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ココロザシナカバ~壮絶な自分史~ 最終話:「川の流れのように」




それは私が50歳になったからだ。

人生100年時代と言われている。
ということは、50歳はちょうど真ん中である。


酒乱の父と世間知らずの幼い母の間に生まれ、
小学2年生からお金を稼ぎ、
10代は失恋を経験し不良をやって駆け落ちもした。


20代は2度も結婚し子どもを3人産んで、
ダンプ屋を起業して倒産させた。


30代は3度目の結婚で2人産み、
飲食店を4店舗オープンさせて閉店した。


40代は双子を産み、
人生初の会社員生活は昇格して勝ち組になった。


振り返ってみると、ジェットコースターのような
目まぐるしい人生だった。



あの父は72歳で他界した。
うな重が食べたいというので、
セブンイレブンで買って病室で食べさせた。
最後のご馳走は自分が半分食べて、
半分を「ほれ、食べなさい。」と私にくれた。

その2日後に子どもたちに囲まれて病室で静かに逝った。
肺がんが見つかって半年後の他界だった。


それから5年、70歳になった母はいま、
私たちの近くに一人暮らしている。

3人目の旦那さんが残した遺産で家を建てて、
遺族年金とパートで生計を立てている。
今でもその考え方は幼く、
周囲を混乱させるモンスターだが、
「憎まれっ子世に憚る。」が口癖の母は
きっと百歳まで生きるだろう。

母の家には正月と盆に顔を出し、
年に一度は旅行に連れて行く。
年3回の親孝行と距離感で、
これからも見守っていきたいと思う。



私が生まれ変わってそれが許されるとしたら、
また父と母の子に生まれたいと思っている。

あの父とこの母に生まれて
私は本当に多くの経験をし、
学ばせてもらえた。

もし来世があるなら、今度は父と母に
学ぶ機会を提供してあげたい。

私は数え切れない人に助けてもらって、
愛されてここまで生きてきた。
皆さんの顔や言葉を思い返すそれだけで、
この胸が感謝で満たされる。


幸せでたまらない。


そしてこれから50代を生きる私。

50歳から私は、好きなことだけをして
生きると決めていた。
ちょっとでも好きじゃないことはしない。

そう決めていたのだ。

そしてその時が来た。

大事なことは
『自分が何を好きなのか知っている』
ということ。

何が好きなのか分からなければ、
好きなことをして生きていけない。

好きなことは
好きじゃないことをすれば
自ずと分かる。
そのための時間と経験は十分にあった。

私は自分の好きなことが何なのかが分かる。
だからそれを実現していくだけだ。

いつかミズさんが
「究極の幸福は自己実現であり、
それをシェアできる人がいることなのだよ。」
と教えてくれた。

その教えを大切に胸に抱き、
いつも客観的に生き、
己の思考に気を配り、
人に親切にしてきた。

今でさえこれほど幸せなのに、
究極の幸福というものは一体どれほど幸せなのだろうか。


自分を幸せにできる人は
この世に自分しかいない。

断言できる。

だから残り半分の人生50年は、
好きなことを選んで生きていく。
そのはじめの一歩がこの自分史の執筆である。

一度自分の人生の棚卸をして、
すっきりと50代を生きていきたいと、そう思ったのだ。


秋元さんが書いた『川の流れのように』ではないが、
人生は山で湧いた泉の水が渓流を越え、
様々な支流と混じり合い、
いつか大海原へ合流する川の永い道のりのようだと思う。


だから50歳は折り返し地点なんかじゃない。


まだまだ旅の途中である。



そして私の好きなこととは一体何なのかと言うと・・・。

それは『幸せに生きる術を伝えること』だ。
それを伝えていきたい。


そしてそんなことが役に立たなくなるぐらい、
みんなが幸せであったら、


どれだけ幸せかと思う。


そしてそれがきっと、究極の幸せなのだろうと。


いつかまたこの先50年の、
自分史を書く日を夢見て。



ココロザシナカバで今日はここにペンを置く。

  
   

                        




こんな私の人生に興味を持っていただき、
60話にわたり読んでくださったあなたに、
心から感謝いたします。

ありがとうございました。


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