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さようなら、全てのエヴァンゲリオン

まだ「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見ておらず、エヴァを一度でも通ったことのある人間は、まずシンエヴァを見てからこの記事を読んでください。別にネタバレされたところで面白さの強度は欠けませんが、やっぱり何の情報にも影響されずにアレを見たあなたの感性を大事にしてあげてほしいので。

 

 


感想、解釈、解説。略して3.0K。

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まずエヴァンゲリオンというコンテンツを触れるにあたって、庵野秀明の人生は切っても切れない関係にある。シンエヴァ公開決定時のイラストは明らかに庵野の過去作、式日を意識してデザインされたものだろう。式日は、映像作家として成功を収めたが、ヒットによる無力感を抱えた「カントク」が線路に横たわる女性と出会うっていう、完全に庵野が自身を下地にしてつくった実写作品だ。ナレーションが林原めぐみだったり、最終的にアニメ監督として復活する流れだったり、自伝的要素を強く含む作品だったが、今回のシンエヴァも例外ではなく、庵野秀明という人間の人生を垣間見ることが出来る。

今回のシンエヴァはテレビアニメ、旧劇の要素を設定単位で拾いつつ更にシン化したものだった。黒波に手渡される安野モヨコの絵本、支えてくれる他人の存在、それを受け入れるまでにかかる時間、それぞれのキャラに描かれる親子間の関係、家庭の描写は、庵野秀明が結婚し乗り越えた人生があるからこそ描けたもので、本当によかったと思う。

黒波が農業仕事の一環としてカブを洗うシーンがあるがそこにはクスっとした。

これを見てから改めてシンエヴァに行くと、また違った視点からあの映画のAパートが見れて面白いと思います。図書室にシュガシュガルーンの宣伝ポスターを……入れるな!

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モヨコ原作。アニメのOP、EDの絵コンテはモヨコが、演出は庵野がやった。

Aパートの第三村での穏やかな暮らしは、久々の日常エヴァ成分で滅茶苦茶救われた。Qでシンジが、支給された制服にトウジの名前を見つけて目見開いたシーン、完全にトウジ達の生存諦めてたからね俺。トウジもケンスケもヒカリも生きててよかった。本当に。ただ、彼らもいい大人してたのでそういう意味での寂しさも強かった。

このパートの特筆すべきところは、やっぱり何も知らない黒波を通した第三村の社会生活だろう。エヴァQが東日本大震災の影響が強くあることは桜流しのブックレットで明らかになっているが、ちょうど10年経った今に災害からの復興を描き、右も左も分からない黒波と一緒に、自然と他人と汗水たらして「生きる。」を体験させてくれたのはこの映画を今見ることの価値だと思う。セカイ系というある種の揶揄の元祖となったエヴァが、社会生活を描き、社会性あるテーマを獲得した上で改めて世界の危機だのぼくとあなたに収束するのは感慨深かった。ここはアニメ映像も実写的なアプローチで作られてるので、そういうのが面白い人間はパンフレットを買った方がいいです。

黒波の喪失を経験し、シンジが責任を自覚した以降の戦闘シーンも死ぬほど見どころあったね~。既に公開されてたアバンのパリ旧市街地での逆ヤシマ作戦(囮の44Aを使い本命の4444Cの陽電子砲を悟らせないようにするとか)にエッフェル塔ぶっさして止める、南極でL結界が強いセカンドインパクト爆心地に潜航するヴンダー、それを止める三つの同型艦との戦闘とか。使徒化してエヴァ新弐号機を覚醒させたアスカがやられたと同時にmark10が強襲してヴンダーの制御を奪い取られるところの緊迫感は何回見ても良い。青い液体が侵食して高速で閉まる扉にギリギリ防がれるとこ、EOEのAirで戦自が攻めてきたシーンを思い出した。作戦名の「ヤマト作戦」も、ヤシマ(八島っていう日本の呼称と、屋島合戦で那須与一が扇ぶち抜いた故事のダブルミーニング)から、日本の旧称と赤く放射能でやられ切った地球を再びコスモクリーナーDで元に戻す宇宙戦艦ヤマトのダブルミーニングでつけられてるのも、にやつきポイント高め。

