもきっと気づいていたと思う。僕は腕組みをして、Fは落ち着かず拳で自分の骨盤を軽く叩いたりしながら、そのアルバムを聴いていた。
「なあ」
「なに?」
「レコナーってどういう意味?」
 Fはジャケットの裏を眺めながら言った。
「さあ」
 君は留学するつもりなんだろ、と言いかけたけど、止めておいた。
 「レコナーってどういう意味?」とFが聞いた日、僕たちは揃って「イン・レインボウズ」を社員割引で買って帰った。家に帰ってブックレットを眺めてみても、僕にはその意味は推測すらできなかった。とにかく悲しげな曲だった。「レディオヘッドは諦念を全く隠さない」と、ライナーノーツにはあった。


 しばらくして、そのタワーレコードのアルバイトを、僕は突然辞めてしまった。自分でもどうしてなのか、今となっては思い出せない。とにかくその唐突さ、胸の中の何かが急速に熱くなるような冷たくなるような感覚だけを覚えている。一言で言うならば、こんなことやっている場合じゃない、と思ったのだ。こうしている間にも、時間はどんどん後ろに流れていってしまうのだ、と。
 Fとは、それからしばらく会うこともなかった。突然アルバイトを辞めたことに対する後ろめたさみたいなものが、胸の中に確かにあった。でも一方でFはきっとそんなこと気にしていないだろう、とも思っていた。頭の中で、店のカウンターに立っているFは、僕と話をしている時と全く変わらない無表情のまま、CDに防犯タグを貼り付けていた。
 それから僕は、結局大学を五年かけて卒業することになった。アルバイトを辞めたことと直接的な関係はないと、僕は思っているが、もしFが大学に通う僕の足取りを見たとしたら、こう思ったかもしれないとも思う。「自分には理解不能なCDを意味不明な客に売りつけるくらいなら、学校に行く方がマシだ」と、僕が考えているのだと。事実、僕がCDを売っていた時間はそっくり、大学に通ったりレポートを書いたり来期の授業をどういう風に組むのかということを考える時間になった。
 大学を辞めてしまったFと、結局辞めなかった僕との違いというのは、一体どこにあるのだろう?と考えることがある。つまるところ僕は、大学を辞める正当な理由を見つけることができないままだったということだ。ただだらだらと授業に出向き、適当に力を抜いていても単位をもらえるこつみたいなものを、いつの間にか僕は身につけていた。
 Fには大学を辞めようと思う正当な理由があったのかもしれない、と今思い返してみて思う。仮に本当に、そういう「くだらなさの極北」が澱のように溜まっていったとしても、それはFという器を決壊させることはなかったように思うのだ。

 レディオヘッドが、「イン・レインボウ」に続く「ザ・キング・オブ・リムズ」というアルバムをリリースしたのは、僕がようやく大学を卒業する頃だった。2011年の、春になる少し前だ。
Fは、「聴いた?」と、僕たちが昨日まで一緒に働いていたみたいな雰囲気で電話をかけてきた。
「レディオヘッドの新しいアルバム。あれ、インターネットでダウンロードして聴けるんだぜ」
「まだ聴いてないよ」
 正直に言えば僕はその時、とても音楽なんて聴く気になれなかった。ましてやレディオヘッドなんて、頭の中で思い浮かべるだけでも陰鬱になりそうなバンドの曲を聴き通す自信がなかった。とにかく憂鬱になれる理由が、個人的にも僕を取り巻く世界的にも、幾らでもある時期だった。
「そうか。とにかく陰鬱な雰囲気のアルバムだ。うん、もしかすると、今聴くようなもんでもないかもしれないな」
 少しの間、会話が途切れた。何かがふつふつと湧き上がってくるような音が、受話器から聞こえた。
「突然辞めちゃってすまなかった」
 Fは少しの間押し黙って、何か言い淀んだ。
「君がアルバイトを辞めたあとすぐ、おれは大怪我をしたんだ」と、Fは言った。
「車の運転していて、事故に巻き込まれたんだ。トラックに横からぶつかられた。
 しばらく生と死の間を彷徨った。腰に車のどこかのパーツだか破片だかが刺さって、血が大量に出た。
おれは幾つかの長い手術を経て、奇跡的に生命を取り留めた。今でも幾つかの破片が、おれの身体の中には残されていて、おれは自力では歩けない身体になった。
 事故の瞬間のことは覚えていない。死にかけた時の痛みや苦しみも、思い出すことが出来ない。おれが覚えているのは、何回目かの手術の時のことや術後の苦しみで、それはそれで辛いものがあったけど、死とは切り離されたものだった。あのくだらなさの極北みたいなレコード屋のアルバイトも辞めざるを得なかった。
 当然ながらおれは、死ぬということを意識した。意識せざるを得なかった。それまでとはもっと違う形で、直面しなくちゃいけなかった。死ぬというのはこういうことなのだ、と強く思った。自分の魂が抜け出し、身体が滅び行くということを」
 僕は黙って電話口から聞こえるFの声に耳を澄ませていた。ざざざ、と何かを押し流していくような、ノイズまみれの声だった。
「ほんとに、何も残らないんだ。何一つ。でもそんなもんなんだなって思ったんだよ」と、Fは言った。
「そこには何の残滓も残されなかった。おれが死んでいなくなってしまうことを悲しんでくれる人のことであるとか、おれが成し遂げたかったけど成し遂げることが出来なかったことに対する悔しさみたいなものではなく、とにかく巨大で押しつぶされてしまいそうな『何もなさ』だった。そこには何も残らない。
 意識を取り戻したおれは、医者から『よく頑張りましたね』と言われた。『出血の量も多く、手術の長かったのに、君はちゃんと生き延びたんだ』。
 それはおれが頑張ったことになるのだろうか、とおれは思った。
それでまあ、なんとなく、しばらく海外でも行ってみるか、と思ったわけだ。でも別に、何にも変わらないよ」
Fは今、アメリカの海沿いにある小さな街で、古本屋のアルバイトをしながら暮らしているということだった。楽しい事情もそうでない事情もあって、日本にはしばらく戻っていないという。

Fは、元々海外に行くつもりでお金を貯めている、と僕に話していたのを忘れていたのだろうか?
「そこで出会った友達たちと、ガレージみたいな音楽やってるんだ。あいつら、ほんとにガレージで練習をやるんだ。馬鹿みたいだろ」
 僕はFがガレージでギターを弾いているところを想像する。
「でも、そうやって馬鹿みたいに暮らしてるときに、このアルバムを聴いたら、なんていうか、色々思うところがあったんだ。思い出すこともあった。うん、なんていうかさ、お互いぼちぼち行こうぜ」
 そう一方的に言って、Fは電話を切った。


 そして今度、過去のアルバムの二十周年記念盤が出るらしい。ライブ以外で未発表だった曲も入っているという。
 Fからの電話はあるだろうか?そう思いながら、そのアルバムを聴き直す。
 まぶたの裏に何かが見えた気がしたけど、それが何かはわからなかった。

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