静岡大学×竹あかり
3月11日。某大学にて、竹あかりのワークショップが開催された。
それは私が在籍している大学——まぁ静岡大学って言うんですけど。
こんなのも作ったりして。
藤島瑛太郎さんの腰巾着を始めて四ヶ月。
一区切りの時間がやってまいりました。
藤島さんとのそもそも出会いは、私の所属する研究室行事の偶然の副産物でして。たまたまが重なって、仲良くなったのでした。
そこで初めて竹あかりというものに触れ、なんちゅう面白いものがこの世にあるんだと。興味と好奇心のままに、藤島さんの腰巾着となったのでした。
静岡大学で竹あかりのワークショップがしたい!
藤島さんと共に竹あかりというものに触れていくうちに、いつの間にか竹あかりの面白さ、楽しさにどんどんのめり込んでいきました。
こんな面白いのを、私はどうしても研究室人たちに見せたくなったのです。最初は藤島さんが研究室に遊びにきて……みたいな気軽な会になる予定でした。
しかし、腰巾着をして竹あかりの面白さを知るうちに、「そんなお茶会みたいな規模で終わらせてたまるか!」って気持ちが湧き上がってきました。
こんなにも面白いんだから、どうせだったら大きなものにしませんかと!
私が研究室で竹あかりを熱弁していたら、ちょっとした行事に進化していました。
フライヤーから人集め、企画、進行を任せてもらえることになりました。
初めてのイベント企画。ちょっとした責任者。
間伐から竹あかりをその日のうちに作ること、さらにそれを大学で行うというのはかなりかなりレアケースらしいというのを後日聞き、ヒョエエと1人で緊張しておりました。いつの間にか誰も歩いていない道を歩いていたわけです。
ま、頼まれごとは試されごとっつってね(受け売りですが)。
頑張っちゃおうかな、と思って準備を進めること約半年。
ようやく実現することができました。
ちょっとした行事は、気がついたらもうちょっとだけ進化していて、研究室メンバーのみならず、たけのこ農家さんも参加することになりました。
あと、別の研究室の方とかも来たりして。お子さんとかも来たりして。
なんとまぁ、おもしろい。人生は夢だらけですね。
予測不可能なことが起これば起こるほど、生きてる!って感じがして私は好きです。
その分テンパりもしますけれど、まぁそこはご愛嬌。
ご縁というものは不思議なもので、まるで最初からそこからあったかのように、ピッタリとおさまっているものです。はじめから顔馴染みだったかのような気楽な雰囲気がそこにはありました。
引き寄せられてるのか、引き寄せているのか……。
緊張しっぱなしでもいけない。今日一番声を出すのは私やで! という気合と共に、はじめの挨拶。
皆さんの自己紹介で緊張をほぐしながら、ワークショップがスタートしました。
そのいち 間伐
静岡大学静岡キャンパスは、日本平の西側の山腹を切り開いて建立されています。
当然のように、建物は山の中に建っています。
日本一高低差のあるキャンパスとも言われていたりするそこに何があるのか。
そう、竹林。
広大な、竹林。
大学の施設課に伐採許可を取っているものですから、いざ伐採へ。
しかし、そこで待ったがかかる。
「こりゃ、道を作るところから始めないとなぁ」
確かに、竹の他にも生えている藪や蔦が絡み付いて足場もありませんでした。
たけのこ農家さんの一言で、竹を切るよりも先に道作りと、余計な枝払いから始まりました。
なんとか綺麗になって、藤島さんと農家さんの指導のもと、ようやく竹を切っていきます。
竹林整備も兼ねていますので、できるだけ年寄りの竹を選んで、切っていきます。
「竹っちゅうもんは、中が空洞になっているもんだから丁度真ん中を切れば良い。ボウフラ(蚊の赤ちゃん)が湧いちゃうから、切り口のそばに穴を開けておけば大丈夫だよ」
竹専用の鋸は刃先が繊細で、木を切る鋸と比べて刃の向きが揃っているそう。切り込みと力の入れ方を教えてもらいながら、みんなで伐採!