何より予告編で不安だった初号機VS13号機が見事な評価点に変わったのは驚きでした。


これ見てもらえると分かると思うんですけど、マジで3DCGがチープ。お前これ本気で作ってんのかよ。予告で確認できる範囲で最大の懸念点だった。でも違ったね。ぶつかっても建物が壊れずにずり下がったり、セットの舞台裏に転がり込んだり。まんま特撮の演出で描いてて映像表現として滅茶苦茶面白かったです。マイナス宇宙が虚構と現実が入り混じる場であって~っていうしっかり設定に地に足ついてるのもよかった。ちなみに用語としてそのままってワケではないんですけど、マイナス宇宙だったりゴルゴダを持ち出したり(ゴルゴダ星)、低予算で建物のセットがズレるっていうのはウルトラマンAのオマージュだと思われます。

マイナス宇宙、その中のゴルゴダオブジェクト、エヴァンゲリオンイマジナリー(シンジには黒いリリスに見えたもの)って存在でテレビアニメ、旧劇の世界と繋げてくるのも、ループ説より"らしい"設定の持ってき方だったな。多元宇宙的というか、虚構と現実が入り混じる場って設定にすることでそれぞれ独立的な世界を保ちながら、あのアディショナルインパクト後の状態では全てが入り混じり、旧劇のこともセットで出来事が語られるって描き方。シンエヴァ直前でも新劇が猛プッシュされてたし、あくまで序破Qのアレは演出上の意味付けでしかないと半ば諦めていた節があったので、余計に嬉しかったね。そこまで全部拾い上げて、終わらせてくれた。

エヴァンゲリオンイマジナリーが、ロンギヌスとカシウスに刺されて巨大な綾波状態になり、全ての存在が集約されていくシーン、最初は巨大綾波の顔が不満だった。エンドロールに記載されてて確信を持ったけど、俺、プロダクションIGのCGのキャラデザインがあんまり好きになれないんだよな。もっと言うと押井守にありがちな、割りかし極端に漫画風っていうか萌えみたいな造形を排除して現実的に描くというか。補完計画発動中は、旧劇でも描かれたようなぐっちゃぐちゃのドラックムービー的で、そのケミカル味としてエヴァインフィニティが新人類に神化していく様をあえてって見方も十分にできるので、押しきれているとはいえ……と思ってた。でも二回目以降の視聴で、多少違和感があっても虚構と現実の合間にある存在の表現として、「分かるような」3DCG感のデザインっていうのはアリなんじゃないかなって、そういう解釈が出来ることに気づいてからはさほど気にならなくなった。設定解釈に則れば、「俺たちがあの場を今ここにいる現実とアニメ世界の合間の存在として認識しているから、3DCGで構成されたように見える」で納得した。

終盤。エヴァンゲリオンイマジナリーの中で補完計画の中心になったシンジが、あの場所に、エヴァの呪縛にとらわれていたアスカ、カヲル、レイを救いきった後、ガイウスの槍を初号機と13号機が入り混じった存在(シンクロ率無限大なので=自分)に突き刺してネオンジェネシスを完遂しようとしたあの瞬間に、初号機の中のユイが背中を押して送り出すシーンで思わず涙ぐんでしまった。旧劇の最後でも、他人のいる世界を望んだシンジを送り出したのはユイだったけど、あの時は孤独に寂しく永遠に宇宙をさまよい、すべてを見届ける展開だったから。今回ようやく息子と自分の弱さに向き合い、目的を失い満足したゲンドウが13号機の身体で初号機のユイを抱きしめて二人とも幸せそうにしてたのが何より嬉しかった。こと、エヴァはゲンドウの物語といっても過言ではないほど、ゲンドウを中心に全体が振り回されてきたので、その終局があれで本当によかった。選曲が「voyager 日付のない墓標」なのもニクかったね。

