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忘れていく感覚[プー日記6/5]

僕は小学生の頃、好きな子の名前を声に出して呼べなかった。

理由は覚えてない。ただなんだか恥ずかしかったんだと思う。

もう僕は31歳。20年前のことだから、的確にそのときの気持ちを描写できない。

その子とは友達のように仲が良かった。放課後はよくバスケしたし、ふたりで遊んだり出かけたこともあった。でも名前だけ、ずっと呼べなかった。

脳内では何度も読んでいるのに、名前という文字列や音は、あまりに特別なことばのような気がしてしまった。
文字として、名前を眺めるのが好きだった。
そこにあるただの字が、ただただ愛おしくなった。


高校生くらいになれば、そんなことはなくなった。なんで名前呼べなかったのか、自分でわからなくなった。呼べば良いのに。自分でそう思った。

たった4.5年であの感覚は失われた。

似たような「忘れていく感覚」を探したら、

子供の頃きらいだったいくらは今では美味しいし、苦いコーヒーだって飲める。

そんな、味覚のことばかり浮かんだ。
苦手だった感覚を忘れたとも言えるし
美味しいという感覚を得たとも言えるかもしれない。

失うとき、なにかと交換しているのだろうか。

今度何かを失ったら、交換したものを探してみよう。得たときには、忘れてしまう感覚をこうやって言葉に残していこう。

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