竹に元々興味ある後輩と、木の間伐経験のある後輩に支えられながら私も参加します。
そしてさらになんと言っても、竹を切ることに長けているたけのこ農家さん!
百人力どころじゃありません。パワフルに作業しやすい場所まで切った竹を引っ張ってくれました。
みんなの力を合わせれば、サクサク作業は進んでいくものですね。
ただし、決められた本数しか切れないので、それをお伝えすると、農家さんが笑いました。
「この竹林じゃ、100本切っても気づかれないよ!」
竹林は大好きなわけですが、整備なんてものはしたことがなく。この作業も大変重要なものなんだと教えてくれました。
竹の伸びるスピードはものすごく早く、整備もその分早くたくさん行わないとすぐに荒れ果ててしまう。みかん畑もお茶畑も竹に飲み込まれてしまった事例もあるだとか。
大切な作業だけれど、竹を切る技術を持った人が大勢いるわけでもないし、竹林整備が重要視されていないのも現状。誰かがやらなくてはいけないことだけれど、誰もやりたがらない。
そんな内情を教えてもらいながら、間伐を進めていくと、思うものがありますね。
竹、大好きだからさ。竹あかり、大好きだからさ。
なんとかしたいなぁ。
竹を切った後、竹あかり用の竹を切り出して終了——ではなく!
もちろん、竹丸々一本が竹あかりになれば最高なのですが、細い竹はあまり竹あかりに向いていないそうで。
使わない竹はそのままポイではなく、しっかりと整頓させていきます。
枝打ちも一緒に行い、綺麗に並べていきます。そうすれば、切った竹は再び土に還り、時間をかけて養分になっていくとのこと。
立つ鳥跡を濁さず。切りっぱなしの竹を残さず。
そんなこんなで、午前の作業は無事に終了。
それぞれ竹あかり用の竹を運んで、ひとやすみ。
ご飯を食べている間も面白いアイデアがバンバン浮かんで、次回に繋げられそうな話が出ました。
すごいですね、この繋がり。理論ではない「縁」を感じざるを得ません。
これを機に自分用のノコギリやドリルでも買おうかなぁと思いましたが、結構値が張るもので。一揃いさせるのにも相当な予算を組まなくちゃならぬ。
こりゃ、目標にしなくちゃな。貯金を頑張らなくちゃと思いましたね。
お金というものは、どこに行ってもついて回ってきて。お気持ちだけでは限界があるものです。
「楽しいことや面白いことをいっぱいしたいけれど、それをするにはどうしても予算とかも考えなくちゃならん」
「結局イベントを立ち上げたとしても、お金がないと人が動かないのは事実だからね」
これから楽しいことをする予定の農家さんがポロリとこぼしました。
確かに、ドリルだって無料じゃないし、場所だって、小さな道具だって、費用がかかっています。
今回は大学側から予算が下りたものの、別の場所でやるとなると、別のところからの財源が必要です。
「よっしゃ! 全額私が出しましょう!」なんて気持ちの良いことばかりが言えないのがプロジェクトというもので。
現実的な部分を見た時間でもありました。
みんなで出し合えば、その分のリターンが必要で。
それがなかったら次回にも続かない。
お金なんて不要よ! と言い切れないのが現実で、ビジネスで、イベントなわけです。改めて気付かされたような気がします。
人と人との関わり合いで友情だったり、愛情は不可欠ですがそれと同じくらいお金も必要なんだと、改めて思いました。
これから考えなくてはいけないことが、一つ増えました。けど、これも楽しく解決できれば、最高ですよね!
いよいよ本番。みんなで竹あかり制作です!