2分22秒〜

最後に。これに触れないワケにはいかないので触れますが、マリエンド、皆さんはどうでした?読み解けば結構納得出来る結末なんだけど、表面上の出来事だけをさらうと「ん?」となることは請け合い。いやアスカとケンケンでそれどころじゃない人間もいるかもしれませんが、俺、あれは"あの式波"のみの話だと思ってるんだよな。これについては後で説明します。とまれ、カップリングの視点で見ると今回面子がかなり異色。俺も感覚として未だにおぉ……?という気分が抜けていません。俺もLRS派として、確定事項ではないにせよ少なからずなんとも言えない傷を残ったのは確かなので、慎重に取り扱っていきましょう。

真希波・マリ・イラストリアスは、エヴァンゲリオンではかなり異質な、「庵野秀明の側面の投影を全く受けない」ように描かれたキャラです。マリはそれまでのエヴァのキャラと違い、テレビアニメの頃から副監督だった鶴巻をはじめとして、他人に一任されていました。レイ、アスカ、カヲルの関係に決着をつけた上で、自分の投影だけではなく物語上でも他人の存在を加え、最後はそれに迎えられ、自身の責任の象徴であるDSSチョーカーを外してもらうことで赦しを描く。他人の受容の形としてこれ以上ないくらい美しい。

また、結ばれるところこそ見られなかったものの、それぞれが関係性の良い決着として丁寧な回収をしてくれたのも確かです。レイは、自身の好意が行動の規定のためプログラムされたものと知りながら、それでもいい、好きだ、一緒にいたかったという思いを伝えます。シンジも最後まで綾波を思い、エヴァのある世界でネルフでしか生きられない「綾波レイ」と握手し、背中を見送ります。握手は仲良くなるためのおまじない。きっと、エヴァのない世界でも二人は仲良くなれることでしょう。

アスカは、前半何度も罵りながらも行動の一つひとつを見ると、なかなかにシンジを気にかけています。隅で完全に死んだような状態のシンジに「それ、しんどいんだけど」から始まるレーションの一連、最後の「そんなメンタル強度ならエヴァに乗らないでほしかった」って吐き捨てる部分の声が泣いてるみたいに震えるのはいい熱演でしたね~。肝心な部分は例の如く顔を全く映さないからこそ、声の演技を傾聴出来る。出発前に「いつかのお弁当、美味しかった。あんたのこと、好きだったんだと思う」って伝えられたシンジが旧劇のラストと同じ赤い海の浜辺で大人になったアスカに「嬉しかった」って返して、あのシーンへの解答を用意したのもGOOD。ケンスケに関しても、結構加持にルックが似てなかった?彼が人のメンタルに対して繊細に寄り添えるのも理由の一つだろうけど、意外とアスカの好みって言われれば納得できるところもある。

カヲル君に関しては、彼の正体の考察も含むので後述します。

考察 3.0+1.0K

まあシリーズの最後だからということで、今まで伏せられてた設定も大放出され、劇場でもらうネタバレ注意の特典カラー用紙の中身は、見事に新しく出てきた用語でがっつり埋まっていた。そこまで用語を陳列するなら一個一個説明しろ。

起こされたアディショナルインパクトの手順は二回見てもなおややこしいし。あれアナザーインパクトとはまた違うインパクトなんだぜ。一回で分かるか。

今回世界設定上で今までのエヴァンゲリオンとの繋がりが見られたことと、シキナミタイプっていう新たに解禁された情報で、あの旧劇ラストの浜辺で成長したアスカは惣流アスカではないのか?という考察論争がある。先に結論を言うと、俺の考察では部分的に否定、部分的に肯定の半々だ。

まずアディショナルインパクト後の描写に注目しようと思う。最後、シンジが綾波レイを解放しようとスタジオの裏で対話をする際、綾波は髪が長い状態であるにも関わらず、つばめと書かれた赤ちゃんの玩具?布?を抱きかかえていた。

髪の毛が伸びた綾波は、ゴルゴダオブジェクトに触れてアディショナルインパクトが起きる前まで破ラストで初号機にサルベージされたあの綾波だ。つばめ、トウジとヒカリの子供に会い、それを気にかけていたのはアヤナミタイプナンバー6。つまり黒波の方。あの髪が長い綾波はつばめに出会っていないハズなのだ

