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学校教育に決定的に欠けているものの一つ ⑨  学校に当然あるべき「社会性」

アメリカの教育学者デューイは、「学校だけで本来人間が身に付けるべき社会性を期待するのは到底無理であって、多くの部分を実社会に委ねるべきだ」と述べていますが、実にその通りです。

人が生まれて最初の「社会性」と言うべき関りを持つのが母親であって、それから徐々にその生活圏の広がりとともに社会性も身に付けていきます。

特に「学校(保育園・幼稚園も含めて)」というのは、その「社会性」を養い錬成すべき一番の機会であるのに、実際は実社会とはほぼ隔絶されているというのが現状です。

具体的に言うと、高校三年までの長い年月を同年代の集団だけで一日の大半を過ごし、関わる年長者は教師だけという状態で過ごします。

社会が狭すぎるのです

大学を出たとしても、突然投げ込まれる職場は、ありとあらゆる年齢層の複雑怪奇な実社会であり、若者たちは、「何をどう振舞えばよいか」もわからないうちに翻弄され、自分を見失った挙句、自分自身をコントロールできなくなる若者がほとんどです。

2021年の現在、新卒者の3割が一ヶ月程度で仕事を辞めてしまう元凶は「あまりにも学校が社会と隔絶されてきた結果です。

まず社会には、様々な価値観や行動規範を持った人間が生活しています。
そのような人間たちの間で生きることが「社会性を身に付ける、錬成される」ことになるはずです。

しかし、学校で得られる社会性と言うのは、「職場体験」や「講演会」など、教師が狙いを持って提供しただけのケチ臭いものばかりにすぎません。

様々な予想外の事が起こるダイナミズムが一切ないのです。

結果、そういった体験学習を得ても、「~してよかった」などと通り一遍の感想を書いておわるだけの薄っぺらなものしか残りません。
そんなものは実社会では何の役にも立たないことを、青年たちは就職した初日の数時間で悟ってしまうのです。

また「いじめ」や「不登校」という命をも脅かす学校問題も、この「あまりにも社会性が欠如している」ことと関係しています。

毎日膨大な時間を担任教師などの「あまりに個人的な」価値観だけの説諭だけで占められた挙句、そのストレスは児童生徒の心身を蝕み、「理由はわからないが」と言う状態で弱い存在を死ぬまでいじめ抜くといった悲劇をもたらすこともあるようです。

まず、「女子のスカートの丈がどうこう」とか「髪の毛の色がどうこう」などということに神経を尖らせているベクトルを修整すべきでしょう。

「ヒトが生きていくとは、どういうことなのか」
「働くとは、どういうことなのか」
「学ぶとは何なのか」
「社会や集団はどうあるべきなのか」
そういった問いを実社会に近い状況の中で学ぶようになれば、自ずと校則問題のような問題も解決の方向性が見えてくるはずなのであって、こういう問題は文科省が下達するような事柄ではないと思うのです。


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