そのに 竹あかり制作
さぁ、いよいよ大本命。竹あかり作りです。
大学の一室を貸切にして、竹あかりを作っていきます。
開始のご挨拶などをして、制作の仕方などなども説明したりしました。
頭で分かっていても、言葉にするのは案外難しく、所々抜け落ちた箇所もありました。
その辺は藤島さんがカバーしてくれて、なんとか作業に移ることに。
1人で喋るってこんなにも難しいことなんだなぁ、と思いながら、竹あかりを作る皆さんを見守っていきます。
竹あかりを作るのは初めて。電動ドリルを握るのも初めて。
そんな皆さんは最初、不安そうに型紙を選んだり、ドリルを握ったりしていました。
が、だんだん夢中になって、集中して自分だけの竹あかりを作っていきました。
不安そうな顔はもうどこにもない。
見惚れるものがありました。
我が研究室のメンバーたちも、黙々と製図をしては、竹に仮止めして「違う……こうじゃない……」とブツブツしたり、己のセンスのままにドリルを動かしたりと重い思いのスタイルで楽しんでいました。
その真剣な表情といったら! なんと美しい。
普段は真面目な先輩も大はしゃぎで穴を開けまくっていて、嬉しかったです。いつも見ている人の違う面が見えるのは、楽しいものですね。
人間って、いろんな側面があっての人間なもんで。
出来た竹あかりを満足そうに眺めて、ライトアップさせて写真を撮ったりしているのを見て、「やってよかったなぁ~!」が込み上げてきました。
私の先生も楽しそうに穴を開けています。
お子さんも、竹を支えてもらいながら、次々に型紙を貼ってはドリルを握ります。
いろんな世代の、いろんな立場の人とたちが大集合して竹あかりを作っていました。これがまた良いんですよ。
普通に生きてたら、ありえないことでは?
そりゃ、カフェとか、テーマパークとかに行けばいろんな世代の人はいます。学校だって職場だって、偏りがあるものの、それなりにバラついた世代が集結します。
しかし、全員が一丸となって同じ作業を黙々と行うということはありますでしょうか。話しながら、声をかけながら。
道具を共有して、手助けをし合って、「ありがとう」が飛び交う空間がどんなにも貴重か。
その場の一体感を持って、初めて「場づくり」というものを学んだような気がします。
作業している人たちのキラキラした顔が、真剣な眼差しが忘れられません。
自分の作業をしながら、誰かの作業を見守り、手伝い、関わり合う美しいあの光景。
その場にいなくちゃ感じられない、不思議な熱量を受け取りました。
「せっかくだし、竹あかり作ったら?」
だんだんと参加者同士での助け合いが増えてきた頃、藤島さんが私にそう声をかけてくれました。
型紙も自分たちで作ってみよう、というアイデアもと、お手本として手書きで作ってきた型紙があったのです。
それがコチラ。
はい。ガッツリ下の名前。
どうも私はイラストや図形が得意ではないようで。
竹あかりに文字があれば良いかな~! と思い、自分の筆跡から型紙を起こして、穴を開ける位置を決めていきました。
主となる線は大きな穴、細かい曲線は小さな穴——丸を書いていく作業は楽しかったです。かかった時間はおおよそ2時間ほど。あっという間でした。
藤島さんのアドバイスもあって、良い型紙が出来上がりました。
このまま飾っておくのは勿体無い! と。
時間も余裕があることだし、作ってみることにしました。型紙を切って、貼り付けて、穴あけをしていく。
「原画でやったの!? 原画に価値があるのに……」
と、膝から崩れ落ちていく藤島さん。なんか、コピーしてやるものだと思っていたらしい。
いいじゃん。
私以外に、私の筆跡の「小夜」を誰が作るというのか。それに型紙が私がいる限り作れますし。気が向けば。
やはり穴あけはまだまだ初心者で、雪だるまも多く出来ましたが、これで世界で一つだけの竹あかりの完成です。もう愛着しかない。
さて。
楽しい時間はあっという間。終わりの時間がやってきました。
締めの挨拶をして、藤島さんから一言もらって、ワークショップは無事に終わりました。朝から夕方までのイベントでしたが、とにかく大きなアクシデントもなく楽しく終了したことに安心しました。