別の方向からも見てみよう。ゲンドウはアディショナルインパクト後、明らかに旧劇でサードインパクトを途中で辞めたシンジと、新劇のシンジを同一の存在として話しかけていた。カヲル君は新劇では登場していない、テレビアニメ版でシンジと出会った所で「何度もここで出会ってる」という発言をしていた。勿論テレビアニメ、旧劇の世界の出来事だけじゃなく幾つもの繰り返しがあったんだろうけど、それらも全部引っ括めて同じ存在として語りかけてた。

アディショナルインパクトとはそもそもなんなのか。手順を追って説明する。セカンドインパクトは海の浄化。サードインパクトは大地の浄化。フォースインパクトは魂の浄化のための儀式として行われる。しかし、Qの最後でフォースは未然に防がれており、魂の浄化が恐らくされていなかった。そのため、13号機やヴンダーの同型艦をセカンドインパクトの爆心地に移動させることで、初号機とヴンダーをおびき寄せた。目的はエヴァmark9Aでヴンダーの制御を完全に奪い返し、他のアダムスの器であるエヴァmark10、11、12が入ったhorsemanを初号機の入ったヴンダーをトリガーに四つとも光の翼を展開させること。それにより、黒き月の形状が巨大な槍に変化。既に空いていたセカンドインパクトで開いた地獄の門(ガフの扉)に槍を突っ込み、大量のエヴァインフィニティがまんま津波のようにあふれ出てくる。これが、アナザーインパクトだ。

これに対し、ネブカドネザルの鍵で人を辞め、13号機で意図的に使徒化させた式波アスカを取り込み、ガフの扉からマイナス宇宙に侵入、その中にあるゴルゴダオブジェクトの中で、エヴァンゲリオンイマジナリーにロンギヌスとカシウスを刺し、さらにもう一度インパクトを起こすのがアディショナル(追加の)インパクト。ここでようやく巨大な綾波が登場。サードでインフィニティだのハイカイだの呼ばれてたのが新人類に神化し、全てがあの綾波に集約するってものだった。そうすることで、ようやくユイに会えるから。

マイナス宇宙は現実と虚構が入り混じる場であり、あの巨大な綾波の中で、ネオンジェネシス(全てのエヴァがない世界へ再編)が行える、スタジオでテレビアニメ版から新劇にかけて映像が高速で流れるところから、少なくとも旧、新の世界は入り混じったものであることは伺える。

つまり、魂単位で同一のものは全て同じ存在として集約されていた可能性がある。何度も記憶を引き継いで世界を繰り返すカヲル君に始まり、「綾波は綾波しかいない」、「綾波は綾波だ」が何度も強調されてきた綾波レイ、旧劇のシンジと同一視して話しかけられていたシンジと同様、あの場のアスカは惣流アスカでも式波アスカでもあるんじゃないか?と考えた。

もちろん、「ケンスケによろしく」、「好きだったって言ってくれて~」の言葉の前後関係からあそこでシンジが話しかけていたのは確かに式波だ。補完中に思い返された記憶も、クローンとして生まれた式波の人生だった。しかしその中でもネームプレートは「S.ASKA」だったり、意図して惣流が混在するよう意識されてたのも確かだろう。ネオンジェネシス後の宇治新川駅で、記憶を引き継いでない新しい存在としてのカヲルがあったように、左端の方にいたアスカは俺の見間違いじゃなければ一人だったので、やっぱりケンスケと結ばれたのはあの世界線の式波アスカ単体じゃないか?という疑問から派生している。願望も交じっているが、照れてたのは惣流アスカでもあるとしたら、素敵だなと思います。

あと間違いなく混乱したであろう、「渚司令」から始まる渚カヲルの正体論争についてもちょっと考察してみた。

僕は君自身だっていう言葉から、碇シンジと関係するのか?と一瞬勘ぐったが、彼が対応するのは明らかに碇ゲンドウだろう。もう一度本予告を見返してほしいんだけど、初号機と戦う前、ゲンドウが13号機で取ってたポージング、やけに気取ってるなと思わなかった?

