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裕福さを自慢する者が、なぜ尊敬されないか

それは「心根の貧しさ」を見抜かれるからだ。

どんなにすごい豪邸や高級外車をを見せられても、年商が〇〇億だと言ってみても、誰もが「たった40~50年前には、鼻水垂らして、お母ちゃん!」と泣き叫んでいたその姿が浮かんでしまう。

そして、あと数十年後のかなり近く現実的な未来には、その一欠けらもあの世に持っていけず亡くなってしまう姿も。

そもそも金銭は、誰かが汗水たらしてつくった作物であったり、品物であったり、労働した対価なのだから、それは世の中に存在する人みんなのものなのである。

この単純な理屈がわからず、謙虚な態度を身に付けていないと、ひたすら金銭を溜めることや、それをひけらかすことに人生を費やし、ついには尊敬はおろか、一枚の硬貨すら持っていくことができない。

これは個人に限らず行政などにも言えること。
昨日、ずいぶん仰々しくなった長崎県庁に行ったのですが、世界遺産である「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の大きな垂れ幕がエントランス・ホールに掲げてありました。
しかし、これらの構成遺産の多くを占める教会群は、行政が弾圧してきたキリシタン達が自力もしくは労働奉仕によってやっと建立し、その建設のために自分の財貨を寄進した名も無い多くのカトリック国の農夫たちの篤志によるものです。

そういった価値を掲げず、ただ観光客誘致だけのために利用しようとしても、おそらくビジター達の胸を打つことはないでしょう。

加えて巨大な展示会場や賭博施設、スタジアムなどを建設し続けていますが、どれも市民が家族で訪れ、家族の親和をはかるものとは程遠いものです。
施設の豪華さなどをいくらひけらかしてみたところで、訪れる人々の心を動かすことはできないのです。


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