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僕の子ども絵日記 ~ ながさきの四季

2011年3月11日、何の因果か、東日本大震災の起こった日に、長崎新聞社より発刊されたもので、約3年間月1回、同新聞の生活・文化欄に掲載されたものです。

これに連載時にはなかった「軍艦島タイムスリップ編」4編を収録しています。

内容は、長崎県全郡・市・町を舞台に、フィクションの設定の子どもと大人たちのやりとりと、そのテーマに関する自身の思い出を綴ったエッセー。イラスト。舞台となった写真とイラスト・マップが1セットになっています。(自伝ではありません)

下のようなイラストとエッセイとマップが、計33編 続きます。

あまり褒められたこともないわたしですが、年老いた父は、この書だけは褒めてくれました。どうぞよろしくお願いいたします。

20 『 いつまで もってくれるの? 』

(東彼杵郡・川棚町・石木郷)

僕の子ども絵日記-52

『 いつもはいじわるばっかするのに、私がころんだ時、先生が「バンソーコーばはる間、もっとってやれ」って言ってから、ずっと私のリュックをもってくれてる。

私が「ありがとう」と受けとろうとしても、

「ヨカ、ヨカ。オマエは給食ばいつでん残すけん、ヒョロヒョロしてバランスのとれんと」なんて、チンプンカンプンなことゆって・・・。

でも、きょうはなんか、いつも授業中、ハナくじってテレ~ってしとるアキラくんとはちがうね。

去年までは私の方が背、高かったのに、いつんまにかぬかされとるし・・・。』



先生の話はろくすっぽ聞いてなくて、授業中ハナくじってテレ~っとした子どもだった私でも、ほのかにロマンスの灯がともることもあった。

しかし、そんなバカチンな私に恋の花なぞ開くはずもない。

低学年のころは、下校とちゅうに好きな子を見つけると、友だちとそっと近づいていって、パッとスカートをめくってにげて来た。

その子の「なんね、もう~」という笑顔が見れただけでハッピーだった。

その後も好きな子ととなりの席になろうものなら大変だった。

心ぞうがバクハツしそうなのだが、顔にはけっして出さない。

忘れた時に見せてくれた教科書は、私の手あかだらけのまっくろとは大ちがい。

かしてくれた消しゴムはバラのかおりがした。

私がこぼした牛乳をぞうきんでふいてくれた時は「生きててヨカッタ!」と思った。

そんな感じで青年期まできた。

高校の時は「あたし、ごめんばってん、ジャッキーチェンば、すいとぅと」とフラれた。

「恋」と「変」はよく似た字である・・・。


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