種まき。良い言葉ですね。
藤島さんは花咲か爺さんだったか! と言いたかったけれど、「お兄さんと言え」とかなんとか言ってシバかれそうだったので黙っておきました。いや、でもやってることはまさに花咲か兄さんですね。
これも、これも、参加した人たちは全員素敵な笑顔で帰って行ったのを思い出しました。
そうか、あれは人の中にキラキラの種を蒔いてるということ。
家に帰った時、自分の作った竹あかりを改めて眺めたときに、あの楽しかった瞬間を思い出す。一緒に行った作業の楽しかった時間を思い出す。
それによって、「次またやりたいな」だったり「次はこんなことしてみようかな」っていう前向きな気持ちを生み出す。前向きな気持ちは強い原動力になって、自分の殻がすこうし柔らかくなる。腰がちょっとだけ、軽くなる。
軽くなって、人間の殻が一枚だけ、破れる。
キラキラが育って、その人自身がキラキラ輝きだす。と、そういうことなんでしょうか。
そういうことだと、いいなぁ。
そのさん 交流会
ワークショップ自体はこれにて終了。今度は楽しい楽しい交流会です。
交流会とは、アルコールが含まれたり、含まれなかったりする飲料を飲みながら楽しくワイワイすることなんですが、ここからは自由参加としていました。
日もだいぶ沈んで、朝からの作業だったのでお疲れの方もいるだろうし、騒ぐのが苦手な方もいるだろうし……と思っていたのでしたが。
全員残ったよね。
このご時世やら飲み会離れやら憂慮される中、全員お菓子をつまんだりニコニコしながらさっきまでのワークショップの振り返りをしたり、これからのイベントのことを話したりしていました。
なんとも言えぬ格別なものがありました。
世間一般的に囁かれている噂のようなものと、実感している現状があまりにもかけ離れていて。インターネットや人の言うネガティブな環境がそこには一切ありませんでした。
不安も苦しみも辛さも。人それぞれ抱えているかもしれませんが、あの空間にそんな感情が漏れ出ることはありませんでした。
あまりにも素敵すぎて「これは、夢?」と思うことがしばしばありますが。今回も夢のような空間でした。
その場の雰囲気も和やかで素敵。普段話せない人と普段話せないようなことを話して、刺激の連続です。
お酒が入っていたり、特別な空間でないとできない話は確かに存在していて、それを見たり聞いたりして知見が広がっていくのかなぁと。
そして何よりもこの竹あかり。
オレンジ色の柔らかな光が漏れる手作りの模様を眺める時間は特別なものがありました。
一つずつ見ると、やはり各人によって同じ型紙でも感じ取るものが違っていて、とても良い。
飲むもの口に含むもの全部、美味しいこと美味しいこと!
嗜好品やらご飯やらが全部美味く感じるんだから、竹あかりって凄いですね。
昂った神経を鎮め、リラックスできる空間がそこにはありました。
1日の作業を全部やり切った脱力感も相まって、その場所に溶けてしまいそう。私がそうなんだから、もっと頑張っていた人たちは、もっとそんな気分だろう。
ちゃっかり私の竹あかりも、眺めながらお酒を飲んだりして。
なんだかんだ言って、自分の作ったのが一番だと思った。
それだけ愛情を持って作ることができたってことでもあると思う。
きっと、他の人も同じように「自分で作ったのが一番」だと思うだろう。
もちろん、他の人の竹あかりも一つ一つ綺麗で、美しいんだけれど、「最高な竹あかり」はどれかと言われれば間違いなく自分のものを選ぶだろう。
型紙から、竹選びから、全部自分で決めて、自分が作ったんだもの。
それはそれは一番光り輝いて見えますよ。
「光る竹なむ一筋ありける」とはまさにこのこと。
私の先生と藤島さんがご友人になったようで、私も大満足です。
知っている素敵な人同士が仲良くなるのって、嬉しいですね。
次回また面白いことができそうで、そして更に私も参加できそうで、ワクワクが止まりません。
