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炭鉱町に住んだ人々~隣人との付き合い

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(「写真万葉録 筑豊 大いなる火(下)」より)


現代建築、街づくりが目指しているものは、「プライバシーの尊重と安全性」のようですが、それらを尊重する一方で比例して増幅しているのが、「ご近所トラブル」であることも、また現実のようです。

「(TVや音響機器、足音、話し声、ペットの鳴き声など)音がうるさい」
「(深夜など)生活する灯りがまぶしい」
「ペットが出すにおいや排泄物がくさい」
「植木など植物の枝が邪魔、葉が落ちる」
「共同スペースに物を置いて、邪魔」・・・・・等のクレームはもはやどこへ行ってもめずらしいものではありません。

もちろん炭鉱町にも、そのような問題が無かった・・と言えばそれは嘘になると思います。
しかし、現代の状況に比べると、それは遙かに少なかった、ということは間違いないようです。

炭鉱は基本、8~12時間交代の終日操業です。
つまり鉱員達は2~3つのグループに分かれていて、それぞれ一番方、二番方・・と呼ばれます。

どんな早朝でも深夜でも、どこかの家庭の鉱員さんは、劣悪な環境で危険極まりない坑道の奥底で、身を危険にさらしながら働いているわけです。

炭鉱町には常に仕事から帰る人や、これから向かう人などの足音、生活音、そして巻き上げ機や炭車などの音がしていたわけで、この「音」に対してクレームをつける人など、まずいなかったわけです。
むしろ寝ている時にかすかにしている巻き上げ機やゲタの音は、心臓音のように、落ち着く「街の音」だったわけです。

「灯り」についても、もちろんこれも同じです。炭鉱住宅や鉱員アパートにともる裸電球の灯りは、心やすらぐ、「やさしい灯」だったわけです。

「ペット」についても然りです。炭鉱町は鉱場に隣接していたのが通常でしたから、周りの環境というのは、ボタ山であったり鉱場の施設が建ち並ぶ殺伐とした場所が多かったわけで、住人達は少しでも生活環境に潤いを与えようとして、植物を育てたり、ペットを飼ったりしたわけです。
従って、こういうことに文句をつけるような人もほとんどいなかったわけです。

「共同スペース」については、別にトピックを組んで説明したいと思います。

いずれにしても、炭鉱町というのは、「人間が生活をするということは、人知れず迷惑をかけることである。しかし、その反面で人知れず役に立つこともある」・・・という大前提を生かしたまま、人々が大らかに明るく前向きに生活を営んでいた場所だと言えるでしょう。

「いかに他人に迷惑をかけないか」「クレームを言われないようにするか」ということに針のように気を遣うあまり、「隣にはどんな人が住んでいるかも知らない」という状況が今や普通となってしまっている現代。

「ひとり暮らしの老人が誰にも知られず、ひっそりと死んでいた」や
「生活苦に追われたシングルマザーが、ストレスのあまり我が子を虐待死させてしまった」等という悲しい事件が報道メディアから消えることは、おそらくないでしょう・・・・。


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