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本編ではビルに座ってる時のポーズの全体像も映ってるんだけど、照らし合わせることが出来るポーズが一個あるんだよな。

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これ。

ゲンドウが孤独だった時唯一頼りにしてたのが、知識とピアノだったワケだけど、ピアノとカヲルの関連性については言うまでもないだろう。レイがユイとリリスのクローンであったように、この新劇のカヲルは案外ゲンドウと深いつながりがあるのかもしれない。シンジに対する否定の側面としてのゲンドウと肯定の側面としてのカヲル。そういった意味合いで最後シンジにエヴァ世界から解き放たれる際、ゲンドウと全く同じ格好で、破でネブカドネザルの鍵をゲンドウに渡す時と同じ構図で加持が「渚司令」という言い方をしたのかもしれない。新劇と旧世紀で設定が微妙に違うように、役割こそ同じだけど、繋がっている繰り返しているといっても、世界は変質している。あれはカヲルが繰り返した世界の可能性の一つだった、という考察。

そう考えると、ラストにレイとカヲルが宇治新川駅で一緒にいたのも、アダムとリリスといった聖書的つながり以外にも、あそこで幸せな最期を遂げたユイとゲンドウの生まれ変わり的な側面も見出せるな~という感じ。相性に関してはあまりにも関わりの描写がなさすぎるので未知数です。まあカヲル君にシンジの側面があることは本人の言葉通りなので、かなり曲解するとLRSエンドと言えなくもないです。俺は縋るぞ、LRSの全可能性に。

さようなら また会うためのおまじない

ここまで完璧に要素を拾い上げて終わらせられるとは想像もしていなかったってのが正直なところでした。エヴァQから9年少し。序破急の急、旧、ウルトラQのようにクエスチョンとしてのQとしての意味合い。フックにする回だったっていうのは頭で理解していたものの、あまりに違う世界に来てしまったため、絶対風呂敷は綺麗に畳めないと完全に諦めていた。畳めたとしても、旧劇のようなイカれた映像表現はもうできない。エンタメに振るだろうっていう予測。気持ちいいくらいに覆された。いやすげえわ。

俺にとってエヴァっていうのは自分の人生を振り返る上でもかなり初期段階で摂取した創作だったから、感慨深さと喪失感で胸がいっぱいになってる。庵野が結婚して乗り越えてきた人生があったように、俺もなんやかんや失敗して逃げて情けないながらも創作を杖にしてきたので、いつの間にかつかむものを失って立っているみたいな、不安定な気持ちだ。以前、「感覚的終末」で俺にとって2020年は、2000年と同じくらい区切りとして劇的なものが欲しかったっていう話をした。終わりたい。区切りの儀式をちゃんと終えて、少しでも変わりたい、そのきっかけにシンエヴァがなってほしいって話。

いざ、ここまで長いコンテンツが終わって、旧劇よりもずっとあたたかい「現実を生きよう」って背中を押されて。誰に言われても嫌な言葉だった。アニメの巨匠がそこに行き着く理由はなんとなくわかる。彼らは社会に大きい影響を与える存在だし、大勢に対しメッセージ性を込める際に問題があるよねって意識になるんだろうって理解はある。現実を直視せずに生きることに何の問題もないって言いきるには、振り返って後悔しかしてないような生き様で。それでも普段は目を逸らしてせめて死なないように、縋る対象を見つけて増やして迷惑かけて。そうやって生きてきた。少なくともこの辺の機微が分からない奴らに軽々しく言われたい言葉ではない。

でももうそろそろ、少しは無理して直視しなけりゃなんないのかもしれない。まだこのテーマを自分の中に落とし込むには時間がいるけど、受け入れようという心の動きがあっただけこの区切りの儀式にも意味があるんだと思う。

完膚なきまでにエヴァは終わったけど、さようならはまた会うためのおまじないだから。こういうコンテンツにまた会えるといいなと思います。

とにかく庵野秀明はじめ制作スタッフにおつかれさまと、ありがとうと、おめでとう。

 



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