二次会でワインを一気飲みして帰り道の記憶が全くありませんが、とにかくそんな素晴らしい1日でした。
振り返り。そしてまた一歩。
とにかくひと段落。全部が終わって、一日二日ほど気が抜けてぼうっとしていました。
それまでの準備も色んなことがあって、それも振り返って、なんだかんだであの日のために用意されてきたものなのかなと考えたりもした。
楽しいことやワクワクすること、面白いことだけではなく、悩むこと、怒ることもあったけれど、衝突もしたけれど、それら全部ひっくるめて、あの日のためにあったんだなと。
なんとなく思うわけです。
全部無駄なことはなくて、全部必要なことだったんだなぁと思う。
だから、きっと楽しい一日を過ごせたんです。
いろんな人が集まると、いろんな側面からのお話が聞けて、刺激になりますね。
農家さん然り、後輩然り、先輩然り、先生然り、藤島さん然り。
場所や人の組み合わせが変われば話す内容も変わってくる。別の側面がまた見えてくる。そして、新しい刺激が生み出される。
自分では開けなかった扉が開いていくのを実感しました。
私だけでは考えなかったことが、どんどん入ってくるこの感じ。
自分の中にあったものが壊されて、また再構築されていくこの感じ。
また新しい一歩が踏み出せそうでとてもワクワクします。
そりゃ、既存のものが壊れていくんだからちょっとの恐怖もあったりします。が、変わり続けていくから人生なもので。私の中の軸さえグラつかなければあとは何が変わっても大丈夫です。
今の所、「文章を書く」という軸はブレていないので、大丈夫。
万が一ブレても、別の軸が出てくるでしょうね。多分。
この再構築こそが人と出会う楽しさなんじゃないかなぁ。ただ、知り合いを集めて飲み会するよりもこっちの方が好きです。
知り合いだけの飲み会には、自分の中で壊れるものが少ないような気がする。
友達とワイワイしている時の楽しさは、個人個人に焦点を合わせているのではなく、複数人といること、全体のノリ的なものにフォーカスしているんじゃないかなと。
その分、個人との関わりが浅くなる。広く浅くになっていくわけです。
狭く深く関わるためにはどうすればいいのか。出会えば良いのだ。その人自身に。
人と出会うということは、その場のノリ以上に、得難い何かを掴むということなのかしらと。そういう出会いは、自分で「出会いてぇ」と思ってもなかなかできないもので。ので、偶然によって生まれる「出会い」がキラキラ輝いて見えるんですわな。
ただただ新しい他者に会えればいいってものでもない。会った人全員友達になるわけではないのと同じように、会った人全員に出会えるわけでもないのだ。
今までの人との出会い直しも出会いだ。その人の中身を深く知り、深く見ることが、出会いなのだ。ついでに、自分の中身を深く、深く見せることが相手にとっての出会いになるのだ。
だから出会いっちゅうもんは、楽しいんです。
いつ出会えるかわからないんだから。
もちろん、広く浅く、友人たちと遊ぶのも楽しい。出会いのない出会いも面白い。
刺激ばっかりじゃ体調崩すし。1人になりたい時だってあるし。
要するに、バランスが大事ですね。
「人間怖い!」「人と喋りたくない!」「引きこもってたい!」とか思っていた私が、まさかこんなにも「人との関わり」で楽しくなっちゃうとは。
本当に人生、何が起こるかわかりませんね。自分の中の凝り固まった何かがじわじわ溶けていくのがわかります。
まだまだ完全に溶け切ってはいないし、残っている部分は大きそうですが、ちょっとずつ、自分の中のキラキラが見えてきそうです。
私の中にもキラキラの種が蒔かれたのかな。自分のこれからが楽しみです。
同じ気持ちになってくれた人が、あのワークショップでいたら、なおさら良いなぁ。
自分で決めて、自分で作るという面白さ。
新しい自分になれそうなこの予感。
竹あかりの美しさ。素敵な日本文化。
それに触れられる機会を、知れるタイミングを、私は作りたいなぁと思いましたとさ。
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